「阿賀に生きる」

きのうムー大陸さんと酒をのんだ。
かれはわたしの数少ない友人のひとりである。
というか、このような告白はかなり自虐的だが、
わたしの葬式に来てくれそうなのは、いまのところかれ以外には思い当たらない。
思えば、このブログを開始したきっかけもムー大陸さんだった。
いちからブログの作成手順を教わったものである。
はじめてネットを介しての出会いを経験したのもムー大陸さんだった。
なのに、わたしはである。
初対面の男性の頬をはり、酒を顔にかけた。怒鳴った。「おまえになにがわかるか」
かれも負けじとわたしの顔を容赦なく叩いた。それもまたうれしかった。

ゆうべである。「あれがよかったね」とわたしは言った。
「なにが?」
「はじめてムーさんと会ったとき。あれがいちばんよかったかもしれない」
「おれは最低だったけどね」
たしかにそうである。かれはわたしから殴られた。酒をかけられた。
我われは悪名高き2ちゃんねるで知り合った。
ならば、このような殺伐とした邂逅も、おもむきぶかいのではないか。
こう思っているのはわたしばかりであろう。

ムー大陸さんに限らず、ひとと会うときは過剰な演技を求めてしまう。
わたしも演技をする。だから、相手にも演技をしてほしい。
ふたりでひとつの芝居を完成させませんか、なんて思ってしまうのである。
そうとうに芝居がかったことをやる。
泣く、怒る、笑う、すべてが過剰である。芝居気がぷんぷんなのだ。
だれもこんな芝居につきあってくれるわけがない。
「あなたは他人に多くを求めすぎている」
これをムー大陸さんから言われたのは何度目だったか。
この日もわたしは酒をのみながら泣いた。
むろん、芝居である。通俗的な酒会をよしとしなかったのだ。
なんらかの嵐を起こしたい。現実を揺さぶりたい。ためしに泣いてみた。
泣きながら、笑いがそこまで迫っているのである。
「うっそぴょ〜ん」と笑いだしたくてたまらないのである。
ぐっとこらえ相手を観察する。なにかお芝居をしてくれませんかね。
仕事帰りで、おかたいスーツを羽織ったムーちゃんは微動だにもしなかった。

新宿で会ったのだった。「一休」「清龍」と最底辺の居酒屋をはしごした。
ツタヤへ向かった。
ムー大陸さんはわたしに、小川紳介のドキュメンタリー映画を観なければならないという。
残念ながら、ツタヤにはなかった。
そこでおなじくドキュメンタリー映画の「阿賀に生きる」が登場した。
この映画を撮った監督である佐藤真とムー大陸さんは、かつて深い縁があったようである。
わたしはこのような因縁で映画「阿賀に生きる」を観た――。

「阿賀に生きる」の感想を述べる。最低の映画というほかない。
このドキュメンタリーのテーマは水俣病。
映画の売りは製作手法である。製作スタッフは7人。
3年間、田舎へとじこもって民衆と生活をともにしながら撮影したというのが自慢らしい。
危険な発言をしてしまうと、おまえらは3年かけてもこの程度の映像しか撮れないのか。
いかに民衆とやらの生活がつまらないのかの証拠でもあろう。
いくら公害に苦しんでいようが、そこらへんの庶民を撮影してもおもしろくはない。
庶民の生活ほどつまらないものはないのである。
ふつうのひとの生活をどう加工してもつまらない。
しかし、映画監督・佐藤真の理想は屈託のない庶民のおかしみである。
水俣病という悲哀を背景に、なおも笑いつづける庶民。
佐藤は膨大な撮影済みフィルムのなかから、
おのれの理想に適合するシーンを取捨選択する。
それらをつぎはぎすれば1本の映画の完成である。
かくして映画「阿賀に生きる」が出来あがった。
左翼関係者は民衆ほど美しいものはないと泣くのかもしれない。
この映画では、名もなき庶民の労働しているシーンが多く映しだされる。
さあ、泣いてください。懸命に生きる庶民がなにゆえ苦しまなければならぬのか。
しかし、きみたちは励まされなければならない。
このような苦難にもめげず、庶民はどれだけ力強く生きているか。
かれらのしたたかさを我われは愛さなければならない。
庶民バンザイだ。労働者よ立ち上がれである。
啓蒙を好む左翼の悪臭に顔をしかめる。
どれだけ批判しようがどうしようもないのだ。この映画監督はすでに没している。
今年の9月に自殺した。鬱病だった。4階から飛び降りた。絶命した。

わたしはムー大陸さんに聞いた。
「周囲から自殺者が出たのは初めてですよね。どんな感じですか。
死生観は変わりましたか」
ムーちゃんは演技を忌み嫌う。あたかも「阿賀に生きる」の登場人物のようである。
かれらは演技をしない。芝居気がまるでない。凡庸なことしか話さない。
「実感がわかない」とムー大陸さんは言った。
「死というのも、よくわからない。こんなものかというさめた思いしかない」
思いのほか映画監督・佐藤真の影響を受けているのかもしれない。
しかし、もしわたしが映画監督で、水俣病をテーマにしていたら――。
奇形の身体障害者がわんわん泣きながら苦しむすがたを撮影したことであろう。
「阿賀に生きる」にそのような映像があれば、わたしも少なからず胸打たれたことと思う。
だが、佐藤真はそれをよしとはしなかった。
おそらく芸術を気取ったのであろう。むかむかする精神というほかない。
お上品でご立派なことで。
芸術家は自殺を選択する。お別れパーティーには400人も参加したようである。
ムー大陸さんもそのひとりだった。

かれはわたしに、人生こんなものだという。人間に期待するなという。あきらめろという。
待ち合わせの時間が早かった。居酒屋がやっていない。
ふたりは駅前で缶ビールをのんだ。ムーちゃんは宝くじを1枚買った。
「これで2億円が当たったら山分けすることになるのかな」
これは、いわゆる共産主義、左翼の思想なのだろうか(笑)。
このようなことをいうムーちゃんがやはり好きだと思った。

COMMENT

なんだかなぁ URL @
10/11 19:55
特殊な方ですね. comment
>しかし、もしわたしが映画監督で、水俣病をテーマにしていたら――。
>奇形の身体障害者がわんわん泣きながら苦しむすがたを撮影したことであろう。
>「阿賀に生きる」にそのような映像があれば、わたしも少なからず胸打たれたことと思う。

AVの好みを力説されてますが、
もしかしてレイプもののアダルトビデオが好きですか?

ビデオで我慢してくださいね。
実演は犯罪です。
Yonda? URL @
10/11 21:11
なんだかなぁさんへ. 

書きかたが悪かったかもしれません。
アダルトビデオ全般が嫌いなのです。
なるほど URL @
10/12 09:32
ほんと特殊ですね. comment
アダルトビデオよりコンビニコミック派ですか。

>(コンビニコミック)
>10円×46

すごいですね、ほとんど中毒じゃないですか。
胸打たれるのはいいんですけど、
実演はしないで下さいね。
なるほど URL @
10/12 12:18
あと、思うんですけど、. comment
感覚が徹底的に即物的ですよね。
情操発達の段階に問題があったのでしょうか?

美味しい→高額であるほどよい
演技する→泣き叫べば叫ぶほどよい
ファッション→高級ブランドであるほどよい

……口の臭さに気づけない自称映像系(笑)の中年が
居酒屋でしたり顔の遠い目をして、
「死というのも、よくわからない。こんなものかというさめた思いしかない」
と、身近なステージから最大限に成功した人の転落について話すのは、
ものすごい爆笑演技だと思うんですが、そういう面白さ分かりませんか?

やっぱし、うめきが足りませんか?
Yonda? URL @
10/14 21:49
なるほどさんへ. 

きみもうちへの粘着が長いね。
IPを見るとご近所さんみたいだし、一度会わないか?








 

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