「竹島」の狙いは総額数千兆円の海洋資源
韓国が仕掛けてきた「外交戦」こそ絶好の好機!
全面勝利を目指して良識派陣営は結集せよ!
日本人は領土問題に無頓着、と言われる。竹島をめぐる韓国側の強硬姿勢とは比較にならないほどである。ある人は言う。「何だって、あんな小さな島に韓国は拘るんだろうね。軍隊まで出してきて。日本に対するコンプレックスが理由なのかもしれない。それほど欲しいんなら、いっそくれてやったっていいじゃないか」。
こうした認識が日本人にとって嘆かわしいことは言うまでもないのだが、竹島問題と聞いてたいてい日本人に浮かぶのは、ほぼこれに近いものではなかろうか。むしろあまりに「竹島は日本の領土」を強く主張すればするほど、無関心層からは怪訝な眼で見られかねない。
東京の日比谷公園と同じ大きさしかない竹島は、明白に日本の領土である。これについては一点の誤りもない。だが現実には、竹島を実効支配しているのは韓国軍に準ずる装備を持つ韓国の武装警察官40名であり、つまりは韓国政府である。
今月、本紙は竹島問題を取り上げる。「竹島の日」を制定した島根県議会に敬意を表する意味もある。そして日本国という大きな枠組みの一部として、わが郷土川越に住む市民にも、日本人としての自覚と意識を再確認し、わが国の領土に対する切実な問題意識を抱いていただきたいと、僭越ながら願う意味もある。そして竹島の背景にあるものが単に排他的経済水域内での漁業問題ではなく、ましてや「日本人の誇り」などという精神論や抽象論で片づけるべき問題でもなく、実は海洋エネルギー資源問題であることをご理解いただきたいのである。
そもそも、竹島とはどんな島なのか。
●竹島は本当に日本固有の領土なのか?
――朝鮮は最近まで竹島の存在を知らなかった!!――
竹島は島根県の隠岐島から北西に約 157キロほどのところにある。日本、韓国の大陸棚とは繋がっていない孤島で、2つの小島と数十の岩礁からできている。2つの島は東島、西島と呼ばれ、海面から屹立した火山島で、東西の島の間は
150メートルほど。島の面積はすべてを合わせて約2平方キロ。日比谷公園程度の大きさの島だ。
わが国はこの島の所在を古くから認知しており、このことは多くの文書が証明している。江戸時代初期の元和4年(1618年)には伯耆藩(島根県)の大谷・村川両家が幕府から竹島の北西92キロにある鬱陵島を拝領し、渡海免許を得て漁を行い、幕府にアワビを献上していた。両家は鬱陵島に向かう寄港地として竹島を利用していたが、遅くとも寛文元年(1661年)には竹島は両家に拝領されている。その後の元禄9年(1696年)に幕府と朝鮮(李氏朝鮮王朝)との交渉が持たれ、鬱陵島での漁業は禁止とされたが竹島への渡航は禁止されなかった。
つまり17世紀には日本は竹島を実効支配していたということが明確なのだ。
さらに明治38年(1905年)1月には閣議で竹島の島根県編入が決定された。これは近代日本が国家として竹島の領有を再確認したものであり、それ以前に日本が竹島を領有していなかったというものではない。また竹島では明治38年2月以降、昭和16年(1941年)に開戦するまでアシカ漁が続けられていた。
ここまではご理解いただけただろうか。
ところが一部には、ここまでの話のなかに混乱、誤解が生じている。
李氏朝鮮王朝時代の15世紀から19世紀末まで、朝鮮では鬱陵島への渡航が禁止されていた。税金を逃れてこの島に渡る者が多かったのがその理由だ。そのため鬱陵島は長らく無人島となっていた。江戸時代に大谷・村川両家が漁をしていたのは、この無人島・鬱陵島だったのだ。そして何と、当時、大谷・村川両家は鬱陵島を「竹島」と呼び、現在の竹島を「松島」と呼んでいた。ここに誤解発生の1つのポイントがある。
伯耆藩の漁師たちが鬱陵島で漁をしていた元禄6年(1693年)に、朝鮮の漁師たちが鬱陵島に現れたことがあった。そのなかの2人が日本側に捕らえられ、隠岐島で取り調べを受けた。この事件をきっかけに、翌年、江戸徳川幕府と李氏朝鮮との間で鬱陵島帰属問題が話し合われ、朝鮮側が鬱陵島を自国領だと主張した記録が残っている。ただしこれは、あくまで鬱陵島のことであり、現在「竹島」と呼んでいる当時の「松島」とは無縁の話なのだ。
大谷・村川両家は鬱陵島への寄港地として当時の松島(現・竹島)を利用していたことは先に述べた通りである。しかし読者諸氏もご存じの通り、岩だらけで松の木一本生えていない竹島を何故、江戸時代に「松島」と呼んだのか……。一説によれば松島の「まつ」の由来は樹木の松ではなく、鬱陵島への船を「待つ」島、という意味から来ているとも言われている。
韓国に残っている古文書のなかには、鬱陵島と断定できる島に関する記述が多々存在している。俗に韓国最古の文献とされる『三国史記』(1145年)には「干山国在溟州東海島 或名鬱陵島」と記されているし、その後に出された『三国遺事』(13世紀)にも同様な記述が残る。しかし竹島に関する記述は存在しない。
現在、韓国が主張している「干山島=獨島(竹島)説」の根拠に使われている『太宗実録』(1417年)の記述は、「干山島に15戸、86人の島民が住み、訪れた者が大竹、芋、アシカを持ち帰った」となっている。誰でもわかる通り、ここに記された「干山島」は明らかに鬱陵島である。竹島には人が住めるような平地は存在しない。
この他、15世紀以降19世紀に至るまで、朝鮮の文献類には竹島は登場していない。これに反しわが国の文書、古地図類には竹島は何度も何度も登場している。江戸末期の安永8年(1779年)に幕府の御用学者・長久保赤水が著した『改正日本輿地路程全図』という見事な日本地図にも正確に竹島が描かれている。
韓国側は、「日本も竹島を朝鮮領と認識していた」証拠として、幕末の地理学者・林子平が著した『三国通覧図説』を提示する。だがこの図説で日本海の中央に「竹島」として記されているのは鬱陵島であり、そのすぐ近くに描かれている小島は鬱陵島のすぐ側にへばりついている属島チュクドである。なおチュクドは「竹島」と表記されたこともあった。
●近代になり初めて竹島が問題となった
――日韓併合と竹島編入の関係を理解せよ――
明治38年(1905年)1月、閣議で竹島の島根県編入が決定された。
じつはこの時期は日露戦争のまっただ中である。
日露戦争が始まったのは明治37年2月。その年の8月には旅順総攻撃があり、203高地の激戦が続き、年末にこれを奪取。翌明治38年1月に旅順が陥落し、2月20日には奉天会戦があった。旅順陥落後の1月28日の閣議で竹島の島根県編入が決まったのである。ちなみに日露戦の命運を賭けた日本海海戦で日本海軍が全面勝利をしたのはこの年の5月26日だった。
韓国の学者のなかには「竹島編入が日韓併合の第一歩」との主張がある。これを鵜呑みして、朝日新聞などわが国マスコミのなかにも「日韓併合の歴史は竹島編入から始まった」などと表現する者もいる。だが、良く考えていただきたい。竹島は江戸時代からずっと日本のものであり、李氏朝鮮も大韓帝国も竹島の存在など知らなかったのだ。
日露戦争が始まり激戦が続くなか、大韓帝国に対する日本の圧力は高まっていった。それは間違いないことだ。日露戦争は明治38年9月のポーツマス条約締結で終結したが、その2カ月後の日韓協約(第二次日韓保護条約)締結により、日本は大韓帝国の外交面を担当することになった。たが、日本が竹島を島根県に編入した時点で大韓帝国は歴とした独立国だった。もし大韓帝国が竹島編入を問題にするなら、このときに申し入れがあって当然なのだ。さらに、この時点での竹島編入は新聞その他で十分告知されたものであり、世界中がこれを認識したものだった。
もし仮に当時の日本政府が大韓帝国併合の第一歩として、朝鮮半島に近い島の1つを併合する意図があったとすれば、人も住めない竹島を編入することなど常識的に考えてもあり得ない。最低でも鬱陵島を編入したはずだ。
ちなみに、日韓併合条約が締結され、日本の総督府(朝鮮総督府)が設置されたのは明治43年(1910年)のことだった。
昭和20年(1945年)8月、大東亜戦争が終結し日本はGHQ(連合軍総司令部)の占領下に置かれることになった。この時点で竹島に対して、行政権の停止、さらには統治権、漁業権の停止が宣言された。いわゆる「マッカーサー・ライン」である。しかしこの宣言には「この指令中のいかなる規定もポツダム宣言の第八条に述べられている諸諸島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈されてはならない」と断りが付けられている。さらに覚書には「日本の統治権、漁業権の最終決定に関する連合国の政策を表明しない」との表記も見られる。つまりGHQは竹島に対する日本の領土権までは奪っていないのだ。これは戦後の米政府当局の判断とも合致している。
そして昭和26年(1951年)9月、サンフランシスコ講和条約が締結され、韓国領に竹島は含まれなかった。その翌年1月、韓国大統領・李承晩は「海洋主権宣言」(いわゆる李承晩ライン)を発表。わが国は直ちにこれに抗議した。そして昭和28年(1953年)4月、韓国の青年団が『独島義勇兵』を結成して竹島に上陸する事件が起きる。
その年、島根県は竹島に関する漁業許可権を漁民に与え、その数日後の6月26日、竹島に『日本島根県隠岐郡五箇村』の標識が建てられた。だが韓国は昭和29年(1954年)7月から現在に至るまで、竹島に警備隊員を常駐させ、宿舎、灯台、監視所、アンテナ等を設置し、これを年々強化させてきている。
昭和29年9月25日、わが国は国際司法裁判所への付託提案を行ったが、韓国側は付託を拒否。さらに昭和40年(1965年)に日韓基本条約が結ばれた際に、竹島の帰属は合意が得られず、「別段の合意がある場合を除くほか、外交上の経路を通じて解決されなかった紛争は、調停によって解決を図る」という文書を交わしている。だが韓国側は「竹島問題は交換公文にいう紛争ではない」と主張して占拠を続けている。
こうした韓国の行為は明らかに「不当な占拠を続けている」ものだ。わが国の教科書にこうした表現があることについて、韓国側は強烈な抗議を続けてきている。さる4月7日も、韓国の潘基文外交通商相がイスラマバードで町村信孝外相と会談し、島根県の「竹島の日」条例や中学校用教科書の検定などをめぐって話し合いを持った。この席でも潘氏は、竹島の領有権に関する記述に対し「日本政府の意図で改悪された」と断じて激しく非難。竹島関連の記述を教科書から削除するよう要求した。町村外相はこれに対し「(検定は)適正に行われており、削除修正を求めることはできない」と答えている。
だが、真に韓国が竹島を自国領だと主張したいのなら、国際司法裁判所に出頭して証拠類の提出とともに意見を述べれば良いのだ。わが国はそうした手法での平和的解決を50年以上も昔からずっと求めてきている。
そうせずに、日本の了解も得ないままこの島に守備隊を常駐させて日本側の接近を警戒し、ヘリポートや船舶の接岸場所、灯台も設置するなどして領有の既成事実化を進めている。あまりに強硬かつ強引なやり方であり、わが国との話し合いの余地すら持ち得ないのが現状だ。
韓国はなぜ、これほど強引に「竹島韓国領の既成事実化」を目論んでいるのだろうか。
その理由を探るために、日本海の海底に眼を向けてみよう。
●「メタンハイドレードを日本に渡すな!」
何が何でも竹島に居座る韓国の本音
日本海の海底には、約百年分といわれる夢の天然ガスがある。海深く、メタンガスのシャーベットが眠っているのだ。
「メタンハイドレード」をご存じだろうか。「燃える氷」と表現されるこの物質、メタンと水分子からなるガス水和物の一種である……簡単に言えば、メタンガスの氷だ。
日本近海に存在するメタンハイドレード層のうち、将来資源開発が可能とみられるメタンの総量は7兆4千億立方メートルとも言われている。これは国内の天然ガス消費量の約100年〜140年分にも及ぶ。その価値、推定60兆円である。
大陸棚から水深1千メートル以下の海底へとつながる海底斜面内の、地下6百〜8百メートルに集中するメタンガス層の上部境目に、このメタンハイドレードが多量に存在する。
学術的な説明を省いて簡単に話を進める。メタンハイドレードが初めて発見されたのは1960年代、シベリアの凍土層であった。1970年代に至ると、海底において大量に存在する可能性が予測された。日本はまず奥尻島周辺で調査したところ、見事にメタンハイドレードを確認。さらに秋田県男鹿半島沖でもその存在を確認した。
だがそれ以後、日本海側は調査されていない。男鹿半島沖をさらに南下して調査するのをやめ、代わりに太平洋側(静岡県御前崎沖)で海上試錐掘を実施するようになったのだ。
なぜわが国は、日本海側を南下しての調査を行わなかったのか……。試験採掘にあたって韓国と揉めるのを忌避したからである。
「竹島の排他的経済水域内では、石油などの海底資源は特に見つかっていない」という主張がある。だが正確には「ほとんど調査していない」のだ。ただでさえ漁業権問題で揉める竹島周辺である。日本側が自由に海底資源の実地調査などできるはずがないではないか。
そのため現在、日本近海のメタンハイドレードは「太平洋側にある」のが常識になっている。だが日本海を見れば、むしろこちらの方が有望であることがわかる。日本海の最深部は北東部にあり、水深は約3,700m。極めて深い海溝は日本の海域だけに存在し、朝鮮半島〜中国側に行くほどに浅い海底が広がる。竹島の位置も含め、日本海はメタンハイドレードが存在する絶好の条件を備えているのだ。
では採掘・抽出および実用化に向けての技術的な問題はどうか。韓国はメタンハイドレードを実用化する技術はまったくない。ただでさえ採掘・精製にエネルギーを使いすぎるきらいのある海洋天然ガスである。1立方メートルのメタンハイドレードを分解すると0.8立方メートルの水と、172立方メートルのメタンガスが得られはする。だがこれを実際に安全に抽出し、実用化するのは決して容易ではない。一歩間違えれば海底に眠る大量の(最大で7兆4千億立方メートル規模の)固体メタンガスが、一気に気化する可能性すらないわけではない。日本海プレートの均衡が崩れ、大きな地震を呼び起こす可能性もある。そして未曾有の大津波等の大惨事が発生し、地球温暖化は致命的に進行する。メタンガスは二酸化炭素よりはるかに多くの熱をため込むのだ。
こうした話が荒唐無稽と思う方は「福岡県西方沖地震」を思い出していただきたい。つい先頃まで福岡は「岩盤が非常に固いので、絶対に地震は起きない」と言われていたではないか。その福岡を大地震が襲った……「本来なら起きないはずの」福岡県西方沖地震を発生させるプレートを刺激したのは、実は中国が東シナ海で行っている海底油田採掘ではないか、と言われているのだ。
メタンハイドレード実用化への道は困難が横たわっている。その技術の最先端にあるのが、茨城県つくば市にある独立行政法人・産業技術総合研究所(産総研)である。
実用化技術では日本に大きくリードされた韓国。日本に頼らなければ韓国にとってメタンハイドレードは絵に描いた餅である。このまま「独島」(竹島の韓国側呼称)までも日本に取られたら、韓国には何のアドバンテージもなくなる。「南北統一」後は北朝鮮側のエネルギーまでも負担しなければならなくなるというのに、100年分を優に超える天然ガス資源を目の前に、日本に対し何一つ主張することができなくなる。
従って国際法上どれほど非常識であろうと、隣国の国民感情を逆撫でしようと、韓国は竹島に居座る……何が何でも実効支配するしかないのだ。
●韓国・北朝鮮の真の狙いは潤沢な海洋資源
総額は数千兆円にも!
北朝鮮までもが竹島問題をきっかけに日本海側にせり出てくるのは、こんな事情もある。北朝鮮の「油不足」である。
マイワシの資源は50〜70年周期で豊凶をくり返している。近年では1987年に漁獲のピークを迎えたのち、低水準が続いている。漁獲高の急減の理由については太平洋側では乱獲や外敵による捕食、また気候変動による餌プランクトンの増減により、仔魚や稚魚が育ちにくい環境にあることが原因と言われているのだが、日本海側ではさらに豆満江流域の鉱工業による河川水汚染が、マイワシ産卵地域を汚染しているとの指摘もなされている。
だが、それだけではない。
マイワシ漁獲量の急減、と聞いて読者諸氏は何を連想するだろうか。イワシの焼き魚が食卓に上る回数が減り、寿司ネタとしてイワシが高級魚並みに高騰する……というのが一般的な感覚だろう。だがマイワシの漁獲量急減の背後は、実は北朝鮮の軍事問題が深く関係してくるのだ。
極寒の地である北朝鮮の産業、ことに軍事産業にとって過酷な気象に耐える工業用潤滑油は絶対に欠かせない。潤滑剤は常温状態で液体潤滑剤、半個体潤滑剤、固体潤滑剤に分けられる。その中で液体潤滑剤を潤滑油と呼んでおり、用途別に航空用、自動車用などと呼ばれるが、マシン油(機械油)、モビール油(内燃機油)とも呼ばれることもある。
国家にとって潤滑油のあるなしは生死を決する。たとえば昭和16年8月1日、米国政府はその対日輸出を止めている。日本軍がパールハーバーを攻撃したのは、それからわずか4ヶ月後のことである。アメリカによる航空用潤滑油の対日輸出厳禁政策に、帝国陸海軍が憤激して起こしたのが大東亜戦争の一因である。潤滑油とはそれほど貴重なのだ。尽きれば国が滅びてしまう。
元来、日本海側では朝鮮半島、日本とも先史時代からクジラ漁が盛んであった。クジラは食用に供されるのみならず、近現代ではその肉を煮て得た油で照明の燃料、石鹸の原料、そして精密機械の潤滑油として使用した。西欧に及んではクジラ漁が食用肉を得るためではなく、潤滑油を得ることこそを目的として行われた。最も盛んだったのがアメリカだ。クジラが一時期、絶滅の危機に瀕したのは、はっきり言えばアメリカをはじめ西欧諸国の潤滑油目的の乱獲が原因だったのである。
潤滑油としてクジラ油は理想的だった。石油が実用化された現在でも、最良質の潤滑油なのだ。最新の科学技術をもってしてもクジラ油を超える潤滑油を生産することはできない。
それほどまでに重宝したクジラの油が国際的な捕鯨禁止の動きで獲れなくなると、日本海海域で一番困るのは、過酷な気象条件に耐えうる工業用潤滑油を最も必要としていた極寒の地の国だ。
日本や韓国では、潤滑油は現在でこそ鉱油系(石油の潤滑油留分を精製したもの)が主体となっている。だが石油精製技術はおろか石油そのものすらままならない北朝鮮にとって、捕鯨禁止で潤滑油が得られなくなるのは死に等しい。事実、捕鯨再開を働きかけるため故・金日成は興味深い動きを取ったのだが、この話は別の機会にゆずる。
そこで、クジラにかわって浮上したのがマイワシである。もともと精製イワシ油はクジラ潤滑油の添加剤や界面活性剤の原料として使用されてきたのだが、現在クジラ油やホホバ油の代替品としてイワシ油を最も必要としているのが、他ならぬ北朝鮮なのである。
日本海に眠っているのはメタンハイドレードだけではない。現在の日本の国内消費量から計算して、金、銀、コバルト等で5000年分、マンガンで1000年分、天然ガスで100年分、その他バイオ資源として活用できそうな深海性のカニやエビ、貝類……これらの総額を正確に算定することは不可能だが、概算で数千兆円に達するという。日本国民の個人資産総額の1400兆円をはるかに上回る可能性があるがあるのだ。
韓国も北朝鮮も、いずれは「統一する」という野望を抱いている。統一の暁には、わが国の隣に生まれるのは核兵器を保有する、人口7千万人以上の大国なのである。自国のエネルギー源として、またエネルギーによる中国の桎梏から少しでも逃れるために、未来の統一朝鮮は、高い可能性で北朝鮮が提唱する一国二制度の「高麗連邦共和国構想」が実現するものと予測されている。
日本海の海洋資源は日本にとって膨大な既得財産であることには違いないが、死活問題ではない。少なくともそうは認識されていない。だが「高麗連邦共和国」にとっては、日本海の潤沢な海洋資源はまさに生死を決する、何が何でも手に入れたい重大な存在なのだ。日本と朝鮮半島(韓国プラス北朝鮮)との「強引さ・強硬さ」には、必然的に熱量の差が生まれてくるのだ。
●突然の強硬態度を見せる韓国!
これこそ待ちに待った好機到来!!
外交戦全面勝利を目指し日本再生の突破口にせよ!!
韓国が竹島を強硬、強引に不当占拠し、わが国漁民に被害を与えていることは明々白々なのだ。それも50年にわたってずっと続けられてきたことだ。それなのに、なぜ今年になって突然、盧武鉉はこんなに強気にわが国を誹謗しはじめたのだろうか? 小さな原因の1つに国連安保常任理事国問題がある。
3月21日、国連のアナン事務総長が記者会見で「国連安保理常任理事国」問題に関して"6カ国拡大案"を支持すると明言したうえで、「アジア枠の1つは日本」と具体名まであげて日本を後押しした。米国、英国そしてフランスがすでに日本支持を正式表明しているが、中国政府はこれに猛反対を行っている。中国政府主導の反対運動では、すでに1000万人の反対署名を集めたという。世界中に飛び散っている華僑を総動員したと思われるが、こんな署名が安保理常任理事国問題に有効かどうかは不明だ。
だが、「国際世論が反対している」との風評が有効になる可能性がないわけではない。そして、もし日本が安保理常任理事国から外れた場合、"アジアから2国"と内定している常任理事国がどこになるかが問題となる。――日本が外れる可能性は極めて低いのだが、万が一外された場合、の話である――。韓国が急浮上してくるのだ。
韓国がこの好機を見逃すわけはない。
突如として竹島問題を持ち出し、戦前戦中の謝罪と賠償をこの時期に声高に叫ぶ盧武鉉の意図はこんなところにもある。
北朝鮮が核保有を全世界に公言し、結果として米中対峙の代理戦場になっている。この状況を理解したうえで韓国は、積極的に北朝鮮に呼応し、また中国に擦り寄る姿勢を明らかにしている。
今年2月に米韓の学者、政府当局者たちがハワイで意見交換をする会が催された。その席上ですでに、韓国の政策変更が想定されていたのだ。このとき話し合われた概要は「非常に近い将来、盧武鉉大統領が米韓相互防衛条約を解消し、在韓米軍撤退を要求する可能性がある。それは米韓断交につながり、最終的に韓国は『北京政府と戦略的パートナーシップを結ぶ』のではないか」との危惧だった。
過去の歴史や同盟国との条約を簡単に捨て、強い者に従うという、半島独特の事大主義DNAがまたまた動き出すという危惧でもあった。
清国と露国の圧力の前に国家破壊の惨状に陥り、最終的には民族破滅直前までたどった自国の歴史も理解せず、また日清・日露の戦争がどんな意味があったかすら認識していない愚かさを露呈している。さらに韓国メディアは大統領発言に追随し、新教科書検定結果を前に猛烈な反日キャンペーンを開始している。その背後には、わが国の日教組系左派、いわゆる"知識人"による共闘の働きかけがあり、それが反日キャンペーンの盛り上がりに拍車をかけている。3月11日には「アジア平和歴史教育連帯」という日韓共闘団体がソウルで記者会見し、「植民地統治を露骨に美化している」と非難している。
日本人にあるまじき行為というか、歴史をまったく認識できていないこうした一部"知識人"の行動が、韓国内の良識派の口を封じている。
韓国のなかにももちろん、日本の統治が歴史的必然であり、それが韓国近代化に莫大な貢献をしたことを理解している学者、文化人がたくさんいる。ところが愚かな風潮が韓国全体の思考停止、反日定型化を作ってしまった。こうなった以上、もはやエセ日本人を追及するのではなく、彼等の論調に乗って、再度歴史検証を行う方向に持っていく手もある。朝鮮半島の歴史を真に学ばせ、自分の愚かさを自ら理解させなければ、頭に血が上って判断力を失ってしまった韓国人たちを冷静にさせることはできそうにない。
こうした状況のなか、盧武鉉の賠償請求発言を逆手にとって、実体の無い反日団体を設立して"入会金"の名目でカネを騙し取る詐欺事件まで起きている。――日本から、またカネが取れるかもしれない。団体に入っていたほうが得だろう――とでも思ったのだろうか。……韓国の長引く不況もその一因だろうが、半島の民はいつも日本からカネをせびり毟り取ろうとしているように思える。
韓国から理不尽な要求を突きつけられたわが国は、いったいどうすべきか? 一人の個人一人の庶民としてわれわれは何をすべきなのか?
正々堂々と真っ正面からこの状況に挑み、勝利することが求められている。かつての島国で平々凡々と生きているだけの日本人では許されない状況になっている。
いま重要なことは、真の歴史を認識することだ。日清、日露、そして大東亜戦争が何故起こり、何故どうして日本は戦わなければならなかったのか……。真の歴史を正確に把握したとき、胸を張って戦争を語れるはずだ。――それは戦争賛美ではない。苛酷で非情な戦争の場に強引に引き出され、叩き潰された歴史がどのような必然から生み出されたものなのかを知れば良いのだ。そうすれば韓国の無法な要求を圧倒的に撥ね返すことができる。
こうした状況のなか『竹島の日』条例を採択した島根県議会に対し、本紙は最大の賛辞を贈りたい。
かつて幕末の頃、黒船の威光に脅え不平等条約を結び、内政にも外交にも明確な方針を示すことができなかった幕府に対し、不満を持つ改革派の諸藩が「雄藩諸侯連合」を組んで藩幕、倒幕、新政府樹立の動きを見せたことに似ている。もはや自民党を中心とする政府与党にこの国の未来を切り拓く力はない。島根県議会の動きは、中央政府に対する反乱である。こうした反乱が続出するようなことがあれば、それはこの国に新しい未来を与える巨大な力となる。
地方から中央を突破! いまその小さな芽が出始めているのだ。■