NHK裁判で「期待権」認定
昨日(30日)の新聞のニュースで、放送人にとって重要だったのは、東京高裁がNHKに200万円の支払いを命じた「番組改編」訴訟だろう。
注目すべきは、この判決で、原告側の「期待権」が改めて認められたことだ。(izaの論評、朝日新聞サイト参照)
期待権とは、朝日新聞によると「将来、一定の法律上の利益を受けられることを希望したり期待したりできる権利」という。
この裁判に即していえば、取材された側が、こんな番組になると期待したが、それが破られたことが、「期待権」の侵害に当たると認定されたわけだ。
もちろん、どんな場合でも、テレビや新聞に取材された側が、期待と違っていたから、「期待権」侵害だと訴えることができるわけではない。
今回の場合は、取材にあたったNHKの孫請け会社が「番組提案票」を取材される側に示し、「法廷の状況をつぶさに追うドキュメンタリー番組にする」旨を、いわば約束したのに、NHK側が、国会議員などの意図を「忖度」して、番組を改変したという特段の事情があったため、「期待権」の侵害が認められたようだ。
今朝の毎日新聞の社説では、判決の趣旨を「取材する側の言動などから、取材される側が(番組内容に)期待を抱くのもやむを得ない特段の事情が認められるときは、番組制作者の編集の自由も一定の制約を受ける」という形で引用している。
さらに判決は、期待権を考える対象を「ドキュメンタリーまたは教養番組」をあげ、「ニュース番組」とは区別しているという。いろんな限定条件をあげた上での「期待権」である。
しかし、それでも、「放送される」側の期待権が認められたのは大きな意味があると思う。
これまで、放送される側、取材される側は、どのような形で編集され、テレビや新聞に発表されるかは、マスコミ側に主導権があり、不本意な形で放送(報道)されても泣き寝入りのケースがほとんどだったと思われるからだ。
「期待権」が乱用されるのは困るが、放送(報道)する側は、される側の立場を、きちっと尊重する、謙虚さ・慎重さが求めらるだろう。
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