Honda Racing
Friday, October 12, 2007
阿部典史選手を悼む
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INFORMATION

10月7日に交通事故で逝去したノリックこと阿部典史選手の訃報を受けて、オーストラリアGPが行われているフィリップアイランドのパドックも沈痛な雰囲気に包まれています。

ノリックはMotoGPのパドックでも幅広く愛され、世界中のレースファンのアイドル的存在でした。ノリックがMotoGPに参戦するきっかけとなったのは1994年4月24日の世界選手権(WGP)開幕戦日本GP。この日、Honda NSR500に乗ってワイルドカードとして500ccレースに出場したノリックは、ミック・ドゥーハン(Honda)やケビン・シュワンツ(スズキ)といったトップライダーを相手にトップ争いを繰り広げました。

残念ながらこのとき、ノリックはラスト3周目に転倒しましたが、彼のアグレッシブな走りは、世界中のWGPファンを魅了しました。その中には当時まだ13歳だったニッキー・へイデン(Honda)も含まれています。

今回はフィリップアイランドのパドックで集めたHonda関係者のコメントを紹介し、夭逝したノリックを悼み、Hondaとして哀悼の意とさせていただきます。

   
COMMENT

コメント

Nicky Hayden ニッキー・へイデン
06年MotoGPワールドチャンピオン、現Repsol Honda Team ライダー

「実際にノリックと一緒のレースで走った期間は短かったけれど、なんといっても忘れられないのは1994年の日本GPだ。当時僕は13歳で、アメリカでダートトラックをやっていた。まだアメリカではWGPのライブテレビ放送はなかったから、モーターホームの中のビデオであのレースを見た。そのときは、“あの髪の毛の長いライダーは誰なんだ! ワイルドカードだって? すごい!”って興奮した。だって、いきなりミックやケビンとトップ争いをしていたんだからね。何度もあのビデオを見たよ。ノリックがいなくなったことはとても残念だ。今はそれ以上、言葉もない」

Mick Doohan ミック・ドゥーハン
元WGPチャンピオン

「ニュースを聞いたときにはショックを受けた。1994年の日本GPで突然ノリックが現れたときは、なんてクレイジーな奴だと思った。彼は信じられない走りをしていた。その後、彼はすぐにヤマハに移籍してしまったから、親しく話をしたことはないけれど、彼はパドックでみんなに愛されていた。サーキットでクラッシュしたことがほとんどなかったのに、交通事故で亡くなってしまうとは……。本当に悲しいし、残念なことだ。ノリックの家族に哀悼の意を表したい」

Shinya Nakano 中野真矢
KONICA MINOLTA Honda ライダー

「世界のトップで走るライダーとしてあこがれていました。同じクラスで走るようになってからはよきライバルでしたけれど、阿部さんの闘志あふれる熱い走りは印象的でした。事故のことを聞いて本当にショックでした。彼がいなくなってしまったことは、レース界全体にとっての喪失です。これから全日本を盛り上げてくれるのだろうと楽しみにしていました。本当に残念です」

Alberto Puig アルベルト・プーチ
現Repsol Honda Teamダニ・ペドロサのクルーチーフ。現役時代はノリックと一緒のレースに参戦

「ノリックとは、1994年に何度も一緒にレースをした。特にブルノで競り合ったのを憶えている。彼はコーナーの出口でマシンを起こすのがすごくうまかった。ストレンジなスタイルだけれど速かった。才能のあるライダーだった。シャイだけど、ナイスガイだった。僕もみんなと同じようにすごくショックを受けている。とても残念だ」

Gilles Bigot ジル・ビゴット
現Repsol Honda 250青山周平のチーフメカニック。04年にヤマハでノリックのチーフメカニックを務めた

「ノリックとは2004年にヤマハで一緒に仕事をした。彼はサンデー・レーサーで、それまでは普通でも、日曜日になるとどんどんアドレナリンが出てきて集中するんだ。04年の末に一緒に仕事をした記念にヘルメットをくれた。今でも僕の部屋に飾ってある。バレンシアでレースがあったとき、ノリックが僕のうちに遊びにきた。そのとき、部屋に飾ってあった94年日本GPのときのノリックのポスターにサインを貰おうとしたら、あのレースのときのものは何もないというから、そのポスターをあげたんだ。ノリックがいなくなって本当に悲しい」

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