炭酸泉って、アトピーにも効果があるんですねぇ。
血行をよくするだけではなく、殺菌効果も有るんだそうですね。
炭酸パックにはそう言う効果はないのかなぁ。
http://plaza.rakuten.co.jp/wakabaclinic/diary/200710040000/
http://plaza.rakuten.co.jp/wakabaclinic/diary/200709270000/
僕らの子供のころには怪我をしたら患部を乾かして消毒するものでした。
火傷でも水ぶくれをつぶしていたものです。
最近は、そうではないんだそうですね。
濡れた状態のほうが治りが早いんだそうです。
もともと床ずれの治療のために作られたという炭酸パックを、もっと低価格にして介護や治療の現場で使えないものかと思っています。
今の炭酸パックは高すぎる。もっと安価に提供できれば、大変に面白い商材です。
理想は、絆創膏のようにペタッと貼る。みたいなもの。
そういうものができれば、炭酸ガスの効果で血行がよくなり、傷の治りはとても早くなるはずです。
炭酸パックは、「使うのが簡単」という方向性に進んでいくように見えます。
高濃度の炭酸ガスが抜けてしまうことなく、長時間ジェルの中に閉じ込めることができれば、きっと近い将来、そういうことが実現するんじゃないかと思います。
エコリリースに関わって、環境問題についてちょっと意識が高まったかと思います。
そうすると、いわゆる「私は良い人」みたいな環境意識の人が鬱陶しくなることがある。
僕はやはり技術者だから、どちらかというと市民団体みたいな、批判を受け付けない、感情的な話には生理的に拒絶してしまいます。
残念ながら、京都議定書に代表されるように政治的・ビジネス的に環境問題への妄想が使われているケースが多い。
「いわゆる環境問題」について、批判的な学者の本も出ていますが、僕にはそちらのほうが根拠も明確に示しているし、納得のいく議論をしていると思えます。
石油をそのまま燃やさないで、プラスチックにして使ってから燃やせばいいじゃないか、なんて話は、確かにその通りで納得がいきます。
環境問題を考えるときに重要なことは、「想像力」なんじゃないかと思うんですね。
例えば、クーラーは 環境から見るとヒーターです。部屋の中の暑さを外に出しているだけ。。。ではない。それ以上に暑くしている。
でも、クーラーに掛かりながらそんなことを想像することは出来ません。ゴアさんちは、普通の人々の何倍ものCO2を出している。
ただ、そういう想像力の広がり。
自分以外のものをちょっと思いやる。そういう精神が環境問題を語るうえで大切なのだろうと思います。
今の個人主義の行き過ぎた世の中で、環境を語ることは難しいことなのかも知れません。
炭酸温泉で有名な長湯温泉の源泉を使った炭酸コスメ、ゆぅ美人の発売日が決まりました。
長湯温泉ブランドの炭酸パックは売れると思いますよ。
まず、炭酸の良さを知っているところ、炭酸を仕事の中に取り入れているところからアプローチをはじめて、それから徐々に広げていこうと思っています。
まずは、人工炭酸泉の温浴施設。
最近の温浴施設は、エステやマッサージを併設しているところが多いです。
炭酸パックは、塗って置いておくだけですので、小さなスペースが有れば簡単にできます。
また、効果が現れやすく、一度で結果が実感できるかたも多いです。
エステでは、ある程度知られた施術ですし、高価なものでもあります。
そういうものを温浴施設で低価格で気軽に楽しんでいただくことができれば、リピートも期待できますし、ご家庭用にご購入いただければさらに効率の良い利益にもつながります。
次に炭酸泉関連商材をエステに卸している業者さん。
最近は、炭酸ゲルマ温浴というのが流行っているようです。
エステに直接行くのは面倒なので、こういうところから広めていただければ嬉しい。
それから、エステですね。
温浴施設もそうですが、まずは体験していただける場所を作ることが大事だと思います。
最後の、一般の小売り、特にネットショップですね。
長湯温泉は、今は炭酸泉の聖地みたいな位置づけになっていますので、面白いんじゃないかなぁ。
詳細については、ナスコスメのHP http://www.nasucosme.com をご覧ください。
最近、同じ話を何人かにして、ふと思った。
僕に出会った人って、今まで出来なかったこと動き始める。
それはそれでよろしいなぁってことなのですが。当の本人にとっては怖いことでもある。
ライスワークとライフワークってあると思うんですよ。
ご飯を食べるための仕事と、自分の役割としてやる仕事。
僕はライスワークを否定しているわけじゃない。
最初はライスワークから入るのは正しいやり方だと思うんですね。
一部の天才や、環境に恵まれている方は別にして、やっぱり最初は食べるための仕事だと思う。
なんかわからんけど、自分探しをしている人をかわいそうだと思うし、何でもいいから「ライスワーク」をやったほうがいい。
ライスワークって、意外と大事だと思うんですね。
確かに振り回される仕事だし、忙しいという実感ほど儲かりもしない。
でも、そこで学ぶこと、出会える人、これがとても重要。
そして、ある日突然、ライフワークの種が降って来る。。
その種をつかむかどうか、これはサイコロでも転がして決めるしかないことなんじゃないかな。
ライフワークからライフワークに進むには、ちょっとした思い切りと、背中を押す無責任な人が必要で。
どうも、僕はみんなの背中を押して回っているんじゃないかなと。。。最近、そんな気がして仕方がない。
エコリリースというエコ洗剤なんですけどね。
結局のところ、通常の洗濯洗剤というのは、界面活性剤(石けんも界面活性剤の一つ)で汚れをくるんで別のところに移しているだけなんですよ。よく考えると。
だから、目の前の汚れは消えているわけですけど、汚れそのものが消えているわけではない。
じゃあ、汚れそのものはどこで消えるのかというと、界面活性剤から離れたところで自然の働きで分解する。結局は自然に頼っているわけです。
ところが、合成界面活性剤というやつは、分解しにくいのでなかなか汚れをはき出さない。
さらに水生生物の活動を阻害するので、汚れを分解する自然の働きの邪魔までしてくれる。
ところが、このエコリリースは宇山酵素という優れものの酵素が、汚れそのものを分解し、水生生物の活動を活発にします。
自然の働きを助ける洗剤が、このエコリリースなんですね。
エコリリースのサイトを作っています。
結構難しいなぁと思いながらも、結構楽しんでやってます。
何が難しいかというと、基本的に環境にもやさしい、身体にも優しい洗剤ということで、確かにいいものだと思うんです。
ただ、エコっていうのは、突き詰めていうと人間の存在そのものが、反エコじゃないかと、そんな気さえするんですね。
そういう中で、無理せずに自分のできる範囲でのエコ。肩肘を張らずに自分のサイズでできるエコ。
エコな人には叱られるかもしれませんが、負担にならない。自分を苛めないエコってあるんじゃないかな。
エコリリースという洗剤は、まさにそういう楽しむエコにぴったりの商材ではないかなと思います。
エコリリースは、純石鹸と宇山酵素を主成分にした洗剤で、合成界面活性剤を使っていません。
口に入れても大丈夫な成分で作られています。
結局、自然と共生し、自然の持っているサイクルを生かすことが、環境問題の基本的な考え方だと思います。
エコリリースは、界面活性剤で食器や洗濯物から汚れを生活排水に移すだけではなく、生物が食べやすいように分解します。
自然への負荷を軽減し、自然が働きやすいようにするエコリリースは、とても納得がいくし、いい商品だと思います。
チャンスというのは、人が持ってくるもんだと思います。
基本的には、生物というのは今のままで済むのであれば今のままで居ようとする。そういう性質のものだと思うんですね。
ダイエットが難しいのは、とりあえず身体のほうが今のままで問題ないと思っているわけで、生物の歴史が飢餓との戦いであった時代の記憶を身体が消せないからなんじゃないか。
だから、じっとしていたら今のままで、何にも前には進まない。それが自然の摂理じゃないかな。
だから、チャンスをつかもうとしたら、そのきっかけは外に求めるのが正解だと思う。
外から来るものを阻んでいたのではチャンスは来ないし、内なるものを追求するのは疲れる。
ニュートンだって、リンゴが落ちなかったら万有引力を発見することはできなかっただろう。
一方で、リンゴは落ちるのを見た人がみんな万有引力を発見したかというと、そういうわけでもない。
準備ができているところにリンゴが落ちなければ、万有引力は発見できないし、ニュートンだってリンゴが落ちるのを初めて見たわけではないだろう。
内なるものと外から来るもの。
卒啄同機とでもいうようなものを感じて、感謝して、対応していくことがチャンスをつかむ言うことではないかな。
最近、ちょっと思うところがあって。
なんていうんだろうか、たとえば誰かと何かを一緒にするときに。
相手はパートナーなのか、それともサプライヤーなのかって考えてしまう。
僕は、気に入った人はできるだけパートナーとして扱いたいと思うんだけど、それが適わないときはちょっと悲しい。
でも、それは私的なこと。仕事を進める上では、そこはわかった時点で織り込み済みとしなければいけない。
価値観を押し付けるわけではないんだけど。サプライヤーって何かを提供してくれるもの、言ってみれば交換可能な部品に過ぎないって思う。
でも、パートナーって言うのは、交換不可能な仲間。能力の有無はある意味関係ない。能力なんて後からついてくるもんだ。
パートナーに求めるものは、一緒に悪巧みをする関係。共犯者というのかな。
ブラック魔王とケンケンみたいな感じ。まぁた悪いこと思いついたぞ!ヒ・ヒ・ヒッとこうねぇ。
今持っているもので評価してって来る人はサプライヤー、これから持つもので勝負してくる人をパートナーにしたい。
大日本印刷の仕事をしていたときだから、もう10年ちょっと前、地震のちょっと後くらい。
情報システム本部のある曙橋はお寺さんが多いところでね。
お寺さんや教会に、よく標語みたいなのが掛かっているでしょ。
ああいうの、見るの好きなんですよ。
ある日、お昼を食べて事務所に戻る途中、あるお寺さんの門前でこの言葉に出会いました。
人生を問う前に、人生に問われている。
シンプルな言葉ですが、頭を殴られたような衝撃を受けたのを覚えています。
人生の中でいろんな事件に出会うでしょ。
良いこともあるし、えぇ~まじぃ~って言いたくなるようなことも起こります。
僕も去年はひどい年でした。ほんまに。
でもねぇ。なんと言うんですか。
自分の周りに起こってくるさまざまな出来事って、なにかこう自分に対する問いかけじゃないかって実感があります。
ほら、これ解いてみろ。って。できるだろ。これくらいって。
そして、その問いかけに対してどれだけ誠実に答えを出せるか。
そういう中で自分が何かを得て、それがまた次の問いかけに繋がっていくみたいなことが人生の営みに他ならないんじゃないか。
不思議なことに、人生は解けないような問題は出してこない。
それは無理だと思うことでも、出会いを用意してくれていたり、ヒントを出してくれたり、いろんな形で準備をしてくれているように思います。
今も、いくつかの案件を抱えていますが、自分の中でできるだけ誠実に答えを出して行きたいと思っています。