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【コラム】韓国人は「沖縄集会」を取り違えるな(上)

 10年前に沖縄を訪問した際、現地では「独立論」が盛り上がりを見せていた。ちょうどそのころ、コザ市(現沖縄市)の市長を務めた故・大山朝常氏が95歳にして「過去について語れないなら、死ぬこともできない」として書き上げた『沖縄独立宣言』がベストセラーとなっていた。3人の子どもと母、兄を奪った戦争、米軍政時代の祖国復帰運動など、大山氏の語る過去からは、つらい記憶が影を落とす沖縄の近代史を知ることができる。大山氏はこの本の中で、「ヤマトは帰るべき『祖国』ではなかった」、「沖縄世(ウチナユ)に戻ろう」と主張した。「沖縄世」とは薩摩藩の侵攻により沖縄が独立を失った17世紀以前の時代を指す。

 当時沖縄では一国二制度の下で日本の他地域とは制度の違う「自由貿易地帯」として再出発しようという議論が、現実的な方策として語られていた。大山氏はその2年後に亡くなった。だが彼の独立論も、二制度論も、大きな流れを作ることはできなかった。日本政府が沖縄の動きに驚き、沖縄の振興計画を発表すると、沖縄の人々の不満も鳴りを潜めた実際に当時沖縄で独立論に関する動きを取材しながら、沖縄の人々が望んでいるのは独立ではなく、より多くの支援だということを実感した。

 沖縄が自分たちを見捨てた宗主国を、祖国として選んだのはなぜだろうか。日本はかつて戦争に執着して沖縄住民の5分の1が死にゆくのを傍観した。一方沖縄は戦後独立する機会があったにもかかわらず1972年に日本に復帰することを選んだ。取材当時、「米軍政下で疲弊し、何かすがるものが必要だった」という反戦運動家の発言に拍子抜けし、混乱した覚えがある。最終的に沖縄県民が選んだのは豊かさだった。日本は米国に3億2000万ドル(当時の為替相場で約990億円)を支払い、沖縄を領土に編入した。そして沖縄は天文学的な額の財政支援と税制面の優遇を受け、裕福な日本を構成する一員となった。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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