【ご報告】9月27日に買った本

早稲田青空古本まつりへ行く。人間などいとも容易に変わってしまう。
学生時代は古本など見向きもしなかったわたしが、しかしこうも変わろうとは。
大学を卒業してどのくらい経ったころだったか。
新品の本を売っている書店にあるものだけが書物ではないという事実に、
それはもう打ちのめされたものだ。
いまでは、こう思っている。
すなわち、書店で買える本など、実のところ氷山の一角に過ぎないのではないか。
そんな一部分しか見ないで、本はおもしろいだの、つまらないだの論じるのはダメよ。
本というのは新刊書店に並ばなくなったそのときから
独自の歩みを始めるのかもしれない。

初日だからであろう。ひどい混みようである。
なにごとも期待しないことがいちばんである。
なにも夢見ていなければ、現実に落胆することもない。
どうせこの古本まつりでほしい本など1冊もないのだろう。諦観こそ幸福への裏門である。
しかし、これはなんだ〜。

「蜘蛛の巣 ユージン・オニール一幕劇集」(京都修学社) 3150円

ユージン・オニールですよ!
ええ、だれも知らないでしょう。それでよろしい。わたしだけの作家なのだから。
将来、出世したのち、好きな作家を聞かれて、ユージン・オニールと答えるのが夢である。
ストリンドベリでもいい。質問者が戸惑う顔をいまから想像している。
ユージン・オニールとは、そのような作家なのである。忘れ去られていなければならない。
だれだと思う。だれが発掘しやがった。
解説を読むと、甲南女子大学大学院のみなさまのようである。
まったく、余計なことをしやがって。
出版されたのは今年の3月。わたしがベトナムをふらふらしていたころだ。
知らなかったのも無理はない。そもそもこんなマイナー本がどれだけ出版されているのか。
もしや1000くらいではないか。いんや、少なくとも3000部は出ているのか。
しかし税込み定価が7140円もする戯曲集を、一般読者が気軽に買うとは思えぬ。
オニールの一幕劇をすべて翻訳収録しているようである。全20篇。
そのうちの10くらいは古い訳で読んでいる。いや、もっとかな。
しかし、オニールと銘打っている以上、心酔者は無視するわけにはいくまい。
いくら半額以下とはいえ3150円は厳しい。古本でこれはないだろう。
だが、あのユージン・オニールだぞ。おまえが全存在を揺り動かされた作家ではないか。
買おう。物書きとして生きることを夢見る人間が書籍代をケチってどうする!
思えば、これでテンションが高まったのだと思う。

さらに古本を物色していると不愉快な人間に出会う。
いきなり背中を押され、その場をどかされる。
このような古本関係の催事でトラブルは決して少なくはないが、
ここまで強引なのは初めて。
つまり、である。わたしがある棚を見ていた。タックルされてその場を動かされた。
ふりかえると中年男性が反対側の本棚を見ている。
黙っているわたしではない。
「すいません。いいですか。ちょっと、あなた。あんまりじゃないですか」
相手は反対側を向いている。こちらを向こうともしない。
「あまりにも自分勝手ではないですか。わたしが見ていた。あなたが強引に侵入した」
日本人なんだな、と思う。日本人は第三者から話しかけられることを忌み嫌う。
知り合い以外とは話さないのが老若男女、日本人に共通するところである。
いくら抗議しても相手のおっさんは無視している。
何度でもよくよく断わりたいが、わたしは無意識にやったのである。
手に持っていたオニールの分厚い本で、後ろ向きのおっさんの頭をぽかりとやった。
相手の身長が低かった。頭部が見えた。ついぽかりとやってしまった。
殴られたら、このおっさんも口を開くわけである。
「なにも殴ることはないだろう」
これが第一声だった。
「言葉が通じないと思ったんだ」
わたしは結構な長身である。
「このやろう、このやろう」とおっさんがうめく。
「なんだ、おい」
「名を名乗れ。名前はなんという」
正直に本名を伝える。
「いいか、おまえ。おまえは一回、おれを殴った。おれも殴り返すからな」
ここでぶち切れるわたしである。
「ああ、やれるものなら、やってみろ。殴れよ。
ちょっとでも手をだしたらおまえをぶっ殺すからな」
じぶんの口からごく自然に「ぶっ殺す」が出てきたことに我ながら驚く。
だが、このようなケースで、ふきだしてしまったら負けである。
おそらくわたしの目が狂っていたのだろう。
相手の中年男性はなにもせずにその場をあとにした。

なんらかの自慢をしたいわけではない。
おそらく危険なほどにわたしが狂っていた。相手が恐怖した。そういうことであろう。
正しいかどうかを問題にしているわけではない。
わたしが正しかったと主張するつもりはまるでない。
それぞれ言い分があるのである。
もしかしたら相手が正しかったのかもしれない。
ここで書きたいのは、おのれの業である。宿業。
ふつうの人間は、こういうことがあっても我慢する。ぽかりとやらない。
しかし、やってしまうわたしがいる。文句を言われたら「ぶっ殺す」とすごむ。
もしこのときあの男性がわたしに手をだしていたら、あるいは殺していたのかもしれない。
それが怖いのである。
ひとは殺人者の気持がわからないという。ところが、ここにわかる人間がいる。
あのとき、おっさんがわたしを殴っていたら、果たしてどういう対応にでたか。
もしかしたら殺していたのではないか。
相手の頭部を本でぽかりとやってしまうわたしである。
いつひとを殺してもふしぎはないではないか。
どのように話をまとめたらいいのか、いま困惑している。
思えば、劇作家ユージン・オニールの描いた世界はこのようなものであった。

周囲からの注目を浴びているがわたしは気にしない。
このような愚かな生きかたしかできないのである。
この紛争で古本のツキが落ちたかと思ったら、そんなことはない。

「井上靖 文学語彙辞典」(巌谷大四編/スタジオVIC)絶版 600円
「祈りのブッダ」(奈良康明/NHK出版)絶版 500円
「マンガ 中国の歴史がわかる」(たかもちげん/三笠書房)絶版 200円
「現代世界演劇15 風俗劇」絶版 700円


井上靖のは、いわば名言集である。
よくもまあ暇人が、と感心して購入。著者は在野の井上靖ファンであろう。
ブッダ写真集は、どうにもほしくて。
写真を撮らない旅をしていたせいか、かつて訪れた場所の写真には弱い。
中国の歴史はいくら勉強してもわからない。ならマンガはどうかという窮余の一策。
現代世界演劇はほそぼそと集めている。この巻ではノエル・カワードの劇作が気になる。

いくつもの古本屋が集っているわけである。
古本屋のあいだの無駄話を盗み聞きするのが楽しい(ごめんなさい)。
むかしビックボックスでやっていたときとは、料金体系が違うようである。
この形態だと、損をする古本屋もいるようだ。
古書店のみならず、ひとが集まるとどうしてもトラブルが生じる。
「どうせ売れないからさ」
こんなことを大声で言っている店主もいる。
「売れないから、徹底的に安くしたけれども、それでも売れない」
同業の古本屋に話しているのである。
聞きながら、思わず笑ってしまう。古本屋さんの、こういう庶民的なところがいいよな。
どんないい本でも売れなければ、かれらの利益にはならない。
本を買いたいと思う。買うためにここまで来ているのである。

「シナリオマガジン ドラマ 1984年1月号」品切れ 150円
「シナリオマガジン ドラマ 1987年1月号」品切れ 150円


これで山田太一ドラマ「演歌」「礼文島」のシナリオを入手したわけである。
ああ、読むのが楽しみ。わたしは収集家ではない。あくまでも読書家なのである。
これで終わってもいいのだが、まだ時間がある。ブックオフ早稲田店へ。
引越しのとき、大量の本をここへ捨てたのだった。少しはリターンがほしいものだ。

「旅行会話 中国語+英語」(ブルーガイド) 105円
「たとえば純文学はこんなふうにして書く(女性文学会編/同文書院)絶版 105円
「図解雑学 政治のしくみ」(石田光義/ナツメ社) 105円
「新藤兼人 人とシナリオ」(シナリオ作家協会)絶版 105円


最後のシナリオ集は、あれだな。
いくらなんでも定価3500円の本をいきなり105円に落とすのは問題じゃないか。
いや、つい買ってしまったのだが。
本を買う快楽に脳がいかれてしまったようである。紅書店。

「日本仏教の開祖たち」(ひろさちや/新潮選書) 105円
「日本の名随筆 美談」(江国滋編/作品社) 210円


高田馬場に向けて歩きつづける。古書現世。

「作家の誕生」(猪瀬直樹/朝日新書) 350円
「花過ぎ 井上靖覚え書」(白神喜美子/紅書房)絶版 500円


「花過ぎ」はおもしろそうな本である。井上靖の元愛人による暴露本。
ネットで調べたところ、この暴露本で興醒めした井上靖愛読者も少なくないようだ。
性格が下品なのであろう。このような暴露本は好んで読む。
先ほどの早稲田青空古本まつりでもらったカードを見せると100円おまけしてくれた。
100円でも値引がうれしいわたしである。
最後はブックオフ高田馬場店。

「インドがやがや通信」(インド通信編集部/アジア・カルチャーガイド)絶版 105円

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