MALICE MIZER




マリス・ミゼル復活二周年を祝した華麗なる復活劇

 程良い肌寒さが秋という季節を感じさせる、10月10日の日比谷野外音楽堂。ボーカルの脱退により充電期間に入っていったマリス・ミゼルが、新たなボーカリストにCamui Gacktを迎えて復活してからちょうど2年の月日が流れた。その2年の間にマリス・ミゼルは活動するフィールドをインディーズからメジャーへと移し、表現の場でもあるライブにおいてはライブハウスでも、ホールでも難なく自分達の世界を作り上げるまでに成長を遂げている。そんなマリス・ミゼルが未開の地である野外というシチュエーションにおいて、『deuxieme anniversaire 〜華麗なる復活劇〜』と題した復活二周年を記念したライブを行った。
 客席を照らしていたライトがおもむろに落とされると、ステージに20〜30人の黒装束の団体が棺(ひつぎ)を担いで現れ、ステージ中央にその棺が立てられる。そこに一人の女が生け贄として差し出されると、棺の中からYu〜ki扮するドラキュラ伯爵が登場し、愛撫するように女のノド元に噛(か)みついた。生き血を吸った伯爵はさっそうとステージを後にしたが、放心状態にある女に黒装束達が一斉に群がる。そしてパイプオルガンの緊迫感あるBGMがクライマックスに達すると、黒装束に持ち上げられるように姿を現した女はいつの間にかGacktに変わっていて、ステージはドラキュラをモチーフにしたナンバー「Transylvania」を迎えた。
 いきなりシアトリカルなオープニングで自分達の世界をいとも簡単に作り出したマリス・ミゼル。そのまま、まるで歌劇を見ているかのようなパフォーマンスや、迫力ある演奏を織りまぜ、目まぐるしくいろいろなシーンを表現し、オーディエンスをぐいぐい引き込んでいく。
 特に各人のソロタイムは目を引いた。発狂寸前の追いつめられた精神状態を演じたようなYu〜ki伯爵の「CROIX」、Mana&KoziのSMチックなダンスパフォーマンス「COLOR ME BLOOD RED」などそれぞれのメンバーが個性を生かしたソロタイムを披露。中でも圧巻だったのはGacktの心の傷をいやすような優しい調べを奏でるピアノと、Kamiのパワフルかつセンスフルなドラムがバトルを繰り広げた「regret 〜協奏曲〜」。
時にドラムが、時にピアノが牙をむいた”哀“と”狂“の協奏。まさしくそれは華麗なるアートだった。
 ソロタイムが終わると10分間のインターバルを置いて、ライブは第二部へ。演劇がかった第一部とは違って、こちらはロックという音楽を用いた表現、つまりライブである。MCでは前日寝ていないということで壊れ気味のGacktだったが、それまで近寄りがたいようなパフォーマンスを繰り広げていただけに、ここでの笑いを誘ったコミュニケーションは客席の緊張感をほぐし、ステージとの絆をより深く結ぶに絶好のカンフル剤となった。
 そんな和気あいあいのMCの後、「APRES MIDI」からは、色とりどりの音を放ち楽曲に広がりを与えるManaとKozi2本のシンセサイザーギターと、安定感と迫力のあるYu〜kiのベースとKamiのドラムが、オーディエンスをマリス・ミゼルの世界の深部へいざなうのだった。
 そして、アンコール。第三部ともいえる、このステージでは日章旗を振りかざし、軍服姿でメンバーが登場。真っ赤なライトに染め上げられたステージの上では、ヒステリックなナンバーがプレイされ、緊迫する空気が客席まで広がり、「N.p.s N.g.s」での”Die ga-me“のコール&レスポンスによって、熱き一体感が両者の間に生まれ、張り詰めたテンションは最高潮に達した。そのままライブは大団円を迎え、終演。すべてのストーリーを消化した無人のステージ上では、「〜前兆〜」の詩情的な美しい調べが流れる中でセットが火花を散らしていた。

 復活してからのテーマを再現したため、過去のツアー『sans retour Voyage "erniered"』のステージを焼き直したとも言える、この復活劇。そのためか次の展開がある程度読めたのは正直なところあった。しかし、だからと言って、ステージから受けるインパクトが半減したかと言うと、そんなことはなく、期待通りに斬新奇抜なマリスの世界を見せつけてくれた。復活二周年ということで過去の自分達の姿を見せながらも、そこからはしっかりと現在のマリス・ミゼルが垣間見れた、その名の通りの”華麗なる復活劇“だった。


PLAY LIST

1DAY
【第一部】
1. 古のルーマニア
2. Transylvania
3. 麗しき仮面の招待状
4. 死の舞踏
5. 偽りのmusette
6. CROIX(クロア)
7. regret 〜協奏曲〜
8. COLOR ME BLOOD RED
【第二部】
9. claire 〜月の調べ〜
10. APRES MIDI
11. Madorigal
12. ma cheォrie
encore
13. バロック
14. N.p.s N.g.s
SE 〜前兆〜

2DAY
1. S.concious
2. ILLUMINATI
3. 追憶の破片
4. 死の舞踏
5. N.p.s N.g.s
6. bois de marveilles
7. 月下の夜想曲
8. Premier amour
9. APRES MIDI
10. Madorigal
11. BRISE
12. ma cheォrie
encore
13. de l’image
14. ヴェル・エール〜空白の瞬間の扉〜


目まぐるしく変わったいろんな世界のどれもがマリス・ミゼルの持つ表情

 前回のインタビューでもGacktとKamiが語っていたが、この日のステージはツアー『Pays de merveilles 〜空白の瞬間の扉〜』のファイナル的なものとなる。それも”ファイナル“ではなく、あくまでも”ファイナル的なもの“だそうだ。その違いがどこにあるのかは終演を迎えるまで、きっと分かるはずもないだろう。その辺りのことを確かめたく、この野外ライブの二日目に臨んだ。
 クラシック音楽のBGMが流れる中、客電が落とされたかと思うといきなりステージから何本ものスモークが吹き上げ、壮絶な爆音と共にマグネシウムの火柱が上がった。ボンテージファッションに身を包んだメンバーが、初っぱなからステージで暴れ、スリリングなナンバーで緊迫感あふれる狂乱の世界を築き上げていく。エフェクト処理されたノイジーなボイスを吐き捨てるGackt。地鳴りのようなうごめくベースを響かせるYu〜ki。時にパッドをなぐるようにたたき、時に迫力あるドラミングをみせるKami。旋律を奏でるManaのギターの上に感情的なギターを織り込むK:ozi。まだ、始まって間もないというのに、すでにライブ終盤のスリリングな熱さが野外という屋根のない空間に広がった。さらに前日のアンコールさながらに「N.p.s N.g.s」での””Die game“のコール&レスポンスが、オーディエンスのテンションをかき立て、Gacktも「かかって来いよ!」とオーディエンスをあおる。これがまだオープニングから5曲目であることなど完全に忘れさせた。
 客席に漂う、そんな張り詰めた空気を個々のキャラクターイメージをモチーフとしたパフォーマンス「bois de marveilles」で振り払うと、「月下の夜想曲」からまた違ったマリス・ミゼルの世界を構築。「ようこそマリス・ミゼルの不思議な世界へ」とあいさつ代わりのMCを挟み、「Premier amo-ur」や「APRES MIDI」などの愁いある旋律のマリス流ポップチューンが披露される。現在のJポップにはないウエット感を持ちながらもキャッチーなマリス・ミゼルのポップチューンは、どこか60年代や70年代のグループ・サウンズや歌謡曲に通じる様式美的なものを感じさせるが、全く古っぽさのない90年代世紀末のロックとして完成されている。また、完璧に自分達だけの世界を作り上げているものの、そこに窒息しそうなまでの窮屈な緊張感はなく、どこか気を緩められるポイントがあるのも彼らのライブの魅力。それはこの日もGacktのMCだっ
た。セリフをしゃべるようにシアトリカルな演技を続け、オーディエンスを突き放してしまうのではなく、常に客席の目線で話されているMCは、彼の体温を感じるような人間味があふれていて好感が持てる。こういったところから一体感を生む、強くて太い絆が結ばれていくのかもしれない。
 そして、第二幕ともいえるアンコールのステージでは、ビデオ作品『ヴェル・エール〜空白の瞬間の中で〜de l'image(ドゥ リマージュ)』での自分の役柄に扮し、一人ひとりハイライトシーンを演じたり、ビデオでは表現しきれなかったシーンを演じるメンバー。その演技はビデオの続編とも取られ、このライブが”ファイナル“ではなく”ファイナル的なもの“であることを意味しているかのようでもある。一つのテーマの終わりを見せるのではなく、次に向かうための”答“を提示しているといえるだろう。そんなビデオでの世界を引きずったまま、デビューシングル「ヴェル・エール」でライブの終幕をドラマチックに締めくくった。

 この野音での2デイズで感じたことは、ステージ上で目まぐるしく変わった様々なシーンのどれもが、マリス・ミゼルというバンドによって築き上げられた世界だということ。鹿鳴館の貴族のようなコスチュームか
ら、SMチックなボンテージファッション、ドラキュラ伯爵、軍服、そしてビデオで演じた世界。それを実際にライブという限られた時間の中で、一遍の歌劇、もしくは芝居のように違和感なく見せてしまうのだから、彼らの柔軟な表現力には感服するばかりだ。やはり、マリス・ミゼルのようなサウンドだけでなく、視覚的にも訴えるものを持っているバンドのことを、ビジュアルバンドと呼ぶべきなのだろう。しかし、そうなると今のJロックシーンには片手に余るぐらいしか、その類のバンドはいないはず。では、メディアからそう呼ばれ、自らもそう呼んでいるような化粧しているだけのヤツらって、いったい何者なんだ?



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