「5万4千円でアジア大横断」

「5万4千円でアジア大横断」(下川裕治/新潮文庫)

→今年の5月に出版された新刊である。
プロ作家の書く旅行記はやはりおもしろいと舌を巻く。
例によって酒をのみながら読んだのだが、こんな愉しい時間はめずらしい。
旅行記は難しいのである。ワタシをあまり強く出してはいけない。
読者は旅行をする余裕がないのである。だから読書でまぎらしている。
要は本を読むことで、じぶんも旅行した気分になりたいのである。
だれも他人の旅行になど興味はないということだ。
したがって書き手はなるべくワタシを消すように努めなければならない。
あたかも読み手が旅をしているように思わせる文章を書く。
だが、これのどれだけ難しいことか。
最近、旅行記を書き始めたのでよくわかる(この一文のように「わたしも」を抜く!)。
旅行記だけではなく、およそ商業的文章(売文)において重要なのは、
なにを書くかではない。なにを書かないかである。
素人の旅行記によくあるのは朝なにを食べて、から始まるものである。
あったことを時系列に沿って書くのは容易なのである。
難しいのは書くことの取捨選択である。
(と書くには書いたが、
幾人もの有名な文豪が朝何時起床の旅行記を書いていることも指摘しておく)
みなさまにもかつての旅行を思い返していただきたい。
何時に起きたか、なにを食べたかを、すべて覚えているひとはいないでしょう。
しかし強烈な思い出となっている食事がある。朝がある。
これが旅なのである。旅行記もそのように書かれなければならない。
換言すると、読み手は書き手のスケジュールになど興味はないということだ。
つまり、旅は記憶ではない。ノスタルジーだ。郷愁である。
うちに帰るまでが旅ではない。うちに帰ってから、うちにいるときに、旅の本質がある。
下川裕治氏はそういった旅の醍醐味を真に理解している稀有なライターである。

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