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シネマライナー

ただ、君を愛してる   06/10/28 放送

「見る? 胸とかもすごいよ」
断っておくが、私と鳥居さんの会話ではない。
番組の冒頭に流れてきたのは劇中の台詞。この映画のサントラ盤には
最近では珍しく劇中の台詞が収められている。
玉木宏と宮崎あおいの会話、胸がモゾモゾするというか、何というか、
聞いていて恥ずかしくなってくる。全編に漂うのはそういう雰囲気。
これは宮崎あおいの演技がみずみずしいからなのか?
それとも玉木宏がどうみても大学生に見えないからなのか?
いずれにせよ同時期に放映されているドラマ『のだめカンタービレ』との
便乗効果もあってか、若い観客の心をキャッチしてヒットしている。

以前『恋愛写真』として映画化された原作をまた違う切り口で映画化。
事の詳細は不明だが、共作というかリメイクというか、泣かせる映画の企画
を模索しているスタッフが脇目もふらずに原作に手をつけたというところだろう。

透明感。この一言に尽きる。
入学式の日に出会った2人は心惹かれあうが、今一歩、恋愛に踏み込めない。
その原因はお互いに「ある秘密」を抱えているからだった。
踏み込めない=積極的にHな関係に進めない、
すぐ踏み込んでしまう現代の若者にとって、これほど新鮮なものはないだろう。
そして、その「ある秘密」はやがて劇的な結末を迎える・・・。
導入から結末まで、終始、透明感が漂っている、と言えば聞こえはイイが、
結局のところ、私の心に突き刺さるほどの感動やインパクトがなかった
というのが正直な感想である。

美しい=絵空事というのか、リアリティに欠けると言うのか、
やっぱり最後まで玉木宏が大学生に見えなかったことが気になってしまった。




虹の女神 THE RAINBOW SONG  06/10/28 放送

期せずして『ただ、君を愛してる』と同日公開になった。しかも主演は
上野樹里。ドラマ『のだめカンタービレ』の主役2人が映画で対決する
ことになったのは、実は期せずしてではなく、意図的に仕掛けられたもの
なんだろうか。最近の邦画好調を考えると、そんな邪推すらしてしまう。
ところが、映画としてはこっちのほうが数倍、いや、数百倍よくできている。

透明感、この映画にも共通する要素だろう。
しかし、透明は透明でも見た目でなく、流れている血流まで透明という感じか。
いきなり上野樹里が飛行機事故で亡くなったことが描かれ、物語は一気に
哀しみモードへ。そこから彼女と市原隼人との過去が回想されていく。
最初にヘヴィーな爆弾を落とされたんだから、当然、観客の頭には
彼女の死がつきまとうはずなんだが、これが不思議なもので、観ているうちに
だんだん哀しみモードが消え失せて、とっても前向きな気持ちになってくる。
最近の邦画は主人公が死ぬことで感動させようとする話が多いが、
これは真逆。それでいての透明感だからこれは相当な透明感だろう。

自主映画製作に打ち込む2人。
何となく心惹かれあうのに具体的な一歩を踏み出すことはない。
一言で表現するなれば、恋愛モラトリアム。
煮え切らないからイライラすることもあるんだが、これもリアルな恋愛だろう。
そして、彼らが打ち込んだ自主映画が劇中で非常に効果的に使われる。
撮影風景だけが描かれて全容が分からないようにしつつ、
それが最後にストーリーにピタッとハマるような構成。
しかも、8mmで撮った映像をまるまる大スクリーンにはめ込んで
それが映画自体にピタッとハマるような空気感。
思わず「うまいぃぃぃ」と膝を打ってしまった。

さらに特筆すべきはリアル・・・何がリアルって、2人を含めた出演者の
演技が言葉に表せないぐらいリアルなのである(相田翔子はピカイチ)
やらされてる感、演じている感がゼロ。もちろん演出方法によるところも
大きいんだろうが、この映画にはスタッフ・キャストの魂が入っている。
いや、入っていると信じたい。

プロデュースは岩井俊二。
岩井作品って好き嫌いが分かれると言われているが、断言する。
この作品は『LOVE LETTER』以来、10年に1本の傑作である!!!




父親たちの星条旗  06/10/28 放送

このところすっかり神格化されているクリント・イーストウッド。
確かに『ミリオンダラー・ベイビー』は素晴らしかったが、そこまで
神格化するものだろうか・・・そんなちょっと懐疑的な気持ちで映画に
臨んだのが事実だった。しかも、どんなに大物俳優の芝居であろうと、
大勢のエキストラを起用したシーンであろうと、1テイク目でOKを
出すと聞いている。そんな淡泊な演出と姿勢で何が描けるんだろうか
・・・ますます懐疑的な気持ちで映画に臨んだのも事実だった。

物語は「星条旗を掲げる兵士たち」の写真にまつわる真実を描いていく。
実際は現場で適当に取り直した写真なのに、それが軍によって祭り上げられ
戦意高揚と国債を買わせるための政策に利用された。
にわか英雄に仕立て上げられた兵士はそれをどう受け止めるのか、
受け入れる者もあれば、拒む者もいる、そこで終始、貫かれるのは
時代に翻弄された若者を哀れみ、翻弄した国を糾弾するクリントの視点だ。
《すんませんでした!!》
まず最初に、懐疑的な気持ちで臨んだことをクリントに謝りたい。
最高のショットは一発撮りでも何でも撮影できるんだ。
そして、よくもこんな題材を真っ正面から映画にしたな、と感心してしまった。
大打撃を受けたアメリカ軍。しかも当時の政府を告発するような内容が
けっして観客や批評家から歓迎されるとは思えない。
それでもなお、これを映画にしようとしたのは彼が題材に感銘を受けたからで
あり、この題材をフィルムという形に残しておきたいと考えたからだろう。
商業主義でもなく、妙な作家のこだわりでもなく、
彼が刻んできた人生の末に見えてきたものをストレートに描こう、という姿勢。
これぞ年輪を重ねた人間にしかできない芸当ではないだろうか。

さらに深いなぁと思ったのは、この映画は世界中が注目している写真を
「現実はそんなもんじゃないんだよ」と言っているところ。言い換えると
世界中が神格化しているクリントを自分自身で、潜在意識の中で
「いやぁ、私はそんな器じゃないんだよ」と言っているようにも感じた。

すんません、ほんまに彼は神格化されるべき人物でしたわ。