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制裁発動 舞鶴港に影

2007年10月15日

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制裁の実施直前まで、北朝鮮向けの自転車を積み込む貨物船の寄港が続いていた=06年10月13日、舞鶴港で

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制裁実施後の舞鶴港。入港が全面禁止された北朝鮮籍船の姿はない=舞鶴市松陰で

  早期解決求める声も

 北朝鮮船舶の入港禁止や輸入禁止を定めた政府の制裁措置が発動されてから、14日で1年が経過する。9日には制裁期限の半年間延長も閣議決定された。対北朝鮮貿易の玄関口だった舞鶴港では、拉致問題など懸案の早期解決と貿易の再開を求める声も出ている。

 舞鶴港振興会によると、同港の北朝鮮との貿易額は05年、45億6800万円で全国一となった。うち輸出は中古車や繊維などで17億3千万円、輸入は衣料品や水産品などで28億3800万円だった。06年の貿易額も制裁前までに31億8400万円に達していた。北朝鮮船舶の入港数は05年に全国一の250隻となり、06年も10月までに155隻を記録していた。

 しかし、1年前の制裁開始から港の様子は一変した。対北朝鮮貿易を象徴した中古自転車を満載した北朝鮮船舶の姿は消え、貿易もストップした。

 北朝鮮との貿易取引にかかわっていた業者は「制裁措置は国が決めることだが、客がいなくなることはつらいことだ」と影響を認める。一方、昨年7月から北朝鮮産魚介類の取り扱いを自粛している府漁連(舞鶴市)は「影響が出るのを覚悟したうえの決断。その分、経営努力で対応する」という。

 舞鶴商工会議所の河田友宏会頭は「国は拉致問題など政治的な課題を早く解決したうえで、地元経済の活性化のために貿易を再開させてほしい」と話す。

 一方、舞鶴港振興会の新宮敦雄事務局長は「(制裁による)市経済への影響は最小限にとどまる」とみる。北朝鮮船の入港禁止などは荷役や物流業界に打撃を与えたとみられるが、市内には輸入品の加工業者などが少なく、他産業への波及が少ないためという。

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