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夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て現在地方の法科大学院の教員(ニューヨーク州弁護士でもある)の私の単身赴任生活。







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2007年10月12日 01時12分20秒 /  profession

ショックのあまり禁を破る

私は立場上、勤務先の大学の問題は告発しても、直接教えている学生の問題は、どんなに社会に問いたい問題があっても、ここでは絶対に書かないようにしようと自戒してきた。(いずれ立場が変われば別の媒体には書く予定だけど)

同じように、よそのロースクールの学生のこともとやかくいうのはやめようと思っていたのだけれど、あまりにもショックを受け、まさかこれが一般的なロースクールの学生の姿ではないですよね(もし、そうだったら世も末だ)、と確認したいがために、禁を破る。

某(うちではない)ロースクールを卒業して、残念ながら今年の新司法試験には不合格だった人のブログに、こんなくだりがあった。

「実務にもし出られたら、みんなに追いつけるよう、また私が実務に出られなかったために苦しんでいる多くの方々のために、そして自分のためにも人より何倍も働かなければならないのですから。」

「私が実務に出られなかったために苦しんでいる多くの方々」って何???

現在は、弁護士の数が増えて、修習生も就職難、量的な過疎化の問題はほぼ解消し、わが県でも、「量より質をどうするか」ということが弁護士会の課題になっているくらいだし、法テラスもあれば、ネット相談もあるという時代、事件を依頼したいのに弁護士がいないということなありえない。

つまり、このブロガーがいいたいのは、俺様は現在弁護士をしている誰よりも優秀だから、この俺様が不合格になったために弁護してやれず、替わりにできの悪い弁護士に依頼しているから苦しんでいる人がたくさんいるってことになる。

この傲慢さはちょっと尋常ではない。

私も大学在学中は、法曹を目指していた。
ご多分に漏れず、社会正義を実現したいと思っていた。

しかし、留年しても論文試験に合格しなかった時、こう思ったのである。

本当に困っている人を助けたいなら、ほかにいくらでも仕事がある。
現に人権派の弁護士として活躍している人の助手になってもいいし、NPOだってたくさんある。

それなのに、「自分が」弁護士になることにこだわるのは、勉強の得意な自分こそその職業にふさわしいという傲慢さと、ステイタスへのこだわりがあるからではないか、実は、自分の能力にふさわしい知的で偉そうに見える職業に就くということが真の目的で、社会正義云々はただの偽善的な正当化じゃないかと。

その偽善に気づきながら司法浪人はきつい(実際親の援助は在学中すらなかった=学費も本代も全部バイトで賄った)なと思い、就職したのである。
(初めて受けた論文の成績は総合Bだった。就職したが、上司である法務部長に理解があって、受験を続けることを認めてくれた。入社してから留学させてもらうまで、毎年短答には合格したのだが。全部で14年の銀行員生活では、法務部等で弁護士を使う立場で、使う弁護士は同業の中でも成功している者ばかりだったが、弁護士という仕事のいい面も悪い面も見つくした気がする。)

司法試験のように,社会に貢献したいといいながら、機会コストがかかる資格の場合は、そのコスト(とくに、受験勉強の間社会に貢献できない)を正当化するのが難しい。

たとえば、役者を目指して長く下積みをする場合にはそんな偽善的な矛盾はないのだが。

もし、困っている人を助けるために弁護士になりたいというのが本当なら、ありていにいって、受験に要する時間、NPOなどで働いて社会に貢献するよりも、その時間を勉強だけに使っても、弁護士になった方が社会全体から見たら有用だ、と客観的にいえるほど、優秀で正義感にもあふれた人でないと正当化できないのではないか。

旧試験の時代のように学部在学中合格することもできる制度ならともかく、大学を卒業したあと、そうした困っている人を助ける仕事に就く機会を放棄してまで、大学院でさらに勉強しなければならない現在の制度では、「困っている人を助けるために」法曹を目指すということは、自分がそういう、よっぽど価値のある人間だと自負しないとできないことなのではないか。

自分こそがその値打ちがあると思う人間であることと、社会的弱者のために身を粉にして働くということが両立するとは思えないのだが。

もっと端的に「悪い奴に適正な刑罰を与えたい」とか「人を裁きたい」とか「法律を適用して問題を解決するという仕事をしたい」とかいえば、「それなら法曹になるしかないですね」ということで、わかるんですけどね。




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2007年10月12日 00時22分21秒 /  profession

朗報

私が法科大学院に移る前の年に教えていた学部生で、一番元気の良かった女子学生が、中央大学のローに合格したとわざわざ知らせに来てくれた。

1年生向けの法学入門ゼミで、私の東京の家に泊まってもらって合宿までしたのだった。

エコ活動で全国的に有名で、一昨年の選挙で商店会長の安井さんが衆議院議員にも当選した早稲田商店会に見学に行ったり、六本木ヒルズにあるTMI総合法律事務所(今葉玉元検事がいるところ)を訪問したりした。

夜は夫の手料理と、学生たちが作ったデザートで食事をしたりした。

TMIの事務所のすばらしさに感激して、でも、「私、パラリーガルになりたい!!」なんて慎ましいかわいいことをいっていた彼女が、3年後、法曹養成では新旧司法試験とも実績のあるローに合格して、弁護士になる夢を確実に叶えようとしている。

こういうことがあったときだけは、大学教師になって本当によかったなと思う。


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2007年10月10日 19時50分47秒 /  profession

学会など

この3連休は、私法学会と金融法学会に出席。

専修大学は近いので自転車で行ったら(気持ちいいサイクリング日和だった)、自転車置き場がなくてちょっと焦った。案内状に書いておいてくれればいいのに。

一日目は民法と競争法の交錯という刺激的なテーマだが、私がとくに関心をもったのは、差止請求権一般を日本の民法上どう基礎付けるか、ということ。

発表者が引用していたが、末弘博士が「衡平法上の考慮が必要」といったとおり、英米法では、equity上の救済手段として位置づけられているのだが、発表者にあとで質問したら、日本法はまだその手前の段階ということだった。

英米法と大陸法の違いのうち最も大きなものは、common law体系とは区別されたequity体系というものの存在であり、現在の日本の民法上の問題も、差止だけでなく、説明義務や占有訴権や、誤振込など、もしこうした体系があれば説明可能なものがあるのだが、それを日本にも適用可能か、というテーマで現在研究している。equityの代表格、信託法の研究はその中心になるもの。

2日目は、個別報告で、3回ほど質問したが、やや肩透かしの回答もあって、私の質問の仕方が悪かったのかなと思ったが、「その回答はないだろう」と思っていた参加者が他にもいるとわかった。

http://blog.livedoor.jp/assam_uva/archives/51117873.html

また、CISGのセッションも面白かった。
潮見先生が「CISGでは対価危険は引渡では移転しない」と報告されたので、あとで「日本民法でも引渡で移転するのは給付危険ですよね。有名なタールの事件も口頭の提供時は給付危険が移転し、特定の時点で対価危険が移転するのですよね。だから、CISGも66条〜70条がなかったら、契約違反の問題に吸収されて、対価危険固有の問題は生じないのですよね」と確認させていただいた。

金融法学会は、そのまま大学に戻るので、夫が会場の慶応大学まで送ってくれた。
終わった後も新宿まで送ってくれた。

いつも週末が終わって東京から大学に戻る時は、悲しくていい年をして泣いてしまう。今回みたいに休日だと尚更引き離され感が強い。
もちろん、夫をmissするからだけでなく、地獄のような場所だからだ。

またひどい人権侵害をされたしね。こういう嫌がらせをして向うもどういう得があるのかなと疑問に思ってしまう。

また、組織の長としても疑問だ。
実務家出身でロー設立時に教歴2年に満たなかった人間に未修の民法を7分の3も担当させるというのも特殊なローだが、そういう重要な講義を担当している人間が、ただでさえ、その長がいじめたために診断書が出るほどなのに、さらに傷ついたり嫌な思いをするだけで、別に組織運営上何のメリットもないことを研究科長の権限でやるのは、結局学生のことよりも、自分の私情(不祥事をリークされたと疑っており、その仕返しをしたい。あらゆる機会をとらえて嫌がらせしたい。病気になるほどいじめてもまだ足りない。)を優先させるということではないのか。

もちろん、法律家としても疑問だ(業績が××で、○○○にも落ちた人をこう呼べるかどうかは別として)。
米倉明先生も、「法科大学院雑記帳」31(大学時代からの恩師で、戸籍時報を毎号送ってくださるのである)で、「自浄作用が期待できない場合には、内部告発による浄化促進に待つしかあるまい。…法律を勉強していながら、これはよくないと考えて行動に出る…のが皆無という状態のほうがむしろ異常である」とおっしゃっているではないか。

悪いのは不祥事を起こした当人であって、それを告発した人間ではないということがわからないでよく法律を語れたものだ。その不祥事を起こした当人には米搗きばったのように阿るくせに、そのことと法律を教えていることをどう自分の中で整合させているのだろう。

しかし、その地獄のお釜の真ん中で、唯一私を癒してくれるのが、けい太という大学にいる猫の存在。

経済学部の校舎の周辺にいるので「けい太」と名付けられ、みんなにかわいがられている。とくに図書館の職員の人がよく面倒をみているらしく、経済学部の隣にある図書館の裏口のところに、専用の小屋まである。その裏口のすぐそばに経済学部とローの自転車置き場があるのだが、朝早く出勤すると(講義のある日は7時半から8時ごろ出勤する)、置いてあるバイクのシートで眠っているのだ。

そんなかわいい様子をみて「けいちゃーーーん」というときだけ、私の地獄に一瞬の癒しが訪れる。安眠を妨げて悪いが、起こして抱っこさせてもらう。

携帯電話で撮影したのでボケているし向きが違うけど、かわいいでしょ?


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2007年10月06日 07時23分27秒 /  旅行

荻原碌山と中村屋インドカリー

週末に夫と前々から行きたかった安曇野の碌山美術館に行ってきた。

キリスト者の碌山にちなみ、小さな教会のような建物の中に彼の作品やゆかりの品を展示している。

改めて、彼の人生が、尊敬する師であり友人である相馬愛蔵の妻であるがゆえに、いっそう禁忌である黒光への許されぬ愛に貫かれたものであることを確認した。

「優雅とは禁を犯すものである。しかも至高の禁を」三島由紀夫『春の雪』

もちろん、黒光をモデルとし、膝を地につけ、手を後ろで組み、上半身と顔が限りない高みを目指している(地面から離れない膝が妻であり母であり中村屋の経営者であるという逃れられない立場や地上のしがらみであり、上半身が本当の気持ちを象徴しているのか?後ろに持っていった手は必死の自制心の象徴か)有名な「女」もそうだが(この世では叶わない何かを天上に求めているかのように、見ている者の胸を締め付ける)、ほかにも、以下のような展示物があって、彼の苦悩を思い、胸が苦しくなった。


日記に「ちくまの鍋」という題をつけていたこと。
これは、滋賀県にある筑摩神社に、鍋を被って詣でれば、不義が許されるという言い伝えにちなむもの。

また、「文覚」という彫刻作品。
(いうまでもなく、文覚=遠藤盛遠と袈裟御前の伝説を自分になぞらえている。
が、京都出身で読書家の夫がそれを知らなかったのにはびっくりしたが。
ヨーロッパの哲学者や政治思想家、現代史のことなら、ものすごく詳しいんだが。こういうのを灯台もと暗しというのか)

それにしても、荻原守衛という本名は、明治時代の農村の農家の五男坊にして、フランス人みたいな名前じゃないか(姓はオーギュスト=碌山がパリ時代に指導をうけたというロダンの名に似ているし、名前はモリエールみたいだ)。

実は、私が相馬黒光を知ったのは、碌山の思い人としてでなく、ボーズという、インド独立運動家の義母であり、庇護者としてが先である。

夫に勧められて読んだ(恥ずかしながら勧められなければボーズの名も知らなかった、この辺が夫と私の守備範囲の違い)

中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義 (単行本)
中島 岳志 (著)

に詳しい。

インド独立運動の中心人物であり、暗殺されそうになって日本に亡命していたボーズを庇護し、長女俊子と結婚までさせたのが相馬愛蔵夫妻なのである。
本格的な味であるインドカリーを開発したのは婿であるボーズだったのだ。

もちろん、小さなパン屋をあそこまで大きくする実業家としての才覚もすごいし、危険を顧みずボーズを保護したり、碌山をはじめたくさんの芸術家をパトロナイズして、サロンのような場所を提供していた。

あの時代の女性にはどんなにか大きな制約があっただろう(旧民法では妻は無能力だったのだから)に、なんと先進的なキャリアウーマンなのだろうと憧れの気持ちを持ったのである。しかも、ビジネスにも、政治、芸術にも通じるだけでなく、年下の碌山に生涯渇仰されるほど女性としての魅力もあったのだろう。

今年の2月に、『碌山の恋』というドラマを、平山広行、水野美紀の主演でやっていたが、なかなか面白かった。

それにしても、相馬愛蔵は、二人の関係をどう考えていたのだろうか?
中村屋の敷地内に碌山のアトリエを建てたくらい(碌山が黒光に看取られ亡くなるのは完成直後)なんだが、まさか、クリスチャンの彼が三島の『獣の戯れ』のようなシチュエーションを好むほど倒錯的だったはずはないし。

中学生の頃、遺族から訴えられた『事故の顛末』(川端康成の自殺の原因が若いお手伝いさんへの失恋だとする小説)を読んで以来、読んだことなかった臼井吉見の『安曇野』を読んでみようと思う。



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2007年10月03日 20時38分49秒 /  旅行

「まあつひ」ってなんだ?!

気分がすっかり自殺念慮モードなので、少し明るい話題を。

忙中閑あり、9月の連休に父と夫と三人で「信州方面に」旅行した。

父は免許を取った瞬間から50年以上ペーパードライバーなので、「家族とドライブ」という経験自体が初めてで、夫の運転する車に楽しそうに乗ってくれた。

私の父は、生まれてから現在まで一冊も小説というものを読んだことのない人で、およそ教養というものとは縁がないので、いろいろな傑作語録がある。

私がHarvard Law Schoolに合格した時も、
父「お父さんな、お前が行く大学知ってるぞ。」
私「え?!」
父「日本語にしたら『港大学』っていうんだろ?」
私 (絶句)
(HarborとHarvardの区別がついていない)

Harvard Law Schoolの卒業式の後、父を呼んで、一緒にニューイングランドや中南米を旅行したのだが、ボストンで、
私「お父さん、ここが、アメリカがイギリスから独立したときの戦争があった場所なんだよ」
父「えええええ!!アメリカってイギリスから独立したの?!じゃあ今でも仲悪いのかな、どうしよう(おろおろする)」

冗談でもなんでもないのでよろしく。

今回も新たに父語録が加わった。

今回、黒姫高原の一茶記念館に行ったとき、

父「小林一茶って女だよな」
夫「お義父さん、もしかして、樋口一葉とまちがえてませんか?」
父「あ、そうだった。名前似ているからまちがえたよ、ははは」
私「ていうか、一しかあってないじゃん!」

一茶記念館の裏庭の句碑の前で
父「なあ、『まあつひ』ってどういう意味だ?」
私「それはね、『これがまあつひのすみかか雪五尺』っていう句でね。一茶が50歳で骨を埋めるつもりで生まれ故郷のこの村に帰ってきたのが旧暦の11月でね、もう雪がたくさん積もっていたのを見てそう詠んだのよ」
父「『まあ』ってどういう意味だ」
私「だから感嘆詞だってば」
父「かんたんしってなんだ?なんで『い』なのに『ひ』って書いてあるんだ」
私「お父さん本当に昭和一桁?その頃旧仮名遣いだったでしょう?」

とこんな調子である。

ちなみに、「痩せがえる、負けるな一茶ここにあり」ってどこで詠まれたか知ってます?
小布施にある、北斎の天井画で有名な岩松院の庭の池で、繁殖期にたくさんのオスがえるがメスを争っているのを見て詠んだ句なんだよ、と父に説明しても、あまりよくわかってないようだった。

一茶旧居にいったら、売店のおじさんが話しかけてきて、なんと、長野オリンピックで清水選手が金メダルをお母さんにかけてあげたのを見て感動して60歳でスピードスケートを始めて、全国大会にも出るレベルになったそうだ。

ナウマン象博物館で知ったが、野尻湖の発掘って毎年やっていて誰でも参加できるそうだ。

父はこんな人だけど、ものすごく性格がよくて、一緒にいると本当に癒される。

翌日、千畳敷カールに行った時、天気が悪くてロープウェイの窓がすっかり曇っていたが、一生懸命自分のタオルで窓の曇りを拭っては、近くにいる見知らぬ親子連れの小さな男の子に、「ほら、僕、見えるでしょう?」といっている。それが全然わざとらしくないのだ。

だから、若い人にも失業者や非正規労働者の多い今日、74歳の今でも、常勤の仕事が続いている。

教養はないけど、性格がすごくいい父、
それに対して、教養はあるかもしれないけど、性格が…な私、
こんな極端に正反対な二人が本当に親子なんだろうか。

知識を得るという私の人生の目標が無力化されそうな気もする。
私が命がけでやっていることって大して重要ではないのだろう。

父に孫の顔を見せてやれないことには心が痛む。
(妹二人はバツ一で再婚の見込みはない)

父に心配させてしまったのは、煙草のこと。

だって、自然保護のためにマイカー規制されていて、ごみも全部持ち帰らなきゃいけない場所で煙草を捨てるなんて人非人のやることでしょう?注意するのが当たり前じゃないの?

でも、逆切れされて、車で発車した後も追いかけられてボディを叩かれた、怖かった!!


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2007年10月03日 18時43分28秒 /  Weblog

唯一

体調が悪くて発熱したり、全身だるくて、腰痛もひどい。

この間久しぶりにマッサージに行ったら、腰痛がひどすぎてカウチにうつむきに寝ることすらできなかったので、仰向けのままマッサージをしてもらったくらいだ。

整骨院にいってみたら、「ストレスで、全身の関節からの信号を脳がうまく処理できずに混乱している状態」といわれた。

魑魅魍魎の跋扈する百鬼夜行の世界を生きているからね。

それでも休講にはできないんだ。一昨年一こまだけ病気で休講にしたとき(もちろんちゃんと補講したのに)どんな目にあったか、とてもここには書けない。(いずれ別の媒体には書くけど)

教授会に二回しか出席しなくても休暇届も出さない人がいるのにね。
上司は差別と人権侵害が得意技だから。

私には「大学教員の常識として休日でも院の入試とセンター試験の日程4日間は空けておけ」といい、随分前から「試験監督を割り当てられるのか割り当てられないのか教えてください。とくに、センター試験の頃は講義もないので海外にフィールドワークに出たいので、できれば院の方に割り当ててください」と頼んでも、直前まで教えてもらえず、しかも、嫌がらせでセンターの方に割り当てられ、仕方なく海外出張の予定を苦労して変更したら「やっぱりいいです」といってきたり、えげつない嫌がらせするくせに。

でも、自分では意図せずに、気づかぬうちに二匹目(といっても出現したのは一匹目よりかなり前)の害虫駆除に成功していたことを発見。
おまけに今回は、もう少ししたら「早まった」と臍をかませられるというおまけつき(大変にいい気味である。ざまああそばせである)、こんなことで溜飲を下げるのがが唯一の朗報という毎日の地獄ぶりなのである。


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2007年09月28日 18時02分34秒 /  profession

うるさい!

最悪なのは職場環境だけでなく、住環境もひどくて泣きが入る。
夏でも締め切って寝ているのに、夜中にうるさくて目が覚めるのだ。

私の官舎は10棟以上ある団地内にあるが、私が住んでいる棟(大学の持ち物)以外は全部国家公務員合同宿舎だ。
当然、大学関係者でない住人の方が多く、お年寄りや乳幼児もいる。

それなのに、敷地内にある学生寮(一年生専用)の玄関前で、毎日のように夜中まで騒いでいる学生がいるのだ。

おとといは夜中の3時近くまで騒いでいたので、着替えて注意しに行った。
私が大学の関係者でない住人だったらきっと「この団地内には大学の先生も住んでいるのになぜ注意しないのだろう」と思うだろうから。

もう注意するのも10回目以上だ。
最近の学生は「いきなり怒らなくても」と怒り方に注文をつけるので始末に終えない。
しかも、学部の一年生ばかりだから大半が未成年だろうに酒盛りしたりしている。
煙草を吸っている学生には学生証を提示させ未成年だったので煙草を没収してその学部の学生委員長に届けておいた。

とにかく、今の学生はどうしてちょっとした想像力が働かないのだろう。
静まり返った団地内でそんなに大声を出していないつもりでも、盛り上がって立てる笑い声などが澄んだ空気の中どれほど響くのか?

その程度の想像力すらない人間なら、大学で勉強しても仕方ないんじゃないのか。
国立とはいえ生活費の高いこの地(2年生以上はほとんど入れる寮がない。家賃をはじめ物価は東京より高い)で、親から仕送りを受けて大学に通っているだけで、どんなに恵まれた立場なのか全く自覚がない。反感を承知で勇気をもってあえて言えば、自宅から通えるならともかく医学部以外はそれほど費用を親にかけさせることを正当化できるほどの大学か?
(私なんか親がいけずで貧乏だから東京に住んでいなかったら、仕送りできないので東大に受かっても進学できなかったんだから)

何回注意しても、また同じことを繰り返す、もう処置なしだ。

私は講義の前の夜は緊張してあまり眠れないし数時間おきに目が覚めたりするので、この夜も注意したあと結局朝まで眠れなかった。もう地獄である。
どうして親に甘え世間に甘えた連中にこんな目に遭わされなければならないのか。

こういうときには子供がいなくて良かったと思う。

自分の子供がこんな人間になったら私は無理心中するね。

大学の寮管理部門に苦情をいっても何もしてくれない。
未成年者が酒盛りしていることをしっていて不作為なら、法人としての法的責任は免れまい。
しばらくして改善されなかったら今度は警察に通報するつもりだ。


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2007年09月25日 18時57分58秒 /  読書

読書記録

八日目の蝉

犯罪者を主人公にしており、一瞬桐野夏生を思い出した。角田光代はこれで新境地を開拓したのではないだろうか。
人物の描写がすばらしく、とくに主人公の親友の「正しいのに心の温かい人」という理想的な人物像をごく自然に描いていた。

悪人

吉田修一のほかのものとはだいぶ違う。大岡昇平の「事件」を思い出させるような、ごく普通の人間が犯罪の加害者や被害者になる過程を描いて静かな感動を呼ぶ。

沈底魚

本年江戸川乱歩賞受賞作。本賞には珍しく公安やスパイを扱っている。
この頃かなり受賞作の質が低迷していた中ではいいほうだと思うが、次回作もぜひ読みたいと思うほどではない。
ただし、女性のキャリア理事官や主人公の同僚警察官の妻の描き方が、女性特有の性質を見事なほど全く出さず、フェミニスト的には絶賛ものだった。

奥田英朗

「サウスバウンド」がトヨエツで映画化されるらしい。はじめは生活能力のない能書きばかりの全共闘崩れの父親に反感をもったが、だんだんその生き方がすばらしく見えてきて最後は落涙。
「家日和」「マドンナ」等も、どうしてこの人はこんなにサラリーマンの気持ちがわかるのか?と不思議に思うほど、面白い。

万城目学
「鴨川ホルモー」「鹿男あをによし」を読んだ。
森見登美彦に続いて、またも私の京都大好き指数を極大化してくれた作品。

こちらはモリミーと同じ京大だが、法学部卒。
文系らしく、京都・奈良の歴史を踏まえた作品で、モリミーとはまた違った面白さがある。「鹿男」の方は、理系の研究者が教授に進められて高校教師になるという設定がドラマ「高校教師」と同じなのだがその後の展開は全然違う。

モリミーは、トップランナーに出るというので、観覧希望を出したのだがだめだった。質問欄に「京都の歴史を踏まえた作品を書く予定はないのですか?」などとかいてしまったからいけないのかな。

モリミー作品に出てくる法学部卒の友人のモデルになった人は新司法試験に受かったそうである。

東野圭吾

「使命と魂のリミット」「夜明けの街で」どうも、この頃、すぐに先が読めてつまらない。
10月から月9でガリレオ(福山雅治)をやるのが楽しみではあるのだが。

じゃあ、賀川刑事が出るシリーズもやらないかな?

吉原手引草

松井今朝子 吉原で失踪した花形花魁の事件について、さまざまな関係者が語り、最後にあっという種明かしがある。一度も語ることはない花魁本人の魅力的な人物像が多くの他人の話でいきいきと表現されるのは作者の筆力だと思う。


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2007年09月25日 18時36分23秒 /  Weblog

無責任

12日に首相が突然職を投げ出したのには「ここまでだめな奴だったのか」と唖然とした。

所信表明演説をした後、野党の代表質問の日に「やーんぴ」と投げてしまったこの無責任さ。

普通の会社の平社員だって、上司や同僚に根回しして、引継ぎのことなど万事きまってから取引先に挨拶するのが常識だ。それなのに、一国の首相があんなやめ方をするなんて、日本はいつからこういう国にになったのだ?

テロ特措法延長が自分が総理の職にあったのでは実現しないから、などと、国民よりアメリカのご機嫌の方が重要みたいで失礼千万だ。

私は「美しい国」というのは、「しい」がない「美国」(中国語でアメリカのこと)のことをいっているのではないか、と常々疑っていたのだが。

(もっとも、いい加減嫌気が差していて、辞める口実に使ったともとれるが。それでもそういうことが口実になると考えている点でやはり国民を馬鹿にしていることにかわりはない)


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2007年09月13日 16時34分31秒 /  Weblog

誤解

昨日来起こっていることについても感想を書きたいのだが、時間がない。

誤解している人がたくさんいると昨日気づいたことだけについて急いで説明しておく。

wikipediaというウェブ上の事典みたいなものに、私の職業上の名前の項目があって、私の経歴がかなり詳しく書いてある。

あまり詳しくまた正確なので、これを私が自分で書いたと誤解している人が多いことを聞いてびっくりした。

私は一切タッチしていません。
私のブログや所属大学のHPに載っている経歴を熟読しないと書けない詳しさなので誰が私のことにそんなに関心をもって記載しているのか、ちょっと不気味な感じはするが、別に害はないので誰が書いたかも調べていない。

そもそもこの事典は便利なので調べものに使ったりはするが、その編集の仕組みについては実はよくわからない。
この事典の編集に血道をあげている人もいるらしいが、私は自分のものも含めて一切編集したことはないし仕方もわからない。

実は私の経歴欄も一箇所だけ年号がまちがっているのだが、面倒なので訂正しない、仕方もわからない(発見できた人には金一封はありません)。

最近編集した人の特定ができるソフトが出たと聞いたので、嘘だと思うなら調べてみてください。


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2007年09月05日 20時18分05秒 /  profession

天に唾をする行為

大学が、教職員の査定給制度の導入を検討しており、組合では、客観的で公正な評価ができるのか疑問視している。

これを推進しているのはどうせ元理事の某教授なのだろうが、全く天に唾をする行為だ。

どんな業績が評価されるかを客観的に判定するのは難しいだろうが、誰が見ても研究者として程度が低すぎ、大学の恥であり「教員不適格」と評価される行為の筆頭に、以下のような行為があげられるのは当然である。

すなわち、大学院設置申請の際
「○○という論文を完成させ原稿を提出しました。2ヵ月後に××という本学紀要に掲載されることになっています」と設置審査会と文科省に申請しながら、「その1」だけを申請後3ヵ月後にやっと提出し、そのことが「虚偽申請」として糾弾され、実名報道され、学生募集を自粛しなければならないような事態になった人間が、3年以上たってもまだその論文を「その2」までしか書いていない、というような行為である。

もし、この査定制度が導入されるなら、この、恥知らずにも最近学部長に再選されたこの人物が、自分自身に最低の評価をしないかぎり、客観的で公正な査定が行われたとはいえないであろう。
そのことがわかっていて、この制度の旗を振っているのか、そういう不正にも自分なら目こぼししてもらえると思っているなら傲慢不遜も甚だしい。

こういう人間を長に選ぶということと、社会科学を研究するということをどうやって自分の中で整合させているのか、経済学部の構成員一人一人に聞いて回りたいくらいだ(私ならその矛盾に到底耐え切れない。それが平気な人間は研究者としての資質も疑わしい)

こういう人間を不祥事が実名で全国報道された後も労働委員長にし続けている県知事の見識も疑われる。おかげで大学の労務問題に苦しむ教職員も「あの人が委員長じゃ持っていくだけ無駄」と絶望し、二次災害まで起きている。県民の一人として県知事に公開質問状を送ろう。

共同研究室で蟹食いながら酒盛りしている(そういう様子を見るたびに「小人閑居して不善をなす」というj言葉が口をついて出てくる。研究科長ともよく密談しているけど、それこそ守秘義務はどうなっているの?奴は不祥事で法科大学院から追放された人間で、外部者だよ。それ以外にもこいつが知っているはずのないことを知っていることは、誰が守秘義務違反をしてもらしたかも含めてたくさん証拠を握っているから。私が秘密保持契約を結んだ相手が某教員に漏らしてそいつに伝えたこともね。その相手が契約違反で私に提訴されるというリスクを犯してまでなんでその相手をかばわなきゃいけない立場のあんたがもらす?本当に提訴を考えているからね)暇があったら、論文の続きを書いたらどうだ?でも、書きかけた論文はデータが2003年のものになっているし、書きようがないのか?

ああ、それと、ここの共同研でしょっちゅう酒盛りが行われていて、その後のウイスキーが残ったグラスとかをたくさん洗わないで置きっぱなしにしている。翌朝コピー取りに行くと酒臭くてかなわないし、第一助手のおぢょうさんたちが後片付けさせられて本当に腹が立つし、もっと深刻なのは、車で通勤している人間(場所柄多いんだよこれが)も酒盛りに加わっているけど、帰りにちゃんと代行運転とか頼んでるのか?すし屋の電話番号とかは共同研に貼ってあるけどそういう業者の電話番号はみたことないけど。

こういうことを放置している文科省も文科省だ。

この人間のもっと腹立たしいところは、このブログでも度々取り上げられている「勤務時間記録書」の件だ。

別部局の教員に「社会科学をやっている経済学部と法科大学院の提出率が一番低いのは、制度に合理性がないからでしょう」と指摘されてから、研究科長(こちらも例の紀要に途中まで書いた論文の続きを全く書いていない)ともども提出を無理やり強制しようとしてきている。

何度も書いたことだが、勤務時間記録書は裁量労働制の下で働いている労働者が働きすぎていないかを使用者がチェックするために提出する、パターナリスティックなものにすぎないのに、毎日何時から何時までどこにいたかを事細かに記録するようになっている。
そりゃ、あんたはいいよ、休みの日も出てきて共同研でテレビ見てるもんね。大学に「いる」時間だけは長いもんね。でもうそつきと糾弾された論文虚偽申請について3年も瑕疵を治癒しないで、換言すれば最も優先度の高い研究すらしないで(ということはもちろんほかの研究もしていない)ただ大学にいるだけいても意味ないでしょう。

そこで、以下のような質問状を学長に送ったのであるが、回答がない。学長も同じ穴の狢と認めるのか?
虚偽申請をした当事者を理事兼教授だから懲戒できないなどといって(そんなはずないでしょう。教授の身分もあるのだから)処分せず、理事をやめさせても学長補佐として重用したような御仁だから疑問符をつけるまでもないのか。

「勤務時間記録書の強制は違法です。

2005年に学長宛の文書に書いたとおり、以下の理由で勤務時間記録書を提出するつもりはありません。

そもそも、勤務時間記録書というものを提出する義務は、労働者にはありません。

出勤簿という、出勤を管理する正式な書類が別に存在する以上、勤務時間記録書の目的は、労働基準法に基づき、裁量労働者の働きすぎによる発病などを防止するために、使用者が各労働者の勤務時間を把握するためということにすぎません。

ですから、月間の総勤務時間を記入するだけで足りるはずであり、どこで勤務していたかまで細かく記入させ、しかもその事実との齟齬を懲戒処分の理由にするのは、明らかに労働基準法違反です。

2005年に某教員がそれを理由の一つとして処分されたことは、違法です(労基署にも確認しました。ちなみに、その処分委員会に労働法の教授が入っていたといったところ、労基署の職員に冷笑されました)。

そのため、同処分の直後に私は学長に「勤務時間記録書が二度とこのように違法に利用されないことが確認されない限り提出しない」と書き送りましたが、その際には法律的に納得の行く回答は得られませんでした。

もしこのようなことで処分されるようなことがあればどんな些細な処分であれ私は裁判で争います。

17年もまともな論文を書いていない人をブレーンにしていると恥をかくのはそちらだと思います。

大学にいても、共同研究室で雑誌を読んだりTVを見たり酒盛りしたり昼寝をしていても勤務したことになるのでしょうか?

どうしても私に提出を求めるなら、某教員の昼寝の時間を精密に記録しますので、彼の提出している勤務時間記録表との齟齬をぜひ調べてください。

そうしない限り絶対に提出しませんから。

そもそもそこのような形で、時間や場所を管理することにどんな意味があるのでしょうか?

一番重要なことは、研究.教育成果をきちんとあげることではないですか?

その点、どんなに長く大学に「いて」も、文科省に提出した申請書に「○○という論文を完成させて××という雑誌にすぐ掲載されることになっています」と書いたその論文を3年以上たってもまだ完成させないなんて言語道断な事実の方がよほど糾弾されるべきことなのではないのですか?

学長の正式な回答を求めます。」




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2007年08月28日 14時21分49秒 /  profession

学生向けの推薦図書

夏休みが終わり、今日から講義が始まった。

大学の総合図書館から、最近借り出し冊数が減って困っているので、5点ほど推薦図書を推薦文とともに指定してほしいと全教員に依頼があったので、私が学生時代に読んで感動した本を推薦しておいた(もっとも5はあまり学生向けではないかもしれない。3については、松田聖子の「野ばらのエチュード」の歌詞に激怒したことを思い出す。やはり愛読していた立命館大学生高野悦子の『二十歳の原点』は本書に影響を受けているのか?)

最近本当に若い人が本を読まない(たとえば私が大学に入った頃は、理系の学生でも駒場生の必読書といわれていた『されど我らが日々』や『赤頭巾ちゃん気をつけて』は大体読んでいたと記憶する。また、点字サークル仲間の理I男子の愛読書はスタインベックだった。)のが嘆かわしいことだと思うので協力した次第。


1. きけわだつみの声
学徒出陣などで青春の盛りに戦争にかりだされ、若い命を無念に散らした学生たちの手記。「この人にだけは死んでほしくない」と思うようなすばらしい人間性が死を前にした覚悟の手記に表れ、涙なくしては読めない。
学生諸君がたまたま21世紀の日本に生き、平和でのんきな学生生活を送れることは偶然の僥倖に過ぎないこと、現在でも世界のあちこちで戦火に苦しむ人々がいること、日本でも油断すれば憲法改悪などによって同じ目に遭わないとも限らないこと、きけわだつみの声の悲劇を繰り返さないように努力する義務を諸君らが負っていることを自覚してほしい。

2. いのちの初夜 北條民雄 角川文庫
1996年に「らい予防法」が廃止されるまで、ハンセン病患者が療養所に収容され、強制的に断種させられるなど人権を踏みにじられ、いわれのない差別を受け続けてきたことをご存知だろうか。
この小説は、20歳でハンセン病を発症した著者が療養所の中で書き、川端康成に激賞された作品である。極限状況の中でいのちを燃やし尽くして24歳で夭折した作者の声がすばらしい文学作品として昇華されていることを感じ取ってほしい。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した高山文彦『火花』は北條民雄の評伝なのでこちらも合わせて読んでほしい。
患者が国に賠償を求めた裁判で2001年に小泉首相が控訴を断念し、補償がなされることになってからも、旅館の宿泊拒否など差別が続いていること、遺族をはばかり北條民雄の本名が未だに公開されていないことについてもきちんと考えてほしい。

3. 二十歳のエチュード 原口統三 ちくま文庫
1946年に19歳で入水自殺した一高生の遺稿。ランボーの詩に憧れ、ニーチェなどの哲学書との対話から人生の意味を極限まで自問し、「僕は最後まで誠実でなかった」という言葉を最後に残した。物質的には豊かな時代だからこそ、青春時代に一度は生きる意味についてとことんまで考えてほしい。

4. 死と愛 フランクル みすず書房
ユダヤ人の強制収容所での過酷な経験から、精神科医が著した実存分析。極限状況でも人間は価値を生み出すことができるという人生賛歌。
たとえば、人は健康なときは、仕事などを通じて社会の中で価値を創造できる。
病気になって入院しても、別の患者さんと会話したり、美しい音楽を聴いたりすることによって、価値を体験できる。
いよいよ寝たきりになっても、別の患者さんに迷惑をかけないとか、医師や看護師の負担をなるべく減らすようにするなどによって態度で価値を生み出すことができる、というのだ。苦難に陥った時に読むと勇気づけられる。

5. 豊饒の海 三島由紀夫 新潮文庫
45歳で自裁した作者の遺作で、映画化された『春の雪』、『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の4部からなる壮大な大河小説。悲劇的な恋に20歳で殉じた大正時代の貴族の若者が、右翼の少年、タイの王女などに転生していくのを最初の主人公の親友である弁護士が狂言回しとなって目撃していく。人生は月面上の「豊饒の海」のように何もない砂漠なのか?作者の美学や人生観を余すところなく投影した純文学の傑作。



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2007年07月22日 10時02分29秒 /  読書

桐野夏生『メタボラ』(ネタばれあり)と『ハケンの品格』

『メタボラ』という表題についての説明は小説の中ではないのだが、代わりは掃いて捨てるほどいるとばかりに使い捨てにされる若者を「代謝」という言葉で表しているのだろう。

ワーキングプアの問題をこれほど生々しくえぐった文学作品はないという意味で、優れた社会派小説である。

家庭の事情で大学を中退せざるを得なかった若者が、派遣社員として企業に搾取されぬき生きる希望すら失い(この辺の描写が具体的かつリアリティにあふれている)、ネットの集団自殺を図った沖縄で記憶喪失になり、そこでフリーターの男と出会い、新たな希望と絶望を体験する。
ユートピアとして内地からの移住者も多い沖縄のきれいごとではすまない現状も冷徹な視線で描かれ、日本で二番目に沖縄が好き(一番好きなのは京都だが。沖縄には3年に2度くらいのペースで行っている)な場所の事情もわかった。

ワーキングプアの問題は、企業に都合よく利用されていることが大きく、本人のせいばかりではないのだということがよくわかった。

2つ前のエントリーで書いた専業主婦優遇の問題も関係している。

パートで働いても夫の扶養家族というステータスを失うと却って経済的に損なので、年収103万円を超えないように調整するので、自給が安くてもいい。
そのことが、パートタイム職員一般の自給を押し下げ、非正規労働だけで生活するのを困難にするのだ。

銀行に勤めていたとき、その方が企業の都合にいいからだとよくわかった。
103万円以内で働きたい主婦を使えば、同じ仕事をやらせても正社員の一般職よりコストは3分の1くらいですむ(社会保険の使用者負担もないから)のだ。
それでも、1999年に派遣業法が改悪されるまでは、「専門職」(といってもファイリングという抜け道があったが)しか派遣で雇えなかったのだが、改悪されて拡大され、部署によっては正社員の一般職よりこういう派遣職員の方が多かった。

銀行は、グループ内に派遣業をやる会社を作り、そこに主婦を登録させて銀行に派遣させるというのが常套手段(私が退職してからも「女」の退職者ということで、その手のお誘いの手紙が今だに来る)で、制服も、たとえば、正社員の襟が左右対称なら、派遣スタッフの制服はちょっと左にずれているという微妙な違いがあるだけ。

逆に一般職には優秀な者だけ「主任」という肩書を与え、そうでない者は配置換えにしたりする。

商社なんかは、一般職に総合職になるか派遣職員になるか二者択一をさせる(安い派遣職員で代替できる一般職の仕事に高い給料を払いたくないのがみえみえ)なんてひどいところもあった。

派遣労働といえば、『ハケンの品格』。
エンターテインメントとしては面白いが、リアリティの面では全く評価できなかった。
まず、毎回、助産師など、会社員の仕事とは関係のない資格が必要なトラブルが発生し、篠原涼子がそれを生かして会社のピンチを救うというのが、ありえない。

それよりもっと問題なのは、日本の企業で「仕事ができる」ということの定義がまるでわかっていないということだ。
学校時代は、成績という可視的、定量的なもので評価されるが、日本の企業というところはそうではない。
最低限の基礎学力や仕事をする上での専門知識は必要だが、本当に「仕事ができる」というためには、それ以外の定量化できない、目に見えない、「調整力」「指導力」「協調性」というものが最重要なのだ。そしてそういうものにはマニュアルも教科書もない。

私は典型的な学校秀才にすぎなかったから、この「勉強ができる」ことと「仕事ができる」こととの間にある大きな溝に歯噛みする毎日だった。
留学させてもらったのだからそれでも評価してもらっていたのかもしれないが、自分が管理職に向かないのは十分わかっている。

とくに、文系社員の出世は中間管理職以上になると「管理能力」にかかってくる。
「理系の人は研究職という逃げ道があっていいな」とか、「学校の先生はできる人でもあえて生涯現役でいたいとかいって校長試験を受けないといういいわけがあっていいな」なんて思ったりしたものだ。

だから、春子のような人間は、技術があっても「仕事ができる」人間とは、日本の企業では絶対にみなされないので、「出世」はできない。
だから、正社員になったりしたら、「私はどうしてこんなに仕事ができるのに出世できないの?」と苦しむのに決まっている。だから、どんなに誘われても正社員にならずハケンを貫くのは自分のプライドのためなのだ。


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2007年07月22日 09時05分23秒 /  Weblog

煙草くさい投票所

選挙当日は海外なので教授会の前に市役所に期日前投票に行った。
ここのところ選挙はずっと期日前投票なのだが、市役所の消費者相談課と同じフロアに設置する投票所は、エレベーターを降りて角を曲がったところにあるのだが、いつも角を曲がったとたんにプーンと煙草くさい。

今回はどうしてだろうと思ってよく見たら、投票所の斜め前が市役所の喫煙室になっていて、しかもドアがきちんと閉まっていないのだ。
廊下で選挙公報を読んでいると(地元では新聞を取っていないので(無論東京ではとっているし共同研究室で読めるから)選挙に行ってから選挙公報をもらって熟読してから投票することにしている)、何人もの職員が出入りするが、ドアの開閉を確認しないので、ちゃんと閉まらないのだ。

すぐに管財課の責任者を呼んで、「投票所には妊婦も呼吸器の病気の人も国民の義務を果しに来るのに、喫煙所をこんなところに作ってしかもドアをきちんとしめないで、煙や匂いが来るようになっているのはどういうことですか」と苦情をいい、対策について書面で送るように頼んでおいた。

煙草の匂いが不快だということは、ヘビースモーカーでも「シートなどに染み付いた煙草の匂いが不快なので新幹線は禁煙車に乗ってデッキまで吸いにいく」という人が結構いるくらいだから、共通認識だといっていいだろう。

ところで、電車内ではそういう手前勝手な輩がいるので、禁煙車に乗っても隣の奴が頻繁に席を外したうえ、耐え難いほど体が煙草くさいことがあって噴飯ものである。

電車にはこういうリスクがあるので、地元と東京の往復は高速バスですることが多い(3時間のうち休憩は一回だけなのでそれほどの臭さはない)。
高速バスターミナルのある新宿区は路上全面禁煙だし、バスターミナル内も禁煙の張り紙がそこここにしてあるのに、行く度に喫煙者がいる。

一度、そういう者のひとり(中年男性)を注意して、殴られたり蹴られたりして警察を呼ばれたことがある。
被害届を出しに行った新宿警察署で、加害者が右翼団体の人で、実刑をくらったこともあると知ってちょっと怖かった(が、やめるつもりはない)。

「ここが新宿鮫の職場かー」と思いながら入った。新宿鮫シリーズは全部読んでいる。毒猿が最高によかった。非情な犯罪者が女のために犠牲になるというパターンは最新作でもとっている。不法入国者の取締りのためにやくざと提携するという究極の選択をする香田の苦悩は、社会派小説として秀逸だった。鮫島は最近年のせいか丸くなっているような気がする。
毒猿は昔NHKで永澤俊矢(麻生祐実の夫)と本上まなみ(モリミーの趣味はこの点だけはいただけません)でドラマ化したのは大失敗だったが、担当刑事さんがイケメンだったのがせめてもの慰めだった。

それ以降、私がターミナルに入っていくと、すぐに「ターミナル内は禁煙です」というアナウンスが流れるようになったのがなんだかおかしい。

先週もバスに乗り込んで後ろの方の席に座ってから目立つところで若い男が喫煙しているのを見つけ、発車までに降りて注意する時間はなかったので窓を開けて「そこの人、ターミナルは禁煙ですよ。こんなに大きな字であちこちに書いてあるのにわからないのですか!」と叫んだら、バスの中の人があっけにとられてみていた。

市バスに乗り換えて、大学に着いたら、見覚えのある若い女性が一緒に降りて大学に入っていった。新宿からのバスで後ろの席に座っていた子だった。学生かもしれない。



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2007年07月19日 21時18分01秒 /  読書

戸籍制度とジェンダー

忙しくて死にそうである。

モンゴルに出張に行き、アジア法学会で発表し、プライベートで南イタリアへ行き、またインドネシアに出張に行き、また来週から長期出張である。

大阪女学院大学で開催されたアジア法学会では、中国信託法について発表した。
学会発表は2回目である。

しかし、のけぞるほど驚いたのは、最初の発表者が遅刻したために、学会開始が遅れた上、発表の順番が変更されたのに、当の本人が発表時に一言も謝罪しなかったことである。
遠方ではない。神戸大学の教員なんだから。

(それからいかにもお嬢様大学なのに女子トイレに「お願いだからトイレで煙草を吸うのはやめましょう」という趣旨の、当局がほとほと困っているという感じのにじみ出た哀願調の張り紙がたくさんあったことだ。
私はフェミニストなので、女の癖に煙草吸うなとは口が裂けてもいえないが、JJから抜け出したようなファッションの女子大生がトイレで吸う図を想像するとはっきりいって同性としてあまりにも陰惨な感じがする。隠れてしなきゃならないようなことならやめようね)

翌日のシンポジウムは、アジア各国(日本、中国、台湾、韓国、ベトナム)の戸籍制度についてジェンダーの視点から比較するというもの。
瀬知山角氏がまず東アジアの家族制度について発表された後、各国について発表があり、最後にパネルディスカッションになった。

瀬知山氏から、「日本では高学歴の既婚女性の就業率が他のアジア諸国に比べて著しく低い」という発表があったため、「それは、日本で所得税や社会保障が世帯単位であり、とくに、配偶者控除、三号被保険者制度、健康保険料免除、リストラで減ったとはいえ手厚い企業の配偶者手当などがあり、また、他方、介護や育児の外注コストが高すぎるため、既婚女性が働くことに経済的合理性がないせいではないか。その点、就業率が高いとされる他国はどうなっているか」という質問をしたが、「その点は調査していません。しなければならない観点なのでします」という回答をもらった。

(前の学会で「それは先生が自分で調べてくださいと名古屋の某私大の女性教員の発表者に言われたのは今でも納得できないが、さすが、瀬知山氏である)

(それから、法律問題ではないが、同氏が、「子供は小型の大人だという考え方があり」というのだが、私は専門外だがどこかでその議論が超克された、あるいは疑問を呈されていると読んだことがあるので、その質問もしたのだが、それも聞いたことがないとのことだった。もしかしたら私の記憶違いか?)

他の発表者によると、どうも、他の国は課税も社会保障も個人単位のようである。やはり保険料を払わなくても医療を受けられたり年金をもらえるのは変ではないか?

私も14年間の銀行員時代、ずっと搾取されているという被害者意識でいっぱいだった。2000年前後に労基法が改正されるまで、残業代の算定根拠になる基本給に、家族手当まで参入され、残業代まで同じ資格なのに妻子のいる同僚は高かったのである。

日本の企業は、社員に、家族よりも会社に家族的な忠誠とdevotionを求めるもので、当然、そのためには彼に代わって育児や介護に専念する「私的秘書」たる妻の存在が不可欠であり、(銃後の妻って奴?)、その観点から、こんな理不尽な課税制度、社会保障制度、手当てがあるのだろうと思う。

それらの経済的メリットと、妻が働いた場合に必要になる育児・介護経費を考えると、やっぱり働かない方が絶対経済的に合理的だ。
いわば、会社員の専業主婦の労働に社会全体が対価を払っているわけ。
夫にしてみると、自分の金でなく公的資金で妻を養ってもらっているわけ。
それなのに、妻の労働からは夫が独占的に受益するわけ。
(子育てについては別の議論があろうが、子供がいない妻だって同様のメリットを受けるのだから)

私が銀行総合職を辞めた理由のひとつは、自分では妻の生活費や給料も払わないで、つまり無料で私的秘書を雇える(専業主婦の妻をもてる)男の行員と競争しなければならないのはどう考えても不公平だと思ったからだ。

理解できないのは、3号被保険者「制度」の批判をすると、専業主婦の人たちは「だって私たち働いてないのに払えなーい」というのに、「楽している」みたいにいわれると、「主婦だって一生懸命働いているのよ!」と叫ぶことだ。その矛盾に当人たちは気づかない。

私は主婦も働いていると思う。
ただ、外交官の仕事に、プロトコル(儀礼)とロジスティクスがあるように、また、会社に営業と総務があるように、主婦は、後者の仕事をして、プロトコルや営業をやる夫をサポートしているのだ。
しかし、ロジや総務だからといって、給料をもらえないなんてありえない。
ロジだって総務部員だって、給料をもらってそこから自分の税金や年金保険料を払うでしょう。

営業が稼いだ売上が、総務部員の給料に充てられるように、夫の給料から妻に労働分の報酬を支払い、そこから妻が自分で税金や各種社会保険料を払うというのがまっとうな姿であり、つまり、課税や社会保険は他国のように個人単位にすべきなのだ。

それにしても、各国の戸籍制度を見ると、日本ほど世帯単位の戸籍制度を徹底しているところはない。
今回の学会では、私が個人的に呪詛の対象にしてきた働く妻をいじめる世帯単位の課税・社会保障制度が、戸籍制度によって補強されていることに改めて気遣された。

それにしても、丸川珠代、2004年にNYから帰国してから最近まで住民登録してなかったってことは、選挙権の放棄(3年間投票用紙がこないことを不審に思わないのはおかしい。私なんか出張続きでなかなか地元に戻れない時だって、投票だけのために日帰りで帰ってきたりしているよ)どころか、住民税を3年も払ってなかったってことじゃないのか?脱税してたのではないのか?だとしたら絶対許せん。


私みたいな貧乏人(アジアでは一食100円以内と決めているのに、ジャカルタのディンタイホンで、タカシマヤだと行列だからとつい魔が差して小龍包4個とチャーハン(小)で1000円も払わされたことを一週間たってもうじうじ無駄遣いと後悔している)から住民税だけで月4万近くも取る(夫はもっと払っている)のに。いくら図書館で月に20冊本を借りても絶対に元なんかとれやしない。



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