鉄道の開業当初からの名物列車を一堂に集めた鉄道博物館(さいたま市)が一昨日、オープンした。
親子連れなどが殺到し午後には危険回避のため新たな入場を中止するほどのにぎわいだったという。鉄道ファンは多い。ふっと子どものころ、岡山市南部の岡山臨港鉄道を走る貨物列車や客車を追いかけ力いっぱい、手を振っていたのを思い出した。
鉄道史にこんなエピソードが残る。東海道本線がまだ半分も電化されていなかった一九五〇年。蒸気機関車にけん引された上り「はと」が京都の手前、山崎にさしかかったころ、建物の前庭で手を振る青年の姿に食堂車の従業員が気付く。
青年は特定の人にではなく、列車に向かって手を振っていることが分かった。青年の存在は「はと」全乗務員の知るところとなり、みなが手を振るようになった。その建物は紡績工場の結核療養所だった。
間もなく患者たちが並んで手を振り、列車もその場所に差し掛かると汽笛を鳴らした。交流はダイヤ改正で「はと」が消える六〇年五月末日まで続いた。その日、白衣の人たちの頭上には「ごきげんよう はと」の字幕が掲げられていたという(関川夏央著「豪雨の前兆」)。
列車に向かって無邪気に、また希望を託して手を振った時代が確かにあった。博物館に列車は展示できるがこうした触れ合いは語り継ぐしかない。