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ヨーロッパ企画の文学&音楽担当、松田さんにインタビューです。
―ヨーロッパには最初音響スタッフとして参加されたんですね。
松田:
はい。大学入ってすぐの頃、同志社小劇場の「12人の優しい日本人」を観てみたいなと思って「チケットはどうしたら良いんですか?」って聞いたのが、当時まだ小劇場にいた上田さんと石田さんと諏訪さんだったんです。で、話しているうちに「僕たち今度プロデュース公演でちょっと違うことやるから音響手伝ってくれない?」みたいなことになって。それが「翼よごらんあれが恋の灯だ」だったんですよ。
―高校の時に演劇とかされてたんですか?
松:
他のメンバーは高校で演劇をやったりしてたけど、私は全く。中学までは姫路にいたんですが高校で2年間アメリカへ留学したんです。日本に帰ってきてからは普通の高校には行かずに大阪のYMCAに行っていたので、部活も無かったというのもあるし。
―音響をやっていたのに役者をやるようになったのはどうしてなんですか。
松:
音響をやってはいましたが特別細かいことが分かるわけでもなく、お手伝いだったんです。それが「翼よごらんあれが恋の灯だ」の再演をやることになった時に女優さんが足りなくて出ることになったんですよ。「椅子に座ってるだけだから!」とか言われて(笑)。演劇をやったこともなかったし、役者をやりたい!って思っていたわけでもなかったんですが、それ以降も出るようになりました。
―全く演劇をしたことがなかったのにそのままヨーロッパ企画にいたのは、やっぱりどこかに魅力を感じていたからなんですか。
松:
うーん、やっぱり最初に「12人の優しい日本人」のチケットを買いに行った時に話した3人がすごく面白かったんで。だからその時もし違う人に聞いてたらまた全然違った道に行ってたかもしれないですね。他にも映画サークルに入ってたんですけど、なんか斜に構えるところがあって「それは違うな〜」って思ったし、かといって「やるぞ〜!」みたいな熱血はダメなタイプだったんです。それで、ヨーロッパはその丁度真ん中で、頃合いが良かったんです。
―みなさんよく言ってますよね、頃合いが良かったって。でも実際役者をやってみてどうだったんですか。
松;
役者をやって面白いなと思い出したのは本当に最近のことなんです。一度家の事情もあって2年間位やめてた時期があって。それまでは全然余裕がなくてお客さんからどう観えるかとか一切考えられなかったし、セリフを覚えて言わなきゃならないって必死になっていたんで。でもその後、家のことや、外で仕事をしたことから何かが変わったみたいで、再びやってみたら今度は楽しくなってきたんですよね。丁度上田さんのやり方も変化した時期で、それまでは脚本通りにやっていたのが「インテル入ってない」くらいから役者に任せるようになって。舵取りはもちろん上田さんなんですけど、みんなが好きに喋っても良いようなやり方に変わっていったころで。
―それがしっくりきたんですね。
松:
そうですね。そっちの方が自分がどういうふうにやりたいかをよく考えられるようになって。日々変えても良いって言われてたんで今日はこういう感じでいこうとか考えたり。それまではただ必死で、その通りに言わないと他の人が困るから、言われたことしかやっちゃダメ。みたいなのがあったんですけど。
―しばらくお休みをされていたのが、再び始めるきっかけっていうのは何だったんですか。
松:
大学3回の時に、家の事情で演劇どころではなくなってしまったんですが、卒業するため授業にも出つつ就職活動もしていたので「働くのかな〜」って思ってたんです。それが、「ムーミン」の時に上田さんから「面白いと思えるものが出来たから観に来て欲しい」って言われたので観にいくと「次はこういうのをやろうと思ってるから、もし良かったら出て欲しい」って次回公演の企画を言ってくれて。当時やっていた仕事も結構しんどかったので、もう一回ヨーロッパ企画でやってみて、それで好きだと思えなかったらやめようと思ったんです。で、やってみたら結構大変だったんですが(笑)、「これはもうちょっとやってみなきゃいけない」って思ったんですよ。
―今ではもう、ヨーロッパで役者をやっていこうっていう感じなんですか。
松:
前は本当に役者だけだったんですが、最近ラジオの番組のコント書いたりとかしだしたんです。もともと考えて書くのが好きだったからそれができる喜びが結構大きくて。今年自分で脚本書いて「ショート・ショート」を撮ったんですが、アンケートに「話が面白かった」って書いてあると役者で褒められるのとは全然違う嬉しさがあるんです(笑)。なので今は両方出来るのが嬉しいですね。
―文章を書くのが好きなんですね。そういうのがヨーロッパにみんな居続ける理由なのかもしれないですね、みんな役者以外で自分のやりたいことを実現できてますよね。
松:
自分の日記みたいのだったらまた意味が違いますし、ちゃんとお客さんの目を気にしているのがバランスがとれて良いのかな〜と思ってます。でも役者を辞めたいと思ってるわけではないですよ。
―文章を書いたりすることで今後やりたいことはありますか?
松:
今は、ヨーロッパ企画に来た仕事で何か出来そうなことがあれば!っていうかたちでフリーペーパーの原稿を書いたりしてます。でも、それとは別にコラムなんかをちゃんと仕事に出来たら良いなと思ってるんですがそんなにお客さんの目に触れていないので、今はまだ模索中です。このREENAL.netでも、書かせていただけるようになったら嬉しいですね(笑)。
松田暢子
1979年10月11日生まれ。兵庫県出身。高校時代、留学で2年間アメリカで過ごす。99年、ヨーロッパ企画に音響スタッフとして参加。00年、第5回公演「苦悩のピラミッダー」より、役者に転身。以降、数多くの作品に出演。
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松田:はい。大学入ってすぐの頃、同志社小劇場の「12人の優しい日本人」を観てみたいなと思って「チケットはどうしたら良いんですか?」って聞いたのが、当時まだ小劇場にいた上田さんと石田さんと諏訪さんだったんです。で、話しているうちに「僕たち今度プロデュース公演でちょっと違うことやるから音響手伝ってくれない?」みたいなことになって。それが「翼よごらんあれが恋の灯だ」だったんですよ。
―高校の時に演劇とかされてたんですか?
松:他のメンバーは高校で演劇をやったりしてたけど、私は全く。中学までは姫路にいたんですが高校で2年間アメリカへ留学したんです。日本に帰ってきてからは普通の高校には行かずに大阪のYMCAに行っていたので、部活も無かったというのもあるし。
―音響をやっていたのに役者をやるようになったのはどうしてなんですか。
松:音響をやってはいましたが特別細かいことが分かるわけでもなく、お手伝いだったんです。それが「翼よごらんあれが恋の灯だ」の再演をやることになった時に女優さんが足りなくて出ることになったんですよ。「椅子に座ってるだけだから!」とか言われて(笑)。演劇をやったこともなかったし、役者をやりたい!って思っていたわけでもなかったんですが、それ以降も出るようになりました。
―全く演劇をしたことがなかったのにそのままヨーロッパ企画にいたのは、やっぱりどこかに魅力を感じていたからなんですか。
松:うーん、やっぱり最初に「12人の優しい日本人」のチケットを買いに行った時に話した3人がすごく面白かったんで。だからその時もし違う人に聞いてたらまた全然違った道に行ってたかもしれないですね。他にも映画サークルに入ってたんですけど、なんか斜に構えるところがあって「それは違うな〜」って思ったし、かといって「やるぞ〜!」みたいな熱血はダメなタイプだったんです。それで、ヨーロッパはその丁度真ん中で、頃合いが良かったんです。
―みなさんよく言ってますよね、頃合いが良かったって。でも実際役者をやってみてどうだったんですか。
松;役者をやって面白いなと思い出したのは本当に最近のことなんです。一度家の事情もあって2年間位やめてた時期があって。それまでは全然余裕がなくてお客さんからどう観えるかとか一切考えられなかったし、セリフを覚えて言わなきゃならないって必死になっていたんで。でもその後、家のことや、外で仕事をしたことから何かが変わったみたいで、再びやってみたら今度は楽しくなってきたんですよね。丁度上田さんのやり方も変化した時期で、それまでは脚本通りにやっていたのが「インテル入ってない」くらいから役者に任せるようになって。舵取りはもちろん上田さんなんですけど、みんなが好きに喋っても良いようなやり方に変わっていったころで。
―それがしっくりきたんですね。
松:そうですね。そっちの方が自分がどういうふうにやりたいかをよく考えられるようになって。日々変えても良いって言われてたんで今日はこういう感じでいこうとか考えたり。それまではただ必死で、その通りに言わないと他の人が困るから、言われたことしかやっちゃダメ。みたいなのがあったんですけど。
―しばらくお休みをされていたのが、再び始めるきっかけっていうのは何だったんですか。
松:大学3回の時に、家の事情で演劇どころではなくなってしまったんですが、卒業するため授業にも出つつ就職活動もしていたので「働くのかな〜」って思ってたんです。それが、「ムーミン」の時に上田さんから「面白いと思えるものが出来たから観に来て欲しい」って言われたので観にいくと「次はこういうのをやろうと思ってるから、もし良かったら出て欲しい」って次回公演の企画を言ってくれて。当時やっていた仕事も結構しんどかったので、もう一回ヨーロッパ企画でやってみて、それで好きだと思えなかったらやめようと思ったんです。で、やってみたら結構大変だったんですが(笑)、「これはもうちょっとやってみなきゃいけない」って思ったんですよ。
―今ではもう、ヨーロッパで役者をやっていこうっていう感じなんですか。
松:前は本当に役者だけだったんですが、最近ラジオの番組のコント書いたりとかしだしたんです。もともと考えて書くのが好きだったからそれができる喜びが結構大きくて。今年自分で脚本書いて「ショート・ショート」を撮ったんですが、アンケートに「話が面白かった」って書いてあると役者で褒められるのとは全然違う嬉しさがあるんです(笑)。なので今は両方出来るのが嬉しいですね。
―文章を書くのが好きなんですね。そういうのがヨーロッパにみんな居続ける理由なのかもしれないですね、みんな役者以外で自分のやりたいことを実現できてますよね。
松:自分の日記みたいのだったらまた意味が違いますし、ちゃんとお客さんの目を気にしているのがバランスがとれて良いのかな〜と思ってます。でも役者を辞めたいと思ってるわけではないですよ。
―文章を書いたりすることで今後やりたいことはありますか?
松:今は、ヨーロッパ企画に来た仕事で何か出来そうなことがあれば!っていうかたちでフリーペーパーの原稿を書いたりしてます。でも、それとは別にコラムなんかをちゃんと仕事に出来たら良いなと思ってるんですがそんなにお客さんの目に触れていないので、今はまだ模索中です。このREENAL.netでも、書かせていただけるようになったら嬉しいですね(笑)。
松田暢子
1979年10月11日生まれ。兵庫県出身。高校時代、留学で2年間アメリカで過ごす。99年、ヨーロッパ企画に音響スタッフとして参加。00年、第5回公演「苦悩のピラミッダー」より、役者に転身。以降、数多くの作品に出演。