2007/7/11



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学問の世界から、自らの専門を社会に生かしたいという思いで、政治の世界に飛び込みはや10年が経過しました。支持者の皆様の暖かい応援をいただき、環境問題では画期的な「ダイオキシン規制法」や「循環型社会形成推進基本法」などを成立させることができました。

安心と活力に満ちた21世紀の日本へ、そして農林水産委員として「農の発展・食の安全の世紀」をめざし、ヒューマニズム(人間主義)の政治を基調に、これからも全力で走り続けてまいります。

 


日頃より暖かく力強いご支援を賜りまして本当にありがとうございます。

私、福本潤一は、公明党を離党致しました。


この度の決断にあたり、後援会の皆様、支援者の皆様、関係者の皆様にはご心配をお掛けし、誠に申し訳ござません。私の初出馬、2期目の選挙戦では、出身地の広島や、大学で教鞭を執った愛媛だけでなく、中・四国地域、さらには全国から絶大な支持でご協力頂き、本当にありがとうございました。

中には、選挙運動への抵抗感や疑問、年中行われる全国各地での選挙の度に応援に駆り立てられる、負担を感じるというお話も非常に多くうかがってきました。その精神的負担は計り知れないものがあり、体調を崩して精神科に通う方々も少なくないと聞き及んでおります。
もちろん、日常の生活をしながらも、選挙の応援活動を使命的に心から熱心に取り組まれる方も非常に多くおられ、感謝の気持ちに絶えず励んで参りました。本当にありがとうございました。しかし、負担に感じ、さらには生活を脅かすほどの障害となりながら支援して下さった方々も多くいるということに、心から申し訳ない思いでおります。今まで支援して下さった皆様の率直なお気持ちは、変わらず真摯に受け止めさせて頂きたいと思っております。

私はこれまで、応援してくださる国民の皆様の意志を政策に反映させるべく、当選当時より国民のための政策に一貫して突き進んでまいりました。
環境問題に対する認識が社会ではまだ薄かった時期より大学で研究を積んできた環境問題、水利工学を糧として、循環型社会形成推進基本法を成立させ、それまで法整備が確立していなかった環境対策が政府の施策として実現しました。さらに具体策としてダイオキシン規正法の成立を推進し、生態系や人体に有害となる物質の生産から排出において規制が設けられました。排出された汚染物質管理のための法整備、また、環境対策の基礎となる環境教育の推進、水質、環境汚染基準を明確化したリスク管理の基盤の創設などをいち早く政府に訴えました。いずれも国民の生活と将来に大きく関わる重大な問題であり、環境対策に寝食を惜しんで尽力させて頂いたと自負しております。

しかし、この初心を貫徹することは党からは許されず、3期目に向けては公明党からの公認はありませんでした。
12年前、多くの公明党関係の皆様方から推薦を受けて、研究者としての目前の設計を捨て、学者を捨てて政治に人生を捧げる決意を固め、国政に送り出して頂きました。2期に渡って務めさせて頂きましたことは、党関係者、支援者の皆様に心から感謝致します。
公認が無かったことについて多くの支援者の皆様から、「体調不良が理由と説明を受けたので心配している」という温かいお声をたくさん頂きました。6年前の選挙時には、自分の極限をかえりみずに全国を走り回ったことで、体調を崩したこともありましたが、政治への使命感と皆様の激励のお陰もあって体調は回復し、2期目に当選することができました。その後、私には病気はなく、公認が無かった理由は体調不良ではありません。

今回の非公認が決定される以前から、公明党の政策決定プロセスに賛同しがたい意志をすでに持っていましたが、私は政党人である前に、多くの国民の付託を受けて、国民に貢献すべく選んで頂いた参議院議員です。『良識の府』としての参議院の役割において、私の環境・水利工学の専門性で貢献し続けたい使命感は初出馬から全く変っておりません。科学者、研究者としての観点から、専門的で自由、闊達な発言を活かせるものと思っておりましたが、公明党の政策決定プロセスはそうではありませんでした。国民の代表者としての自由、闊達な発言を否定されるのであれば、特に参議院の性格上、到底納得できるものではありません。国政でやり残した事への無念は残ります。

今、ポスト京都議定書が採択されようとしており、IPCCに基づいて温室効果ガスを50%削減しなければ、私たちの地球が益々危機的な状況に陥るなど、環境政策が重大な岐路に立たされているこの時期に、私はここで諦めるわけにはいきません。

また、広島に生まれた被爆2世である私には、被爆の痕跡が常に身近にあり、多くの被爆者やご家族の声を受けて国政に参加させて頂きました責任がございます。さらに、大学で教鞭を執った立場からも、憲法改正、教育関連法案などが、国民の十分な理解を得たとは言えない中で次々に改正されようとしている、いよいよ佳境というというこの時期に、政界を去ることなどできません。12年培ってきたことを踏まえ、いよいよ総括としての政治活動を、まさにこれからさせて頂きたいのです。

この私の責任を全うできないまま、雑巾の使い捨ての如く扱われることには憤りすら覚えます。私の心中をご推察頂きたいのでございます。

とは申しましても、これまでご指導頂いた公明党に対して、離党を決断することは断腸の想いでありました。あくまで冷静に穏便に離党の決着をつけたい気持ちでした。太田代表には何度も離党の意志をお伝えしましたが、離党届を受け取って頂くことはできず、預かって頂くことすらできませんでしたので、内容証明にて離党届を提出致させて頂きました。

今、私には組織的にも経済的にも何の支援もありません。しかし、これまで真摯に実績を積み重ねてきた私に、引き続き政治家としての道を歩ませて頂きたく、私を拾ってくれる政党があるかを確かめたい。受け入れてくれる政党が無くても本懐であります。国民の皆様に是非を問いたいのです。

大学での研究から政治の現場まで見極めてきた専門性を武器に、環境政策、農政を充実させること、平和への責任や、焦点となっている諸問題について、取り組み続けたい意志は固く変わりません。

改めて、皆様の一層力強いご支援を賜わりますよう心からお願い申し上げます。

平成19年6月15日

参議院議員 福本 潤一
 
※ 以下は、党代表宛に提出致しました離党届です。(ここをクリックしてください)
 
≪HPは、順次修正いたしますので、何卒ご了承くださいますようお願い申上げます。≫



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