「なんだか人が恋しくて」(山田太一/「月刊ドラマ」1994年4月号/映人社)品切れ
→平成6年放送作品。単発ドラマ。
生徒から嫌われている高校教師がいる。中年男性。
マジメ一徹で校則に厳しいからである。
規則は規則だ。守らなければならない。
それは金八先生のように生徒と心をぶちわってつき合いたい。
けれども、教師がみんなそうなってしまったらしめしがつかないじゃないか。
人気者の教師は、嫌われものの存在を前提にして輝くのである。
堅物教師を演じるのは平田満――。
平田の勤務する女子高の生徒が恋人と一日旅行に出る。
校則では不純異性交遊は禁止されている。
休日に遠出するときも制服を着なければならない。
さて、教え子の女子高生が校則を無視してボーイフレンドと小旅行に出ると、
皮肉なめぐりあわせで電車のなかで平田満と会ってしまうのである。
しかし、その日の平田満はなにも注意をしない。謎である。ミステリー。
なぜだろうと教え子が勘ぐることからドラマは開幕する。
平田満にもやましいところが会ったのである。
平田満は若いころ教え子の女子高生と恋に落ちたことがあった。
もちろん、キスくらいが精一杯の関係である。
教師になってすぐに教え子と結婚するのがなんだかみっともないような気がして
平田満は生徒との関係を解消してしまう。その教え子はすぐに見合いで結婚してしまった。
ところが、その旦那が病没したと平田満は耳にしたのである。
かれには妻も子もいる。けれども、会いたい。会って、会って、とにかく会いたい。
そういう旅だった。だから、教え子の校則違反を発見しても注意できなかったのである。
ひょんなことから高校生カップルと堅物教師がともに旅をすることになる。
酔った平田満がとうとう生徒に腹を割って、旅行にでた事情を話す。
いまでも迷っていると。会いにいっていいものかどうか。
教え子の女子高生が先生に意見する。
「先生は、明日、その人と金沢で逢われるといいですッ(「なにを――」)
逢うだけなら、不倫っていうわけじゃないし、十七年も我慢して、今度も我慢して、
学校でも我慢して、そんなんして生きとることないじゃないですか」(P104)
結末をばらすと平田満はかつての教え子と再会するが、彼女には再婚相手がいた――。
そうそううまくいくものではないのである。
あらためて山田太一ドラマのキーワードは我慢だと思う。
我慢して、我慢して、それでも我慢する人間が、耐え切れないように飛びだすものの、
人生は映画のように都合よくはいかない。山田太一はそんな人間の悲哀を描く。
なぜならテレビのまえの視聴者もたいがい毎日が我慢の連続だからである。
我慢というのは日本人ならではの言葉なのではないか。
語源を調べると、我慢の本来の意味は自慢なのである。仏教用語である。
「我ヲ慢ズ」とは「我をほかのものより高みにおく」ということにほかならない。
すなわち、自慢と意味合いはおなじといってよい。高慢、慢心という言葉からもわかろう。
どういうことか。本来の我慢の意味は、
たとえば黒人詩人ラングストン・ヒューズのいう「ぼくを重んじよ」だったのである。
それが年代を経るにしたがい、現代の意味に変容してしまう。
我慢とは我を高みに位置すること。我が強いこと。強情をはること。
そういう強情な姿勢は周囲から我慢していると見られるといった具合だ。
漢訳仏典の悪徳のひとつであった我慢が、日本では美徳になってしまう。
いや、美徳とまでいうのは行き過ぎかもしれない。
けれども、我慢にはやはり肯定的な意味がある。我慢しなさい。よく我慢した。
自己主張という悪徳が日本の風土を通過するあいだに
いつしか調和という美徳に変化した。
我慢における意味の変遷は、つくづく日本人的だと感心する。
そして、山田太一ほど日本のドラマをうまく描く作家はいない。
山田太一が我慢する人間を好んで描写するわけである。
思えば、明治近代化以降、アジアのなかで日本のみが急速に発展したのは、
この我慢の精神があったからかもしれない。
気がつくと、大衆娯楽ドラマからとんだ日本人論に飛躍してしまったようである。
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