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【社会】

絵図にくっきり格差社会 「天保の大飢饉」の尾張藩

2007年10月17日 朝刊

天保の大飢饉で窮民に銭差しを渡す様子(中央から右上)が克明に描かれた絵図。左下には裕福な客でにぎわうさまも=名古屋市博物館で

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 一八三〇年代の「天保の大飢饉(ききん)」で生活に困った庶民が、尾張藩から緊急の救済金を受け取るさまを描いた絵図が、新たに見つかった。町奉行所に人々が殺到するそばで、後に松坂屋となる呉服店のにぎわいも描かれ、江戸時代の“格差社会”の一端が浮かび上がる。鑑定した名古屋市博物館(同市瑞穂区)は開催中の特別展に合わせ、急きょ十六日から公開した。

 絵図は縦約九十センチ、横約百七十センチ。布地に絵筆で描かれた細密な鳥観図だが、作者名はない。今月上旬、同館の特別展「大にぎわい 城下町名古屋」(中日新聞社主催)の来場者が持ち込んだ。愛知県半田市の旧家に伝わる秘蔵品だという。

 同館で文献などと照らし合わせたところ、「新修名古屋市史」にも記されている天保飢饉での「窮民救済」を表していることが分かった。

 市史によると、尾張藩は一八三七(天保八)年、大飢饉による混乱を収めるため、生活苦の領民に「御救金(おすくいきん)」の支給を決定。名古屋城下町では同年五月、町奉行所が六千二百二十一世帯に三百文(現在の価値で約一万円)ずつの銭差し(銭の束)を配った。

 絵図では、みすぼらしい着物をまとった男女が、町奉行所とみられる屋敷に整然と列をなし、敷地の奥で恭しく銭差しを受け取る。周囲には端午の節句ののぼり旗が描かれており、市史の記述と合致。町奉行所は、現在の同市中区丸の内二にあった。

 一方、奉行所の隣には、後に百貨店「松坂屋」となる「いとう呉服店」ののれんを掲げた店があり、華やかな着物姿の客でにぎわっている。奉行所で順番待ちする庶民とは対照的に描かれ、江戸時代の「光と影」を強調しているかのようだ。

 同館の鳥居和之学芸係長は「誰が何のために描いたのかは分からないが、大飢饉時の藩の対応を具体的に示す全国的にも珍しい史料だ。町奉行所や呉服店の内部がこれだけ詳しく分かる絵図も今までになかった」と話している。

 

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