2007/10/13  マネーボール

 本日の中国新聞で、広島カープの松田オーナーが低迷したカープの一年間を総括しながら、「自前で育てた選手で、マネーボールをしている球団に挑んでいく。それがセリーグでの広島の存在感であり、役割だと思っている。その信念、伝統を貫いてつかむ栄光だからこそ、本当の価値がある。」と言っている。
 いい言葉ですね、ベースボールをマネーボールに変えてしまった日米の野球界の猛省を促す言葉です。スポーツの楽しさを金儲けの楽しさに変えてしまっては、全てのスポーツモラルを破壊する。こんな所までグローバリズムと格差社会が持ち込まれて大丈夫なのか。  
 大リーグ入りで金儲けに奔走する選手を、日ごろ愛国心の育成を求める人たちが、「愛国心がない、教育がなっとらん」と批判しないのも不思議な現象だ。

2007/10/12 信用できぬ自白

強姦と強姦未遂で富山県警に逮捕され、実刑判決の服役後真犯人が現れ、無実とわかった柳原浩さん。その再審で無罪の判決が出ても当たり前だが、何故こんなでっち上げが警察、検察、裁判所と通過するのかを解明しなければ裁判の意味がない、反省のなさにはあきれてしまう。
たまたま真犯人が名乗り出たり、判明したりして無罪となったケースは多い。しかしこうした幸運なケースはまれであろう、つまり誤審による冤罪の被害者は大変な数にのぼっているのではないか。
冤罪のほとんど、今回の柳原さんのケースもそうだが、警察の筋書きどおりに自白調書を認め、それを検察も、裁判所も疑いを持たず、最後は被告本人すら裁判で認める証言をするのである。本人が何故、検察でも裁判でも自分にとって不利な事実でもないことを認めるのか、そのことに疑問をもつようでは、個人の無力さと権力の恐ろしさを知らない人だろう。
最近の司法界を見ていると、本当に人間と言うものを知っているのかと思わせる。法律を丸暗記するのが法律を知ることではないだろう。法律とは人間社会の合法則的運営と発展のためにあるのではないか、そこでは人間個人と権力がどのような対比状態、また力関係に置かれていて苦しんでいるか、人間を描いた小説でもたくさん読まれたらどうか。
テレビで毎日のようにふざけた言論に時間をつぶしている弁護士さんたちがいるが、少しは人間の生き様や心理状態を知るためにも、法律だけでなく権力が国民に命を捨てることを強いた力戦争中も含めて、人間を描いた小説をたくさん読んだらどうだろう。
光市の母子殺害事件の少年が、差し戻し裁判で今までの証言を覆した。これは弁護団の誘導によるものではないかと疑る人がいてもよい。しかしこれを今までの証言は警察のシナリオ通りに誘導された自白であったと考えても何ら不思議はない。
橋下弁護士のように、弁護団の誘導によるものと決めつけてかかることこそ、際限のない冤罪を生む根拠であると考える。


2007/10/9   教科書1行を元に戻すための集会

 書くのが遅くなったが、沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題で、検定意見の撤回を求める超党派の沖縄県民大会(9月29日)は、考えてみれば、教科書のほんの1行を元に戻すために、住民が決起した集会だった。
 この集会で男子の高校生が、「教科書は、おじい、おばあがうそを言っていると書く」といった言葉に全てが凝縮されたと思った。
 高校生は国の言葉を信じず、おじい、おばあの言葉を信じた。日本国大本営発表より、肉親の言葉を信じると言う当たり前の人間に育っているということ、すばらしいことです。
 大体、戦争中に発生したのあれこれの出来事を証言する者の口をふさぐように「そんなことはなかった」などという断定を、国がおこなう資格などない。それより大本営発表で国民をだましつづけたことの反省からはじめなければならないだろう。
 それにしても産経新聞が「集会参加者11万人は誤り」というのを1面トップで報じたことにはおどろいた。こんな事をトップ報道するのは何がねらいなのでしょう。
 私も主催者発表の数字はあまり信用していない、というより事実を誇張したり、成果を実体以上に誇示することは、日本国の大本営発表とうそを競い合うことになる。そんなに悪質ではないが許してよいとは思わない。正直に実数を発表してよいではありませんか。
 参加者数は私にはわからないが、あの集会が政府を揺るがす大集会だったことは間違いない。しかし産経の記事のように問題をすり返られるようなスキがあってはならない。すりかえた者を許すわけではないが。


2007/10/1 上関町長選挙

町長選挙は残念だった。原発推進派の得票は11票増えたが、反対派の得票は390票減った。
推進派や山口県が小躍りするのだろうか、中電も喜ぶのだろうか。原発建設の準備が着々と進み、住民の中にはあきらめもあるだろうし、これ以上もませたくないと言う気持ちもあるだろうが、このような形で事態が進んでよいのだろうか。

 自治体が金で買われているとしか思えない、それも2000人に満たない上関住民だけである。
私のような周辺の住民はどうなるのだ、もちろん利益はなにもなく、事故の被害だけは間違いなく及ぶ。その不安料は、精神的苦痛はどうしてくれるのだ。

 町長候補に立候補した山戸孝氏は、農漁業による町おこしを目指してUターンした。現実に1次産業による事業での自立を実践している。地元にとっても山口県にとってもこんな貴重な人材がいるだろうか、こんな意義のある実験があるだろうか。
 それを目先の金に目のくらんだ人たちがよってたかってつぶしているとしか思えない。原発が動き出してから、農漁業による自立を成り立たせるのは困難だろう。
世界中の食料危機がせまっている、県知事も国の政治家も、農漁業と若者の生きがいをつぶす、こんな世の中を作ってどうしょうというのだろうか。

2007/9/25 上関町長選挙
 市議会の間に、国政の場では世の中がすっかり変わってしまった。安倍退陣の無責任さを批判する間もないうちに、事態は福田政権に移ってしまった。
 そして原発問題も柏崎刈羽原発の事故の内容がわからぬうちに、いったい原子炉内はどうなっているんだと思っているうちに、上関では町長選が始まった。
今日は告示日、山戸たかし候補の出陣式に出かけた。



 原水禁など少し疑問を感じる挨拶もあったが、山戸候補の挨拶に感動した。30歳と言う若さがよい。今までの原発反対と少し視点が違う、つまり自分たちがふるさとを育て、まちづくりを行う、そこに土着する決意があって「原発に頼らない」政策を打ち出しているのだ。
 農漁業によるまちづくりも自分が祝島で実践しているだけに浮ついた政策ではない。中電の3億円の寄付についても、「上関にはお金で変えない価値がある」と明解、どこにもない上関の価値を訴えて、一流の田舎と言う言葉もすばらしい。こういう若者たちが本当に生かせる山口県ならすばらしい地方自治が栄えると思われるのだが。



周南市議会議員 伴よしとも(伴凱友)
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