広告は、ラブレターからデートへ進化する
「広告は企業から消費者へのラブレターだ」と、昔、しばしば聞きました。 たしかになぁ、と思いながらも、今、あらためてこの言葉には違和感をおぼえます。 20世紀型マスマーケティングにおいては、たしかにラブレターという例えが一番正しくて、コピーライターやアートディレクターといったクリエイターは、企業の想いが伝わりそうなラブレターを作成してあげる、「ラブレター代筆業」だったとも言えます。私のようなCMプランナーは、「ラブビデオレター代筆業」といったところでしょうか。 ただ、単なる街角のラブレター代筆屋ではなく、テレビや新聞といった、マスメディアとセットで動く「代筆ビジネスモデル」であることもまた、憶えておくべき重要なポイントなのですが、今回はその話はあまり踏み込まないことにします。
ワンウェイマス広告の黄金期に、企業からのラブレターの代筆の名手はたくさんいて、コピーライターなら、秋山晶さん、仲畑貴志さん、糸井重里さん、アートディレクターなら、細谷巌さん、大貫卓也さん、葛西薫さんなど。 こうしたマエストロの手によって、「作品」として美しいラブレターが、たくさん世に出されてきました。 でも、広告がワンウェイの「ラブレター」だけでは、もはやなくなってきているのもまた事実。 インターネットの出現によって、ラブレターの受け手であるユーザーが反応を企業に直接、返してくる。しかも、ブログなどでの反響が、次々とつながっていく中で、時としてマスメディアを超える大きな声になることもある。 そんな時代の大きな変化の潮目に私たちは今、立っているのです。 そうすると、一方通行のラブレターは、なくならないにしても、今後は主役の座から降りていくのではないか、そんな気がしています。 むしろ、企業と消費者は、いっしょに街へ出かけてコミュニケーションをする。それが広告の根幹になっていく。 例えて言うなら、これからの広告は、かつてのラブレターから、デートに進化する。 これが、私の提唱する「広告デート論」です。
今も、昔も、これからも「僕を好きになってください」が目的なんのために広告をするのか。 広告の目的は、今も、昔も、これからも、宣伝する商品や、その企業のことを、消費者に好きになってもらうことです。それはこれからも、変わりません。ただ、方法論が変化しているのです。 もはや、無理矢理、「広く告げ」ても、とっぴな表現で驚かせても、ダメです。テレビCMでブランドを垂直立ち上げするような短期勝負ではなく、長期で考えなくてはならない時代です。絨毯爆撃型のCM投下は、コンビニのフェースをとるような流通対策的な意味はあっても、日に日に消費者にはあまり関係がなくなってきています。 むしろ、企業が発信しているメッセージは、ホンモノなのかどうか? その言葉は、社外のコピーライターが書いた「美しく、うまい言葉」というだけでは、消費者はもはやダンスフロアで一緒に踊ってくれないのです。企業として責任をとらない「軽い言葉」を消費者は鋭く見抜き、叱りつけてきます。
小林秀雄を聞いてみてください「愛読書は小林秀雄です」。そんな風に言えたらカッコいいなぁと、学生時代によく思いましたが、結局のところ、感想はいつも「たいへんよく眠れました」でした。『無常といふ事』『モオツァルト』『考へるヒント』、どれも途中で挫折しました。 しかし今、講演を収録したCDをiPodで聞くと、けっこう理解できるから不思議です。その中のひとつ、『信ずることと考えること―講義・質疑応答』(新潮CD 講演 小林秀雄講演 第2巻)で、小林秀雄が次のように語っています。 「言葉がねぇ、多すぎるんだよ。信じることっていうのは、責任をとれることなんだよ。責任とれないようなことを、軽々しく言うもんじゃあないよ!」 次ページ以降は「NBonline会員」(無料)の方および「NBonlineプレミアム」(日経ビジネス読者限定サービス)の会員の方のみお読みいただけます。ご登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。 |
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