■203人の命を救った艦長
|
|
4月11日、姫路市である会合が開かれました。集まったのは、戦争を生き延びた男たち。60年前のある決断がなければ、彼らはひとり残らず海の底に沈む運命にありました。
|
|
|
|
発見した研究者たちは、目の前に現れた鉄の塊を「巨大な海の獣」と例えました。
潜水艦は、長さおよそ120メートル。司令塔には『イ−401』の文字がはっきりと残っていました。
|
|
|
世界最大の潜水艦『イ−401』。潜水艦には、204人の乗組員がいました。
目的は、グアム南西にあるウルシー島でアメリカ艦隊を攻撃し、日本海域への侵入を防ぐことでした。乗組員は全員、死を覚悟していました。しかし・・・。
|
|
![](/contents/022/726/709.mime4) |
|
『イ−401』は一度も攻撃することなく、戦争は終わりました。終戦の知らせが届いたのは、ウルシー攻撃の直前でした。『イ−401』はアメリカ軍に押収され、すみずみまで研究されて、その後、真珠湾に沈められました。
|
|
|
|
![](/contents/022/726/710.mime4) |
当時204人いた乗組員のうち、11日に集まったのは12人。戦後、それぞれの60年を歩んできましたが、そうできたのも、日本降伏の混乱の中で下された1つの決断があったからです。
|
|
|
【元乗組員】
「よく生き抜けた。万物にお礼を言う。うちの戦友は誰も死んでない」
「皆が生きていられるのは、艦長のおかげ」
|
|
|
|
『イ−401』の艦長、南部伸清。「降伏せよ」との日本からの無線に、艦内では全員で一緒に沈むべきか、攻撃を続けるべきかで議論になりました。
南部艦長は、全員で日本に帰ることを決断。司令官にも認められました。
|
|
![](/contents/022/726/711.mime4) |
|
![](/contents/022/726/712.mime4) |
93歳を迎えた南部さん。生きて帰れると知った乗組員の様子を、今もはっきりと覚えています。
「ホッとした感情ですよ、言わなくても分かる。いつ死ぬか分からないんだから。人間というのはそんなもの。生きるか死ぬかの境に『生きられる』という自信がつけば、ホッとするよね」
|
|
|
|
しかし、日本到着を控えた8月31日。南部さんは、隣の司令室から1発の銃声を聞きました。
「パーンという音がするんだよ。『ああ、やった』と思ったなあ」
自殺したのは、南部さんの上官で、潜水艦の作戦を指揮していた有泉龍之介司令。右手に拳銃を握り、目の前の机には、真珠湾で戦死した特殊潜航艇の海軍兵の写真を飾っていました。
|
|
|
この海軍兵たちは、1941年12月、5隻の特殊潜航艇で真珠湾に出撃しました。戦果を挙げることなく、捕虜となった1人を除いて9人が戦死。1隻は3年前、ハワイ大学の研究チームが発見しました。中には、2人の遺体が残されています。
|
|
![](/contents/022/726/713.mime4) |
|
有泉司令は、特殊潜航艇の出撃を計画した人物でした。
『若い兵隊たちを真っ先に死なせて、申し訳ない』
自殺は、そんな気持ちの表れだったのかもしれません。
|
|
|
|
【『イ−401』艦長 南部さん】
「我々は、軍人という職業。生死をかけた仕事。それが職業なんだから・・・。これは運命だ。戦争は、運命の続出だ」
艦長の決断で、乗組員203人の命が助かりました。しかし、その影には海に消えた多くの若者や、自ら命を絶った指揮官がいたのです。
戦争という運命に翻弄され、生死を分けた兵士たち。海の底に静かに眠る潜水艦は、改めて、戦争のむなしさを語りかけています。
|
|
|
|
南部艦長は、「終戦によって軍人としての使命は終わったのだから、堂々と日本に帰ろう」と、部下に語りかけました。この時の艦長の判断が、多くの命を救ったと言えます。
|
|
|
|