思い通りにならないという「学び」
先日お邪魔したお宅で「珍しい光景」を目にした。
ジイチャンバアチャン2人暮らしのお宅に、ご近所に住んでいる孫娘さん2人が遊びに来ていて、テレビを見ていた。そこへ、僕が「お参り」に登場した。僕がお仏壇の前に座ってお勤めを始めようとしてもテレビを見るのを止めないお孫さん達を、ジイチャンが叱りとばしたのである。「ほら、テレビ消しなさい。こっちに来て、一緒にお参りするぞ!」 孫娘さん達は、見たいアニメを中断させられて不服そうであったけど、ジイチャンに叱られてシブシブ一緒にお参りすることになった。
・・・・・・はい、以上が「珍しい光景」でした。
最近、法事や葬儀の場面でも、子供は「放任」って感じが多い。「叱れない」のである。騒ごうが、歩き回ろうが、そのまんま。子供は無法地帯になると「怪獣」のようだ・・・・。
独身で子供もいないオマエが何をエラソウに、、、と怒られるかもしれないけど、「このまんまでいいのかな・・」という場面によく遭遇する。
ま、自分の「過去」の思い出を語って「現在」を憂いてみてもナンセンスかもしれない。 でも、自分の子供の頃は、親に、兄貴に、兄貴の友達に、学校の先生に、近所のオヤジに、よく怒られたり、叱られていた場面が蘇る。
「食事中はテレビを消しなさい!」 「ヒジをついてご飯食べるのをやめなさい!」 「朝のお勤めの時間だ、起きなさい!」 「何、俺(兄)を差し置いて弟のお前(私)が勝手なことしてるのよ!!」 「はい、反省文書かないとご飯抜きです!!!!」 「きちんと自分の言葉で言いなさい!!」 「忘れ物したんなら、立っていなさい!」 「ダメ!必要ないから買いません!」 「子供だけで行ってはダメ!!」
・・・・・叱られたり、注意されたりするたびに、自分の進んでいる「道」が遮られたような「歯がゆさ」とか「イライラ」がココロの中に起きてきたけど、その中で
「何でも自分の思い通りにはならない、ワガママは通らない、ガマンしなきゃならないこともある」
って当たり前の事を学んでいったのだと思う。家庭の中で「子供」がチヤホヤと主役になる場面は、僕に関して言えばあまり経験してこなかったと思う。
でもこういう事は、今、良い悪いとか一概に言えないから難しい。「いじめ」と「愛のムチ」の境目?「シツケ」と「暴力」の境目? 今は大変じゃ。
話題がガラーーーーっと変わりますけど(実は、つなげるけど・・・)、
我が師匠・みのや雅彦の秋のコンサート
STVラジオ開局45周年記念
みのや雅彦ライブツアー「SONGS〜歌しかなかった〜」
が20日からいよいよ始まる。
今回のツアーで8箇所を回るうち、僕の街の近場では、「苫小牧」と「室蘭」でのコンサートがある!!やった!近いぜ!!
・・・・・・・・・・・でも、行けない。
・・・・・・・・・・・お寺の法要で。 俺、「住職」だし・・・・。
でも、ツアーラストの「札幌」には何としても行きます。
近所の会場なのに行けないのは残念だけど、我慢します。
だって、ガキの頃から
「何でも自分の思い通りにはならない、ワガママは通らない、ガマンしなきゃならないこともある」
って学んで来ましたから(苦笑)
※そう言えば、クライマックスシリーズに観戦に行くという理由で、仕事を休んだのではなく、サボった輩がいた。 その年齢でそういう「位置」にまだいられる貴方がウラヤマシイ・・・。皮肉じゃなく。
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