「何もなければオレがやるはずだった」
10月3日、福田康夫首相の所信表明演説への代表質問に登壇した自民党の伊吹文明幹事長を衆院本会議場の後方の席から見上げながら、前任の幹事長の麻生太郎氏はじっと腕組みをしていた。安倍晋三前首相の突然の政権投げ出しでするはずだった質問が幻となって3週間。麻生氏の立場は福田氏に負けず劣らず激変した。
麻生氏が9月12日の衆院本会議で読み上げるはずだった代表質問の草稿が手もとにある。「首相に伺わねばならぬ第一の点は本国会に臨む首相の覚悟いかんであります」。今となっては皮肉としか思えないこの問いから始まる。
この草稿が書かれたのは9日だ。その前から準備はしていたが、シドニーで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席していた安倍氏の体調がすぐれないと聞きつけ、内容を大幅に変更した。「エールを送ってやらないといけない」。そんな気持ちを込めたかったらしい。
続く部分でも安倍氏が参院選後に首相続投を決めたことを支持し、激励するフレーズをちりばめた。
「今国会が担う使命は誠に重く、指導者の決意と胆力がこれほど必要なときもまた憲政史に稀であります」
「政治の空白を一瞬たりともつくらせず、首相として職責の限りを尽くそうとされた決断を支持します」
「首相の先鋭なる危機意識と重責を果たさんとする責任感を、私は共にするものであります」
麻生氏が安倍氏に「もう辞めたい」と告げられたのは翌10日。「今は辞めるタイミングではない」と諭し、「この話はこれで終わった」と思ったという。
麻生氏が安倍氏の辞意を他の党幹部に伏せていたことから、クーデター説などが飛び交った。だが、麻生氏が安倍氏を説き伏せることができたと思いこんでいた証拠がある。この日から都内の個人事務所にこもり、質問を声に出して読み上げる練習を始めたのだ。
「安倍が弱っているようだ。オレは迫力を持って原稿を読み、安倍を勇気づけたい」。麻生氏のそんな言葉を周辺が耳にしている。
草稿はさらに社会格差や年金、地方活性化策などへと続く。いずれも参院選で争点となり、安倍氏が有効な手だてを打ち出せなかったものばかりだ。
経営学の泰斗であるピーター・ドラッカーは著書「未来への決断」で「大統領のための6つのルール」を挙げている。1つ目のルールは「何を行わねばならないかを問うことだ。何をやりたいかに固執してはならない」。憲法改正や教育再生など持論の実現にこだわった安倍氏の手法はまさにこの真逆だった。5つ目のルールに「政権内に友人を入れてはならない」とあるのも、安倍政権の崩壊を予言したかのようだ。
麻生氏も安倍氏の危うさは感じ取っていた。「安倍のやりたいことは分かっているが、それ以外にも課題は多い。党としてやるべきことはオレがやればよい」。麻生氏は代表質問の草稿で安倍氏に質問する形式を取りつつ、取り組むべき課題と自分なりの対策を織り交ぜた。「安倍さんがやりたいことを大いに語り、麻生さんがやるべきことに黙々と取り組む。安倍首相―麻生幹事長体制でそういう役割分担を目指していた」と麻生氏の周辺は振り返る。
その過程で「ポスト安倍の最有力候補は麻生」と思いこんでしまったところに、麻生氏やその周辺の失敗があったのかもしれない。ドラッカーは前掲書で、大統領のための3つ目のルールとしてこう指摘している。
「あまりに当然と思われることなどあり得ないと思え。そのようなことはうまくいかないのが常である」