「どこ吹く風」

「どこ吹く風」(山口瞳/集英社文庫)絶版

→山口瞳は女嫌いだけれども、それは女を馬鹿にしているということではない。
むしろ、正反対である。
この作家の胸のなかには確固とした理想の女性がいるのだ。
山口瞳は現実の女が嫌いであるに過ぎない。
逆にこの態度を馬鹿にするのがいまの女ではないか。
女なんてそんなものじゃないと男を侮蔑するのが新しいと考えている女が多すぎる。
女が女を壊しているのである。
わたしは女流作家の描く女性にあこがれたことは一度もない。
女流作家はメスの性悪を告白することが文学だと勘違いしているものばかりである。
かつて女性というのは男女が共有する理想だったのではないか。
女性は男だけのものではない。女にも理想の女性がいてどこが悪い。
理想たらんと思う人間は男女問わず美しいではないか。
だが、山口瞳は理想の女性を描く作家ではない。
かれの小説の主人公は理想の女性を夢見るが現実に落胆する。
いいではないかと思う。理想がなければ現実だけではないか。
現実ばかりじゃ味気ねえ。つまんねえんだ。そこにはときめきもなにもないよ。
男ならだれでも女の汚さくらい知っているのである。
ばれていないと思っているのは女ばかりである。
しかし、だからこそ、汚いものだからこそ、男は女をあがめようとする。
山口瞳の描く男女関係である。

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