情にもろいのに感情表現が苦手で、あまり顔色を変えない頑固おやじ―。新聞はそんな存在だろうか。社会のいろんな出来事、人々の喜怒哀楽を伝えるが、表現手段といえば、文字と写真ぐらい。音声や動画はない。朝一度見た顔は夜になってもそのまんま。この頑固おやじの表情を何とか和ませたり、怒らせたりしようとするやんちゃ息子・娘が整理記者だ。
読んで思わず熱いものが込み上げる原稿に時として出合う。最近では福岡三児死亡事故の裁判の原稿がそうだった。両親は水中に何回も潜って子どもを捜したという。悲痛な心情が切々と迫るように伝わってきた。加害者、飲酒運転に対する怒りも新たにした。目立つ見出しで扱わなければならないと判断した。
「ママでも金」の柔道・谷亮子選手の場合、一枚の写真に引き込まれた。戦いを制した強い競技者が、メダルを手にして一瞬見せた表情の穏やかさ。まさしくわが子にほおずりするような母の顔だった。紙面に思い切って一回り大きく配置した。
速報性に優れたテレビ、インターネットなどの多メディア時代にあって、新聞は存在すら危ぶまれる。どう取り組むべきか。驚きや感動と、「なぜ」という視点を大切にすることだと思う。整理記者は事件・事故などの当事者の生の感情に接することはできない。しかし原稿を通して驚きを共有することはできる。それを見出し、レイアウトに込める。
頑固おやじがふと見せる笑顔や、ほろりとした表情…。他のメディアにはない味ではないだろうか。そんな紙面が読者の共感を呼ぶことができれば、“息子”の一人としてうれしい。
(整理部・河田一朗)