市長辞職に伴う総社市の出直し市長選が行われ、無所属新人で元行革担当相秘書官の片岡聡一氏が、無所属前職の竹内洋二氏を大差で破り、初当選を果たした。
大接戦となった、合併に伴う前回市長選(二〇〇五年)と同じ顔合わせによる“因縁の対決”だった。市政混乱の立て直しや救急医療体制整備の手法などを争点に、市を二分する激しい選挙戦が展開された。
出直し市長選の端緒となったのは、総社市が発注した水道配水管設計業務の指名競争入札をめぐり、竹内前市長が業者選定に関与したとされる問題だった。五月に設置された市議会百条委員会が検証を開始し、市民団体も市長解職請求(リコール)運動の署名活動を始めた。その直後の九月三日、前市長は「市民の信を問う」として、約一年八カ月の任期を残して辞職し、出直し選挙となった。
市長不在のまま、百条委は市の入札システムの不備などを指摘したうえで、「市長の関与があったとみるのが相当」とする報告書を可決した。一連の流れを受け、有権者は片岡氏に現状打破を託したといえよう。
片岡氏は「公平で平等、透明感のある総社市へ全力投球し、市役所改革や広域医療体制の充実などに取り組みたい」と抱負を述べた。実現へ向け、新たな地域リーダーとして、その重責を肝に銘じる必要がある。
新市長にまず求められるのは、失われた市政の信頼回復であろう。「古い体質やしがらみを捨てて新たに自立できる市をつくる」とも語っている。出直し選挙の一因ともなった市議会との関係を立て直し、半年間に及んだ市政混乱に終止符を打つ強いリーダーシップをぜひとも発揮してもらいたい。
厳しさを増す財政の立て直し、医療体制の充実など総社市の課題は山積している。〇五年の合併に伴って行われた市民アンケートで最優先に望まれていた施策は「医療体制の充実」だった。とりわけ、休日・夜間の救急医療体制の整備は市民の悲願だ。片岡新市長が選挙中に訴えた、地元医師会と連携した体制充実などが急がれる。インフラ整備が遅れている周辺部と中心部の格差解消も見逃せまい。
総社市は古代吉備文化圏の中心地だ。吉備路や鬼ノ城など豊かな文化遺産や自然環境に恵まれているが、そうした潜在力を十分に生かし切っているといえるだろうか。都市間の競争は激化する一方だ。手をこまねいていては埋没しかねない。新市長の思い切った行政手腕に期待したい。
多数の死傷者を出したミャンマー軍事政権の反政府デモに対する実力行使に、国連安全保障理事会が「強い遺憾」を表明する米英両国とフランス提出の議長声明案を全会一致で採択した。軍政は、国際社会の一致した民主化要求を真剣に受け止めるべきだ。
採択された議長声明は、ミャンマーと密接な関係を持つ中国の反対によって表現が原案から大幅に弱められた。例えば、原案にあった「暴力的弾圧」は「暴力の行使」に変わった。また「(民主化運動指導者)アウン・サン・スー・チーさんとすべての政治犯釈放」では、スー・チーさん解放を求めたくだりは消えたうえ「早期釈放の重要性を強調する」にとどまった。
それでも、安保理がミャンマーに公式な形で声明を出すのは初めてとみられ、軍政への圧力の一歩となろう。声明は安保理がミャンマー問題に引き続き取り組む覚悟もうたっている。
日本として残念なのは、原案に明記されていた「デモで殺害された人々への完全な説明」が落とされたことだ。映像ジャーナリスト長井健司さん射殺の真相究明があいまいにされかねない。
現在、日本は安保理の非常任理事国でもなく、議長声明に影響力を発揮できなかったのだろう。しかし、自国民が殺された日本は、軍政に真相の解明を求め続けなければならない。
従来から日本は、軍政と関係を持ちながら民主化勢力との対話を働き掛けてきた。今回の弾圧の事態で日本外交の力不足が明らかになった。米欧は、軍政が国民和解に向けた対話などを進めなければ、制裁決議などを視野に入れる構えだ。日本も厳しい態度で臨む必要があろう。
(2007年10月16日掲載)