「仏教伝来」

「仏教伝来」(白川義員写真展)

→展覧会の図録。インドから日本まで仏教ゆかりの地の写真が盛りだくさん。
写真や絵画のことはまったくわからないので、作品を批評するのはとうてい無理。
思うのは、懐かしいな。けっこう行ったことのある場所が登場する。
くだらないことを聞いてもいいかな?
みなさまはどちらの人間の発言を信用しますか。ふたつにひとつ。
そうだな、たとえばインド。
インド関連の書籍を読みあさっている人間がいる。
もうひとりはインドの本など読んだことがないけれども、実際にインドへ行ったことがある。
ふたりがインドについて語っていたとする。
みなさまならどちらのインドをホンモノだと思われますか。
仏教でもおなじことである。
仏教学者だが信仰に乏しい秀才。無学文盲にもかかわらず信仰に篤(あつ)い市井人。
どちらが仏教を知っているかという問いへの回答は決まっているのである。
だが、どちらが仏教の真髄を理解しているか。どちらが幸福か――。

宗教が学問ではないのは、知識だけではどうにもならないからである。
宗教においては、「知る」よりも「信じる」のほうが重要な問題なのだ。
いくら知識を吸収したところで信仰へ行き着かなければなんにもならない。
仏教でいえば、知るという行為は、どんどん信じるから人間を遠ざけるのではないか。
たとえば我われは親鸞よりもはるかに多くを知っているのである。
しかし、親鸞の小指の先ほどの信仰すら持つのが難しい。
親鸞は知らなかったのである。
師匠の法然が間違えていたことを。法然が信じたところの善導の無知を。
つまり、釈尊そのひとが決して浄土など説かなかったことを。
知ることのいかに空しいことか。人間には決して知りえないものがあるのだ。
その大いなるものに畏怖するのが信仰ではないのか。
無知を定められた人間が全知にひれ伏すのが信仰ではあるまいか。
このような宗教観があるので、知にこだわらぬよう、
たまに活字の少ないこのような写真集を見ている。
知るのではなく、仏教を味わおうとしている。

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