2007-10-14
■[日々] 登美彦氏、抗議する。
Amazonのレビューに反応してはいけないと登美彦氏は思っているけれども、だがしかし、naonao-703という人物のコメントがあんまりなので、今回だけ、何か言わせてくれ!と周囲の制止を振り切る。
森見登美彦は同じ題材をこねくり回し描く。
その世界に共感したファンが今熱狂的に支えているだけで、この本に面白みは無い。
奈良県民が京都を舞台に描くなど故郷の奈良山に戻ればいいものを、と思うほど丸太町界隈を使うのもいい加減飽きてくる。西村京太郎か山村美沙にでもなるつもりか、つもりなら熱狂的ファンをなんとかしないと、作家として成長せず下手すりゃ3年後には忘却作家だろう。
森見登美彦氏は以下のように述べている。
「『森見登美彦は同じ題材をこねくり回し描く』、これはいい。『その世界に共感したファンが今熱狂的に支えている』、これも事実なのだと思う。『この本に面白みは無い』、これも読み手の問題だから理解できる。『丸太町界隈を使うのもいい加減飽きてくる』、これも読み手の感想だから文句の言える筋合いではない。『熱狂的ファンをなんとかしないと』は、自分を支持してくれる人に押し流されてはいかんという戒めであれば、よく分かる。『3年後には忘却作家だろう』というのは、つねに登美彦氏が自分で自分に言い聞かせていることであって、naonao-703氏にわざわざ御指摘頂くまでもないが、しかしいい」
登美彦氏はぷるぷるする。
「だが、『奈良県民が京都を舞台に描くなど故郷の奈良山へ戻ればいいものを』というのはどういうことだ。この一節は『奈良県民が京都を舞台に描くなど(生意気である。したがって)故郷の奈良山へ戻ればいいものを』ということではないか。奈良に生まれた人間は、奈良から出てくるなということか。よくもまあ!よくもまあ!」
2007-09-29
■[日々] 登美彦氏、告白する。
今日はたいへん涼しい一日であった。
登美彦氏は最近、あれこれとこづき回されるように忙しかったので、本日は部屋でユックリしようと考えた。
それでも基本的には机に向かうのが登美彦氏の偉いところだ。
あんまり偉いと思ってくれている人がいないようだが、しかし登美彦氏は偉いのである。
一生懸命書くのである。
そして、世の中の人というのはたいてい登美彦氏よりも頑張っているものであるから、ここであんまりこういったことを主張するのは大人げないことなのである。
したがって高倉健のように寡黙である方が登美彦氏の男ぶりを挙げるには良いのだが、しかし筆者は敢えて主張してしまう。
「登美彦氏は頑張っている!」と。
ふいに秋がやってきたように涼しく、執筆の合間に万年床でころころしていると、何やら無性に気持ちがいい。
薄汚れているはずのシーツがなにやらスベスベするでわないか!
登美彦氏は万年床でころころしながら、ふだんは苦手なミステリなどがふいに読みたくなり、先日買っておいた有栖川有栖氏の『双頭の悪魔』を読みだした。
そして鉄砲水で橋が流されるところでわくわくした。
登美彦氏はうめいた。
「陸の孤島へ行きたいなあ!」
どうやら現実が嫌らしい。
森見登美彦氏はできあがった『有頂天家族』を撫でている。
新しく生まれた子は、できるだけ愛をこめて撫でてあげる方が成長がいい、と登美彦氏は主張する。
しかし『有頂天家族』の一番うしろのところに、次回予告が載っているのが気にかかるのである。
それを読むと、登美彦氏は名探偵コナンのことを思い出す。
かつて登美彦氏は毎年名探偵コナンの劇場版を友人たちと観に行くことにしていたが、名探偵コナンの劇場版では、必ずエンディング終了後に「第○弾、製作決定!」というのが流れるのである。
奥付の裏の予告を眺めながら、「ううむ」と登美彦氏は呻く。
そしてこっそりと呟くのだ。
「しかし諸君、まだこの世に存在しない作品の予告が載った本がすでに全国津々浦々の書店に積まれていると考えると、なかなかに肝が縮む感じでありますな」
ようするに登美彦氏は頑張らねばならぬということである。
健闘を祈る次第である。
2007-09-28
■[文章] 「YomYom」 4号
特集「ブンガク散歩に出よう」
「登美彦氏、京都をやや文学的にさまよう」
そこで登美彦氏は、学生時代、五年に亘って苦楽をともにした戦友と、西田幾多郎『善の研究』を読もうと企てたことを思い出した。彼らは京都に世話になっているから、せめて恩返ししようと考えたのだ。哲学の道で『善の研究』について議論する姿を見せれば、学生も観光資源として重んじられるだろう。「うまくいけば、京都府知事に褒めてもらえるかもしれん」と彼らは言った。「たとえそれが無理でも、京都へ旅行に来た黒髪の乙女に褒めてもらえるかもしれん」
彼らは一念発起して、それぞれ『善の研究』を買って読みだしたが、第一編第一ページ目で挫折した。落ち着いて「序」を読んでみると、初めて読む人は第一編を略すがよい、と書いてあるではないか。「どうりで分からないはずだ!」と気を取り直して第二編に取りかかったが、また一ページ目で挫折した。そして彼らは京都府知事に褒めてもらう機会を逸し、黒髪の乙女に褒めてもらう機会もまた逸したのである。
2007-09-26
2007-09-23
■[文章] 「小説宝石」 10月号
美女と竹林 第十回「竹林へ立ち向かう四人の男」
締切次郎の襲来、予想外のオメデタ、自己管理能力の欠如によって、森見登美彦氏の竹林伐採事業は暗礁に乗り上げていた。名誉は大文字山の斜面を転げ落ちるように失墜、森見Bamboo社設立の夢は遠のく。たび重なる竹林との悲劇的別離はついに創作意欲の減退を招いた。「このままでは何も書けない!」と、作家としてあるまじき弱音を洩らす登美彦氏の卑劣ぶりについてはひとまず措くとして、涙ながらの要請を受けた編集者一行は五月某日東京を発った。
己が誇りの保全に汲々とする登美彦氏が編集者の助力を得て汚名返上を図る一方、編集者諸氏は彼ら自身の手で竹林を切り開き、本来の趣旨から果てしなく逸脱しつつある当連載の軌道修正を狙う。期するところは異なるものの利害の一致した彼らは、ともに洛西の竹林へ立ち向かった。
彼らを待ちうけるものは栄光の未来か、それとも破滅の罠か―
2007-09-20
■[単行本] 『有頂天家族』(幻冬舎)
毛深い子、生まれました。
9月27日頃から書店に並ぶ模様。
出版にともない、東京あるいは京都にてサイン会が行われるというが、詳細はまだ分からない。
判明次第、告知する。
毛深い狸たち、京都上空を飛行する天狗たち、天狗を足蹴にする半天狗、狸を食べてしまう人間たち、彼らがそれぞれ暴れ回る。
登美彦氏史上、もっとも毛深く、もっとも大風呂敷を広げた大活劇。
<登場する狸・天狗・人間たち>
下鴨矢三郎(主人公)
下鴨家第三男。
面白く生きるほかに何もすべきことはないようだ、と悟りを得て、いろいろなことをする。
「私はいわゆる狸であるが、ただ一介の狸であることを潔しとせず、天狗に遠く憧れて、人間をまねるのも大好きだ。したがって我が日常は目まぐるしく、退屈しているひまがない」
下鴨矢一郎
下鴨家長男。
狸界における政治的策謀に余念がない。堅物だが、正念場に弱い。
下鴨家を盛り立てるための企みは、駄目な弟たちによってことごとく頓挫。
「どこまで役に立たなければ気が済むんだ、あいつは!何の因果だ!なぜ俺の弟たちはこんなに役に立たないやつらばかりなんだ!」
下鴨矢二郎
下鴨家次男。
とあるきっかけで狸界に望みを断ち、蛙となって井戸に引き籠もる。
「いずれ狸のやることだ、役に立とうなんて思い上がりさ」
下鴨矢四郎
下鴨家四男。
まれに見る化け下手ですぐに尻尾を出す。偽電気ブラン工場で修行中。
「僕も一緒に行く。心胆を練りなさいと母上が言うから」
母
狸四兄弟の母。
熱く燃える母魂をお腹にぎうぎう詰め込んでいる。
我が子たちは立派な狸だという根拠不問の信念をもつ。
「あなたたちは皆、立派な狸だものね。お母さんには分かっているよ」
父(下鴨総一郎)
長年狸界の長だった立派な父。数年前、金曜倶楽部によって鍋にされて急逝。
「これもまた、阿呆の血のしからしむるところだ」
赤玉先生(如意ヶ嶽薬師坊)
如意ヶ嶽一帯を縄張りとする天狗だが、鞍馬天狗との陣取り合戦に敗北し、出町商店街裏のアパートに逼塞。己を蹴落とした愛弟子、弁天への報われぬ恋に悶々とし、周囲の顰蹙を買う。天狗的才能のほとんどを失ったものの、天狗たる矜持を失わず、世の中のあらゆるものを見下して唾を吐く。
「天空を自在に飛行する。それが天狗というものだ」
弁天(鈴木聡美)
赤玉先生の薫陶を受け、天狗への階梯を駆け上ったあげく、美脚を一閃して恩師を蹴り落とした美女。本職を顔色なからしめる高笑いで、狸や天狗たちを圧倒する。狸鍋を食する謎の集団「金曜倶楽部」の一席を占める。
「食べちゃいたいほど好きなのだもの」
鞍馬天狗たち
赤玉先生の不倶戴天の敵。長年の争いの末、赤玉先生から如意ヶ嶽を奪い取る。
弁天にメロメロであり、一部の天狗たちは「弁天親衛隊」を組織して、弁天のショッピングに付き合う。
「お上手!お上手!」
海星
下鴨家と対立する夷川家の長女。
かつて矢三郎と許嫁の関係にあったが、総一郎の死後、婚約は解消された。
口が悪い。
矢三郎には決して姿を見せず、闇から飛来する言葉の暴力が彼を悩ませる。
「傷つけ!その傷がもとでくたばれ!」
金閣と銀閣
下鴨家と対立する夷川家の双子。海星の兄たち。
「洛中に金閣と銀閣あり」と名高い阿呆である。
四文字熟語を知っていると偉いと思っている。
尻を噛まれると弱い。
「またお尻を噛もうったってそうはいかない。これこそ長浜在住の鍛冶職人が、しぶしぶ作った鉄のパンツだ。おまえがガブリとやったところで歯が欠けるのがオチだぞ」
「どうだいこのアイデアは!兄さんは賢いだろう!」
夷川早雲
下鴨家と対立する夷川家の頭領。
下鴨総一郎の弟、すなわち矢三郎たちの叔父。
偽電気ブラン工場の頂点に君臨し、采配を振るう。
布袋(淀川教授)
大学教授。たいへん喰い意地が張っている。
また、たいへん狸を愛することでも知られる。
そのくせ、金曜倶楽部の一席を占める。
「我々はなんとさまざまなものを喰うのだろう、そして我々はなんとさまざまなものを愛するのだろう、人間万歳!という気持ちになるんだな」
寿老人
金曜倶楽部の重鎮。
謎の高利貸し。
「狸だけは置いていけ」
金曜倶楽部
寿老人、淀川教授、弁天、その他四名から成る、人間たちの集い。
忘年会では狸鍋を喰う。
岩屋山金光坊
かつて岩屋山を縄張りとしていた天狗。
現在は二代目に天狗稼業を譲り、自分は大阪で趣味の中古カメラ屋を営む。
2007-09-16
■[日々] 登美彦氏、うぃきぺでぃあを読む
森見登美彦氏はうぃきぺでぃあというものを読む。
自分の項目が立てられていて、自分のやってきたことが細かく書かれていることに驚いたが、以下の記述がへんな気がした。
(本上まなみさんが)森見の多くの作品におけるキーパーソン「黒髪の乙女」のモデルだと森見自身が語っている(参照:「野性時代」41)
「実家に送ってしまって手元にないのだけれども、『野性時代』でそんなことを喋ったかのう。もし誤解されるようなことが書いてあったとしても、そんなつもりはないのだ。たしかに本上まなみさんを重んじているけれども、つねに黒髪の乙女=本上さんと考えているわけではない。『夜は短し歩けよ乙女』に出てくる黒髪の乙女は、どう考えても本上さんのイメージではないと思うし、本上さんも『そりゃそうだ』と言うだろう。それとこれとは話がべつである」
登美彦氏はもどかしい思いをしているが、「うぃきぺでぃあ」の自分のところを自分で直すと叱られそうな気がするので、直すに直せなくて困っている。
「直し方が分かる人で登美彦氏の意見に同意してくれる人は、どなたか直して頂けるとありがたい」
2007-09-13
■[日々] 登美彦氏、祝杯をあげる
学生時代、登美彦氏とともに大文字で肉を焼き、真夏に自転車で琵琶湖を一周して死にかけ、哲学の道で『善の研究』を読もうとして挫折し、地主神社で「恋が実る」石を手探りしておうおう泣いた戦友があった。
名を明石氏という。
登美彦氏が大学で学んだことの大半は、明石氏から教わったことである。
明石氏は登美彦氏の友人にして師匠であった。
明石氏という男なくして『太陽の塔』はなく、『太陽の塔』なくして今日の登美彦氏はない。
今をさること数年前。
登美彦氏は明石氏との妄想話を好き勝手に作り替えて『太陽の塔』に書き、おのれの恥部を満天下にさらす暴挙に彼を巻き添えにした。いざ、日本ファンタジーノベル大賞を受賞して出版という運びになって、登美彦氏は心配になった。
登美彦氏は彼に電話をかけた。
「恥ずかしい過去が公表されてしまうが、いいか?」
明石氏は答えた。
「かまわん。俺は恥ずべきことは何もやっていない」
その彼の言葉を登美彦氏は今も覚えている。
というわけで登美彦氏は、戦友のために祝杯をあげる。
戦友が司法試験に合格したからである。
「我がことのように嬉しいもんだな」
登美彦氏は言った。
2007-09-10
■[文章] 「asta*」 10月号
恋文の技術 第六話「続・私史上最高厄介なお姉様へ」
これは守田一郎による犯行声明であります。
パソコンの在処を教えて欲しければ、以下の要求にこたえよ。
一、守田一郎を顎で使わない
二、朝と晩には必ず守田一郎のおわします方角に向かって礼拝する
三、「おっぱい上映会は小宮君の発案だったらしい」と、自然に伊吹さんへ伝える
以上。
どれほどいちゃいちゃした恋人同士もやがて別離の時を迎え、長年の親友は袂を分かち、幸福で慎ましい片想いもいずれ終わる。紗羅双樹の花の色は盛者必衰のことわりをあらわし、猛き者も風の前の塵と同じように滅びるのであります。
大塚緋紗子絶対王政もまたその例にもれず。
伊吹さんの件で私の誇りを傷つけた罰です。
合掌
守田一郎
大塚緋沙子さま
2007-09-09
■[日々] 登美彦氏、東京より帰還
森見登美彦氏は昨日夕方より東京へ出かけていた。
そうして幻冬舎の方々とお酒を飲みながら『有頂天家族』の重厚な装幀を眺めて有頂天となり、ホテルに泊まって精神統一のためにレゴを作り、角川書店の人たちと打ち合わせをし、NHKへ出かけてテレビに出た。本上まなみさんはやはり親切であり、山本太郎氏も親切であり、NHKの人たちも親切であり、集まってくれた編集者の人々も親切であり、見学に来てくれた人たちも親切であった。親切な人たちに囲まれて、登美彦氏はしどろもどろであった。
山本太郎氏の御母堂が登美彦氏の作品を読んでいると聞いて、登美彦氏はたいへん嬉しく思った。
なぜか「御母堂」の読者を獲得する登美彦氏である。
「ありがたいことである」と登美彦氏は言っている。
登美彦氏は下のように語る。
「言い訳をしてはいけないけれども、やはり大勢の人の前で喋るというのは、たいへん難しい。ともすれば頭が真っ白になってしまうし、口に出していることが矛盾したり間違っているような気がしても、進行している会話の中ではなかなか訂正できない。いろいろ言いたいことがあっても、一度に喋ることができるのは一つである。真面目なことを言おうとすると失敗する。静かに推敲しながらゆっくり考えていく登美彦氏のようなノンビリ屋には、喋って伝えるのはたいへん困難な任務である。しかも長い間喋っていると、だんだん疲れて頭が働かなくなっていく。これは実際にテレビに出て喋ってみて、初めて分かることである。私はテレビでちゃんと喋っている人を『すごい』と思うのだ。したがって本上さんも山本さんもすごい。だから今日観覧席にいた人や、放送される番組を観る人は、その点を大目に見て頂きたい。・・・しかし、本上まなみさんとまたお会いできたのは、喜び以外の何ものでもなかった。握手できたのも幸いであった。出かけた甲斐があったというものだ。というか、もう、それだけでいいや」
放送は十月六日の土曜日夜となるらしい。
そういうわけで、観る人は広い心で観られるがよい。
2007-09-06
■[日々] 登美彦氏、ハッと気づく。
登美彦氏は「むつかしいヨむつかしいヨ」と泣きべそをかきながら、京都文学散歩のような文章を書いていた。
ときおり、登美彦氏を「読書家」だと勘違いする人がある。
しかし登美彦氏は「読書が好きでたまらない」というような純粋な魂を持つ読書家ではない。本を読むことができなくても、禁断症状が出たりはしない。文章を読まずに何日過ぎても平気である。小説のようなものを書いている人間としては、けっして読書量の多い人間ではないと思っているのである。だから「文学散歩」のような文章を書くには、書棚を引っかき回し、手持ちの札をありったけ並べなければならない。『夜は短し歩けよ乙女』に古本市の話が出てくるが、あれは精一杯背伸びして書いたのである。
けれども、どうにか、書いた。
「長すぎる。削り方が分からない」
登美彦氏はうめいた。「だが諸君、なにごとも諦めが肝心だ」
書いたものをエイヤッと東京へ送り出した後、登美彦氏はハッと気づいた。
「日曜日には私も東京へ行かなくてならん」
登美彦氏はトップランナーという番組に出るのである。
なんと、似合わぬ。
登美彦氏は不安になり、麦酒をごくごく飲んだ。
「本上さんがいらっしゃるから出て行くものの、やっぱりテレビというものはおそろしい。何がおそろしいかというと、文章を書いているだけならば何となく面白く思ってくれる人もいるけれども、書いている当人が動いたり喋ったりしても何も面白くないからだ。文章でいくら威張っていても、傷つきやすく脆い魂がテレビでは剥き出しになってしまう。今になって、ますます不安になってきたぞ。どう編集しても誤魔化せないほどシドロモドロになったらどうするつもりか!どうするつもりか!」
そして登美彦氏はチキンラーメンをすすりながら呟く。
「あんまり痛くしないで欲しいものだなあ」
2007-08-12
■[日々] 登美彦氏、危機。
煮詰まった登美彦氏は「うおおおー」と心のうちで叫びながら自転車にまたがり、京都の街を疾走した。
青々とする夏の山を見上げながら、走りに走った。そうして喫茶店で食事をした。運動をして気分を転換し、少し落ち着いたので仕事に戻ろうとしたところ、駆け始めたとたんに腹部に違和感を感じ、違和感はやがて危機感となった。帰り着くまで大丈夫であろうと登美彦氏は考えたが、鴨川べりを走っているうちに、のっぴきならない状態であることが判明した。
「諸君」
登美彦氏は叫んだ。
「諦めるな。諦めたら、そこで終わりだ」
登美彦氏は珍しく「漢」の表情を見せて、鴨川べりを疾走した。
だが、根性とやる気だけではどうにもならないことがある。
登美彦氏は人間としての尊厳を放棄しかけた。
幸いなことに、荒神橋を渡ったところに救いがあった。
世の中には偉い人がたくさんいるけれども、荒神橋西詰に公衆便所を設置してくれた人に登美彦氏は全身で感謝の意を捧げるという。
客観的に考えるに、これは二十代後半の社会人が陥るべき危機ではない。計画性がないから締切に間に合わなくなるとか、そんなことよりも、もっと根本的なところで計画性に欠けていると言わざるを得ない。
2007-08-11
■[登場] 「ダ・ヴィンチ」9月号
登美彦氏の特集が行われている。
登美彦氏の書きつづってきた恥ずかしい台詞がいろいろ並んでいる。
登美彦氏が毛深い第五男、すなわち『有頂天家族』について語っている。
登美彦氏のまったく信用できない年譜が掲載されている。
登美彦氏によるあまり観光には役に立たない京都MAPが掲載されている。
登美彦氏と瀧波ユカリ氏の対談が掲載されている。
『夜は短し歩けよ乙女』の主人公が、全裸の江古田ちゃんから非・おともだちパンチを喰らっている。もう、すべてを受け容れるしかない。
「この際ハッキリ言ってしまうが、瀧波ユカリ氏は美人であった」と登美彦氏は語っている。「『臨死!!江古田ちゃん』はたいへん中身の濃いマンガなので、猫も杓子も読むがよかろう」
なお、特集を眺めながら、登美彦氏は特集の趣旨に真っ向から反することを呟く。
「まあ、男汁もたくさん書いたが、勘違いしてはいけない。私は男汁ばかりを愛するわけではない。なけなしの能力の発揮しどころが、今までそこにしかなかっただけなのである。男汁世界から離脱できるものなら、私は決して後ろを振り返らずに抜け駆けするであろう、世の多くの男汁男子と同じく。サヨナラ男汁世界。サヨナラだけが人生だ。抜け駆け上等、ご意見無用」
「登美彦氏は俺の味方である」と考えた男性は騙されている。
油断するな。
甘くみるな、登美彦氏を。
なにしろ読み切れぬファンレターが届く登美彦氏ではないか。
「私の子どもたちは誰かの味方であったかもしれない」
登美彦氏は言っている。
「だが私自身は、誰の味方であったこともない。倒れる偶像に押しつぶされぬがよい!」
■[登場] 「別冊文藝春秋」9月号
森見登美彦氏と万城目学氏の対談が載っている。
西国一の聞き上手として名高い万城目氏の術中にはまり、ちゃんと話すのは初めてのくせに登美彦氏がべらべらと喋っている。
まことに情けないことである。
登美彦氏は以下のように語っている。
「万城目氏からもらったアリンコ観察セットは、いまだ活躍していない。アリンコを捕まえる機会がなく、部屋の中に虫がいると恐いからである。たとえ七匹のアリンコであろうとも、寝ている間に逃げ出したら、どこかへ運んでいかれるか知れない。したがってまだ実地に試せない。万城目氏には深くお詫びする次第である。いずれアリンコを捕まえる機会を得たら報告する」
登美彦氏は最近、万城目氏の動向について色々な方面から情報をこっそり仕入れるのを数少ない趣味の一つとしていることを関係者に明かした。情報収集して万城目氏に一歩先んじようという魂胆であろう。登美彦氏が駆使する情報機関は「森見機関」と呼ばれ、その構成員については謎に包まれているが、十中八九、編集者の人だと思う。
「私も万城目氏のように、部屋つきの執事を堂々と使える人間にならなくては」
登美彦氏はそんなことを言っているが、何のことだか分からない。
おそらく関係者には分かるのであろう。
2007-07-29
■[日々] 登美彦氏、手拭いをぶらさげて選挙へ出かける
森見登美彦氏は権利を行使するために、投票所へ行くことにした。
登美彦氏は、最近になって唐突に手拭いに「開眼」したため、珈琲豆の模様の入った黄土色の手拭いをひらひらとぶら下げている。
銭湯へ行くのではない。
選挙へ行くのである。
けれども登美彦氏は開眼した自分が嬉しい。
たとえ投票へ行くのだとしても、手拭いをぶら下げていきたい。
ここは断固としてぶら下げたい。
登美彦氏は夏の昼下がりの町をぷらぷら歩き、投票所へ行った。
そしてどぎまぎしながら投票をした。
登美彦氏はなぜか何度やっても、投票というのに慣れないのである。
この自分の清き一票に、なんだかいろいろなことが掛かっていると思うと、もう冗談を言う気にもなれない。国家の命運を己が手でねじ曲げるのは、非常にストレスフルな任務である。
重要な任務を果たしたので、登美彦氏は満足した。
そして暑い町中をぷらぷら歩きながら、手拭いで額の汗をぬぐった。
「夏は手拭いですよ、諸君」
登美彦氏はそんなことを呟きながら路地を抜け、定食屋にて親子丼をもりもり食べた。
2007-07-28
■[日々] 登美彦氏、発見をする。
森見登美彦氏の部屋は、「毛深い子」執筆、その他もろもろのドタバタのために、ほとんど機能を失っていた。
机のうえには本やFAX用紙やメモ帳が散乱し、台所には汚れた皿が積み上がり、洗濯物は溢れ、床はまた足の踏み場がなかった。このままでは、やるべきお仕事さえゴミの中に埋もれて、何がなんだか分からなくなる。
登美彦氏は意を決し、片づけに立ち上がった。
その過程で登美彦氏は驚くべきことを発見したと主張する。
「朝起きても、なかなか朝食を取れないわけです」
登美彦氏は同僚の鍵屋さんに言った。
「なんでですか?」
「得意の目玉焼きを作ろうにも、食器がない」
「買えばいいじゃないですか」
「いや、食器はあるんです。しかし使えない。ぜんぶ汚れて、流し台に積んである。だからそれを洗わないことには、そもそも目玉焼きを作ることができない。だから朝食がなかなかとれないことになる」
「ちゃっちゃと洗えばいいのに」
「ところが、流し台のとなりに洗った食器を入れるカゴがあるんですが、そこも食器がいっぱいで、洗った食器を入れることができないわけです。だからなかなか洗う気になれない」
「はあ」
「そこに根本原因があると、鋭い私は見抜いたわけです。乾いた食器をすぐに棚へ戻す。すると、どうだろう。洗った食器は瞬く間に流し台からカゴへ入り、流し台はいつもきれいです。流し台がきれいだから、洗い物をするのも簡単だ。したがって使った食器をすぐに洗うようになる。乾いた食器はすぐに棚へ移され、準備万端だから、すぐに目玉焼きを焼く作業にかかれる。これはものすごい発見です。あんまり嬉しかったので、紙に書いて台所に貼りました。一、乾いた食器はすぐに棚へ入れること。二、使った食器はすぐに洗うこと。どうですか?」
「それ、常識とちゃいますのん?」
鍵屋さんは言った。
2007-07-16
森見登美彦氏の仕事について報告するのをすっかり失念していた。
ここにまとめて報告する。
報告をすっかり忘れていた小説宝石6月号7月号の「美女と竹林」については、今となってはやむを得ない。
■[文章] 「小説宝石」 8月号
美女と竹林 第八回「登美彦氏、外堀を埋めて美女と出逢う」
自分の作品が世の人に読んでもらえるようになるまでには、苦しい修行の日々を何年も過ごさなくてはならない。注目されることがなくても、うまく書けなくても、本にしてもらえなくても、へこたれずに営々と努力しなくてはならない。そうして五年、十年、二十年と頑張った後に、ようやく日の目を見ることもあるかもしれないということだ。長い苦闘のすえに名作を書き、雑誌では特集が組まれ、「森見さんの原稿が欲しい」と目を潤ませた女性編集者がぞろぞろと京都へ乗り込んできて、ついには憧れの本上まなみさんと対談できる日も来るかもしれない―というのが登美彦氏の思い描いた「作家の道」であった。
「名作を書く」までは志が高いが、そこから先がなんだか違う、ということを気にしてはいけない。がりがりに痩せて似非文学青年風を装っている登美彦氏も、しょせんは人間だ。泣く子と地頭には勝てないのである。
「長い道のりだなあ」
登美彦氏は溜息をついた。「でも、こればっかりはやむを得ない」
■[文章] 「asta*」 8月号
恋文の技術 第五話「孤高のマンドリニストへ」
今も銀行員のかたわら、マンドリン道を究めておられますか?
正直なところ、先輩のマンドリンの腕前はいまだに謎です。マンドリンを弾くより語っている方が長かったからです。マンドリンオーケストラを飛び出す羽目になった理由もなんとなく想像がつくというものです。
丹波マジックにひっかかった学生たちと一緒に、先輩の「俺の奇兵隊」に加わりながら、維新も起こさず、学問にも励まず、ぐうたら朝寝をしていた頃のことを懐かしく思い出します。あの何ものにも束縛されず、そして何ものをも生み出さなかった光輝く青春の日々に、一度でいいから戻りたい。そしてすべてをやり直したい。
もう少しなんとかならんかったのかと思うわけですよ。
もう少しなんとかなっていたら、こんな山奥で恋文代筆のベンチャー企業を設立する夢を孤独に育む羽目にもならなかったと思うわけです。
そういうわけで恋文の書き方を教えてください。
恋文初心者守田一郎
丹波師匠 足下
■[文章] 「小説新潮」 7月号
「蝸牛の角」
「街路樹の葉から滴り落ちた水一滴にも、全宇宙が含まれている」というお話であった。
京都にて無駄な日々を送る学生ならば誰もが奉じる「阿呆神」という神は何処におわすかという話が転がって、シュレディンガー方程式やら宇宙誕生やらインフレーション理論やら華厳宗やら、そういう自分たちでも手に負えない言葉を無闇に弄ぶうちに、ますます手に負えない壮大な話になったらしい。徹底して議論する風をよそおいながら、結論を出す気はさらさらないのだから呆れたものだ。
下鴨神社のそばにある古い下宿の一室である。
男三人が面を付き合わせ、とりとめもなく喋りながら晩夏の夜を過ごすかたわらには、なぜか色とりどりの饅頭と麦酒だけがふんだんにある。
「―つまり、阿呆神の住まう四畳半は偏在するのだ」
薄汚れた浴衣を着て無精髭を生やした男が言った。
および、登美彦氏の山本周五郎賞受賞にまつわるインタビュー。
■[文章] 「小説すばる」 8月号
ヨイヤマ万華鏡 「狂言金魚」
掛川は「超金魚」を育てた男として名高い。
超金魚とは、なにか。
俺たちは奈良の出身だが、出身高校がある町は古くから金魚の養殖業が盛んで、父が住職をやっている寺のそばにも藻の浮いた養殖池が広がっていた。本堂の裏手にあたる板塀の下に古い水路が走っていて、どういう手をつかって逃げ出したものか、金魚が紅い花びらのように漂っているのを見かけた。
高校一年の夏休み前、どこかへ出かけた帰りに通りかかると、その水路にかがみこんでる人間がいて、それが掛川だった。学校ではあまり言葉を交わしたことがなかったけれど、あんまり熱心にやっているので、思わず自転車を止めて声をかけた。境内から塀を越えて張り出した木々が水路に影を落としていて、俺を見上げる掛川の顔は木漏れ日にまだらに染まり、それが夏休みの小学生のように見えた。なんだか知らんが、やけに楽しそうなのである。
「藤田君かあ」
掛川はいつものように「君」づけで俺を呼んだ。「・・・金魚をね、すくってるんだけどね」
「なんで?」
「鍛えようと思って」
普通ならばそこで「今後なるべく疎遠になろう」と思うだろう。高校生にもなって金魚すくいに精を出して、しかも「鍛える」とか言っている人間はあんまりよくない。案配がよくない。雲行きがよくない。彼独自の世界に俺の居場所はなさそうだ。
2007-07-11
■[日々] 登美彦氏、和服を着る
先日のことだが、森見登美彦氏は和服を着て写真を撮られた。
本来、登美彦氏はあまりそういう自意識過剰な感じの演出は拒むところである。
「太陽が眩しかったから・・・」
登美彦氏は読んでもいないくせに、知ったかぶりでそんなことを言う。
ともかく、登美彦氏はそういうことをしてしまった。
いろいろな取材を受けていると、ただ、なんとなく魔がさす、ということがある。
そうして登美彦氏は「登美彦氏はふだんからあんな格好をして京都の町をうろうろしているのだな」という誤解を世に広める。
そういう姿をしてよいのは京極夏彦氏であって、同じ「彦」でも大違いだ。
ちなみに、森見登美彦氏が「登美彦」という名前を選んだのは、京極夏彦氏の「彦」にあやかろうとした、と一部では言われている。
「森見登美彦め、少し女性ファンにおだてられたからといって、すぐに調子に乗ったな!」
そういう人もあるだろう。
もっと言ってやれ。
登美彦氏は同僚の鍵屋さんに言った。
「先日、和服を着せられて写真を撮ったのですよ」
「ふうううん。どんな和服ですか?」
「いや、どんな和服か分からんけれども、こんな風な、歩きにくい感じの・・・」
「なにそれ。ぜんぜん分からへん」
「分かりませんか・・・」
「芥川龍之介みたいになりました?」
「さあ」
登美彦氏は顎に指を当てた。「しかし、こんな格好をしたりしましたよ」
「ふうん」
「芥川龍之介みたいには見えまいけれど、たしかにぼんやりした不安には始終つきまとわれていますね」
「はあ」
「次の締切に間に合うかどうか、今日はいったい晩ご飯をどうすればいいのか・・・とか」
「それ、ボンヤリしてませんやん」
鍵屋さんは言った。
2007-07-07
■[日々] 登美彦氏、近況。
森見登美彦氏の近況を報告することを長い間失念していたので、どうやってこの記録を再開したものか分からない。
森見登美彦氏は山本周五郎賞を頂くためにしぶしぶ、凍るに狂うと書く「凍狂」(byうすた京介)へ乗り込み、角川書店にて秘密の打ち合わせをし、罠にはまって連載を始めることになり、『夜は短し歩けよ乙女』を漫画にしてくれている琴音らんまる氏と対面し、ホテルオークラへ行って控え室で怯えていると、選考委員の人たちが続々と入室してきたのでさらに怯えながらご挨拶をし、初めて恩田陸氏に対面して「文藝」にて浮かれて自意識過剰な質問をしたことをお詫びし、同室にいた佐藤友哉氏にはなんとなく恥ずかしくて声がかけられず、やがて授賞式が始まると佐藤氏や恩田氏のみごとなスピーチに圧倒されてしどろもどろとなって自己嫌悪し、受賞パーティではたくさんの人に頭を下げて腰を痛め、ファンタジーノベル大賞の同窓生の人たちに久しぶりに会うことができて心を温め、二次会では書店員の人たちや編集者の人たちにもみくちゃにされ、浅田次郎氏のかたわらに座ったものの一言も有意味なことを喋ることができず己を呪い、三次会では銀座のゴージャスなお姉さんたちがいるお店へ連れていかれて、葉巻をふかして偽ブランデー(=烏龍茶)を飲んだうえにお姉さんたちの肩を抱いて女性ファンを減らし、三次会までついてきた実弟に呆れられ、やがてホテルオークラへ戻ってへろへろのまま祭りのあとの哀しさを味わいつつ眠りについたと思えば、次の日は文藝春秋社にて万城目学氏と対談して初めてまともに意志疎通をし、「万城目氏は聞き上手でスピーチの達人だからきっと出世するであろう」と予言し、授賞式に参加した親族たちと東京駅でおちあって京都へ帰り、そして小説すばるに載せる「狂言金魚」に四苦八苦し、眠さと戦い続け、京都へやってきた雑誌「ダ・ヴィンチ」の人たちからインタビューをうけ、なぜか和服を着せられ、気がつくとホテルの写真室で芥川龍之介風(適当)写真を撮られており、さらに日が暮れてからも肉を食べながら喋り続け、そしてまた眠さと戦い、「狂言金魚」と戦い、柴崎友香氏の『今日のできごと』を読み、『青空感傷ツアー』を読み、才能不足と戦い、瀧波ユカリ氏の『臨死!!江古田ちゃん』があまりにも面白いうえに主人公がほぼ全裸体なので通勤電車内で読むのに色々な意味で悶絶し、そしてまた「ダ・ヴィンチ」の人たちと会い、瀧波ユカリ氏と対談をし、やはり人見知りをしてあまり喋れず、慌ただしくお酒を飲む頃になってようやく瀧波氏と少し打ち解けるかたわら、蒼井優について熱く語り続ける葦田氏の魂の震える音に耳を澄ませ、そしてまた眠さと戦い、「狂言金魚」がすべりこみで完成し、『ぴゅーっと吹くジャガー』の新刊を買い、単身赴任先の天津から一時帰国した父親および弟や母と山本周五郎賞祝い+母の誕生日祝いをし、数々の締切を目前にしてグッタリとソファに倒れ込んだまま微動だにせず、ふと「そういえばありがたくも直木賞の候補にしてもらったのであった」と呟いた。「おそろしいこっちゃ!」
最近の登美彦氏の動向を、駆け足で紹介しました。
2007-06-15
2007-06-14
2007-06-11
■[日々] 登美彦氏近況(6/11)
森見登美彦氏は、小説新潮に載せるための小説「蝸牛の角」を書き上げた。
森見登美彦氏は、インタビューの記事を読み、「恋文の技術」第六話のゲラを読んだ。
森見登美彦氏は、いっこうに進まない書き下ろし長編の態勢を立て直すべく、中央公論の人とお話をした。
森見登美彦氏は、氏の体脂肪率について知った複数の方々から、「私の分を差し上げたい」とありがたい申し出を受けたが、そいつは無理な相談だ。
森見登美彦氏は、氏の貧しい食生活について知った編集者の方々から、レトルトのカレーや「すっぽんスープ」などの差し入れを受け取った。東京から届いた箱を開けたとたん、中には簡単に食べられる栄養満点の食材がたくさん入っていたので、登美彦氏は「まるで母親からの差し入れのようだ!」と感激した。
森見登美彦氏は、まだ締め切りに追われている。「いつまで続く!?」と言っている。
森見登美彦氏は、「サマータイムマシンブルース」という映画が頭から尻尾まであんこの詰まったタイヤキのように面白かったのでDVDを買った。
2007-06-05
■[日々] 登美彦氏、脂肪を燃やし尽くす
森見登美彦氏は独自に開発した「Tomy's bootcamp」を駆使して、脂肪を燃やし尽くすことに成功したので、体脂肪率が10%になったという。誰ひとり話題にしない「Tomy's bootcamp」とは如何なるものか、名前がよく似ており誰もが話題にする「Billy's bootcamp」とはどこが違うのか。
登美彦氏によると「Tomy's boot camp」の手順は以下の通りであるという。
・自分の能力の見積もりを誤る。
・上記の手順をふまえた上で、仕事を引き受ける。
・締め切りに間に合わないかもしれない。
・頑張る。
・才能がないと自分を責める。
・締め切りに間に合わないかもしれない。
・机に向かい、珈琲を飲みながら煙草を吸う。
・ご飯を食べるのが面倒になる。
・ハッと気づくと一日が過ぎている。
以上である。
この方法の良いところは、Billy's bootcampのような「そら痩せるわ」というような過酷な運動をしなくても、机の前に座っているだけでよいことである。
Tomy's bootcampの効果は絶大であり、登美彦氏は身体のあちこちに無用のくびれがいろいろできた。現在の登美彦氏は絞りに絞られた肉体美を所有している。脂肪もないが筋肉もない。キーボードを叩く筋肉しかない。あんまり肉がないので、肩も凝らない(科学的に正しい理屈かどうか不明であるが、登美彦氏は肩凝りの苦しみというものをほとんどまったく経験したことがないという)。
だがこれでは、親類のおばさんから同僚の御母堂、編集者の方々まで心配するので、ほどほどにしなくてはいけない。
ビタミンは大事である。
そしてあんまり脂肪がないと、氷河期がきたらおだぶつである。
地球温暖化などと言ってすましている場合ではない。
そういうわけで登美彦氏は、法科大学院を見事に卒業して「法務博士」の肩書きを手に入れた今、当面なにもすることがなくなってしまった半ニート状態にある戦友と美味しい晩ご飯を食べた。そして元気になった。
2007-05-31
■[日々] 登美彦氏、たまにニュースを読む。
世間とできるだけ隔絶して生きよう生きようと日々努力を重ねている登美彦氏だが、さして努力をしなくてもすぐに隔絶してしまうのである。
そんな登美彦氏もたまにはニュースを読んだりする。
そうとも。
そして華麗に現代に追いつき、「毛深い子」執筆の応援物資として空から投下された高級マンゴーをひとりでむしゃむしゃ食べるかたわら、原因不明の鼻血を左の鼻孔から二回出したりする。
http://eg.nttpub.co.jp/news/20070531_16.html
「うすた京介氏万歳!」
登美彦氏は言っている。
毛深い子は今週末にこの世に最初の一歩を踏みだす(ただし誕生ではない)。
こんどこそ本当にそうであればいいと登美彦氏に代わって筆者は切に祈るものである。