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春秋(10/16)

 題は「夕暮れ」。A4判ほどの大きさの画面に描いた同心円は、ドーナツの平面図にしか見えない。これを熊谷守一は自画像と称した。作家の武者小路実篤は「そんなアホらしい絵をよく平気で(展覧会に)だすな」とあきれたそうだ。

▼文化勲章も叙勲も辞退し1977年に97で亡くなった画家は晩年、単純化された塗り絵のような画風に加え風貌(ふうぼう)や日々の暮らしぶりから画壇の仙人と呼ばれた。もっとも本人は「お前は仙人だから……といって、ズルイことを」何回かされたので「身構える感じになる」と本紙「私の履歴書」に書いているが。

▼「夕暮れ」をはじめ熊谷の絵や書を楽しめる、親族運営の個人美術館が来月から東京・豊島区立になる。また没後30年展が全国4会場を回る予定で開かれていて、多くの作品集が今も書店に並ぶ。時を超えて持続する魅力の源泉になっているのは、作品の個性もさることながら、超俗を貫いた生き方ではないか。

▼「私は、誰が相手にしてくれなくとも、石ころ一つとでも10分暮らせます。石ころをじっとながめているだけで、何日も何月も暮らせます」。最終回にそう記した、この人の「私の履歴書」を読み返すとき、「それ自体が芸術」という生き方が確かにあると思える。10月も、はや半ば。秋闌(た)けて、芸術に親しむ候。

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