社説(2007年10月15日朝刊)
[新聞週間]
「沖縄の視点」貫きたい
ネット時代の地殻変動
日本の社会には明治以降も官尊民卑の風潮が長く残っていた。「よらしむべし、知らしむべからず」の政治風土の中で、新聞は官と民の橋渡し役を担ってきた。
何の本に書いてあったか思い出せないが、そんな趣旨の文章を読んだことがある。
政府の政策や自治体の施策を読者に伝え、良しあしを論評するという新聞の機能は今も変わらない。しかし、官と民の橋渡しという役割は劇的に変化しつつある。
革命的ともいえる大変化を促したのはインターネットの出現だ。
どの役所でも自前のホームページを持っていて、記者会見で発表した資料などをネットで公開している。
官がネットを利用して民に語りかけ、世論の動向を伺いながら政治を進める、という手法が当たり前になった。
民(企業)と民(消費者)の関係も、ネットを介しての双方向的なコミュニケーションが一般化しつつある。
官と民の橋渡し役としての新聞の機能が以前に比べ相対的に低下したことは否めない。新聞の役割は終わりつつあるのだろうか。
事態はむしろ逆なのだと思う。
実は、テレビの朝のワイドショーやポータルサイトで紹介されるニュースの大部分が、新聞社や通信社から配信された記事か、もしくは配信記事を参考にしたものである。
紙媒体と電子媒体をどう連動させるか、などの議論はあるが、新聞ジャーナリズムそのものの必要性が薄らいだとは思えない。
新聞は「報道」と「言論」の二つの機能をあわせ持っている。官と民の橋渡し以外にも、新聞が果たすべき役割はたくさんある。
放送法の制約を受け電波免許権を政府に握られているテレビと違って、「言論」機能は、新聞や雑誌が有する特徴的な機能だ。
新聞に代わる代替メディアが登場して新聞が役割を終えつつあるのではなく、人権問題や権力監視など、本来担うべき役割を十分に果たせず、読者の厳しい批判にさらされているのが実情だろう。
戦後62年と「戦後ゼロ年」
米兵による暴行事件に端を発した一九九五年十月二十一日の県民大会。沖縄戦の教科書検定をめぐる九月二十九日の県民大会。この二つの大会はこれから先、さまざまな形で語り継がれていくことになるだろう。
二つの大会に直接的なつながりはないが、全く無関係とは言い切れない。
「沖縄戦」と「基地問題」は沖縄社会を根底から変えた。いずれも国家の政策がもたらしたもので、その影響は今なお沖縄社会の隅々に及んでいる。
作家の目取真俊さんが指摘したように、沖縄は「戦後ゼロ年」を生きているといったほうが適切なのかもしれない。
日本の中で「戦後六十二年」と「戦後ゼロ年」という異質な二つの時間が流れている。それが意識の落差、報道の温度差を生んでいるのではないか。
県紙として私たちは「沖縄の視点」をこれからも大事にしたいと思っている。「地域の視点」と言い換えてもいいが、あえて「沖縄の」という言葉にこだわりたい。沖縄は地域一般に還元できない問題を抱えているからだ。
沖縄の視座から中央政治の動向をみると、とりわけ安倍晋三前政権がそうだったが、危うさが肌で感じられる。危険な兆候に対しては敢然と物を言うジャーナリズムが必要である。
深刻な格差と生活不安
年金、医療・介護、労働現場の非正規雇用…。身のまわりは不安材料ばかりだ。格差と階層固定化が進み、地域でも会社でも支えあいや連帯感が薄れた。日本社会から将来への希望が失われようとしている。
「沖縄の視点」と同時に、今後、ますます重要になってくると思われるのは「生活者の視点」である。
国連安全保障理事会は四月、安保理として初めて地球温暖化問題を取り上げた。環境問題は今や国際社会が国境を越えて取り組むべき大きなテーマになってきた。
グローバルに考え、ローカルに行動するという姿勢が環境問題には欠かせない。
きょうから新聞週間が始まる。
従来のモノサシでは推し量れないような事象が次から次に生起する時代。県民の切実な要求や表に出にくいうめき声に敏感に反応し、読者とともに歩む新聞を目指していきたい。
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