奈良県の自宅放火殺人事件で中等少年院送致となった少年を精神鑑定した医師が、奈良地検に逮捕された。少年の供述調書などを女性ジャーナリストに見せた刑法の秘密漏示の容疑だ。
この問題は表現の自由への影響が大きく、私たちは公権力の行使は慎重にと求めてきた。鑑定医は任意の事情聴取に「コピーをとらない」などと再三依頼を受けて調書を見せたことを認めたという。既に家宅捜索も行っており、逃走や証拠隠滅の恐れはないのではないか。捜査上、逮捕の必要があったのか、疑念がぬぐいきれない。
こうした状況での鑑定医逮捕は、内部情報提供者に対する一罰百戒的な見せしめの感が強く、納得できない。言論の自由やジャーナリズム活動に対する威圧と認識されてもやむを得まい。
ジャーナリストが調書を著書にそのまま引用したことで、少年や家族のプライバシーが暴露されたのは事実だ。
だが、重大な結果を引き起こした少年事件の背景や経緯を明らかにして社会全体で再発防止を目指すことにも妥当性がある。
それと、秘密を漏らした鑑定医を刑事事件に問い、逮捕することのどちらが、より公益性が高いかは、国民の議論の中で決めていくべきことだ。
ジャーナリズムの大きな役割は権力の監視であり、社会や組織の不正や不条理を正すことにある。うみを出すためには、内部情報の入手が不可欠だ。内部告発者の保護を定めた公益通報者保護法も、法で認められる通報先に制限こそあれ、こうした公益性を重視して生まれたものだ。
自動車や電化製品の欠陥や食品の消費期限のごまかしなど、内部情報の発覚が契機となった事案はいくらでもある。
逮捕された鑑定医の意図がどこにあったかは今のところ明らかではない。検察が逮捕に踏み切ったことは内部からの情報提供を萎縮(いしゅく)させる効果を招く懸念がある。ひいては、公権力の監視というジャーナリズムの機能の否定にもつながりかねない。
今回の場合、取材や表現方法にも重大な問題がある。著者は「取材源については命を差し出しても言えない」と述べている。だが、調書をそのまま引用したため、掲載された調書の範囲から取材対象が容易に特定された。情報源を守れなかった責任は重い。
調書の発表方法や内容について情報提供者に十分説明し、納得を得ていたのかも疑問だ。調書をそのまま公表することで真実を正確に伝えることができると判断したとしても、そのために情報提供者に不利益が及ばないよう、最大限の配慮が必要だ。この点はジャーナリズム全体が自戒しなければなるまい。
報道・出版や表現の自由は最大限認められるべきだ。行き過ぎた公権力の行使は、権力の恣意(しい)的な情報規制や監視の強化につながる。公権力がジャーナリズム活動に圧力をかけることがあってはならない。
毎日新聞 2007年10月16日 東京朝刊