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渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針 第164号
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平成17(2005)年09月11日(日)
RDD方式の欠陥?:古澤 襄
元朝日新聞記者の贖罪の日々:石岡 荘十
愛知万博、AEDで人命救助:馬場 伯明
歌は3分半のドラマ:渡部 亮次郎
天災 人災:アンディー・チャン
誰のためにも死なない政治家:渡部 亮次郎
話 の 福 袋
反 響
身 辺 雑 記
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第164号 発行周期 不定期(原則日曜日発行)
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RDD方式の欠陥?
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「杜父魚だより』から転載
古澤 襄
今回の総選挙で興味があるのは、世論調査の的中率である。多くの人は1
世帯で1紙しか新聞を購読していないので、他紙との比較ができないのだ
が、非常に大ざっぱな仕切り方をすると朝日新聞と毎日新聞が左寄り、読
売新聞と産経新聞が右寄りということだろう。
左寄りの朝日新聞と毎日新聞が小泉改革に比較的好意的なのに対して、読
売新聞は小泉批判の顔を時々みせる。反岸・福田のナベツネ新聞だから、
もともと小泉に対しては一歩距離を置いてきた。その分、中曽根大勲位に
はベッタリ。カメさんはじめ抵抗勢力には同情的であった。
その右寄りの読売新聞と産経新聞が世論調査に基づく選挙予測で180度違
う立場をとった。読売は終盤戦で民主党が巻き返し、浮動票がドッと流れ
るとみている。これは従来のパターン。自民圧勝とマスコミが書くと揺れ
戻しで、民主党が伸びるという旧来のパターンに則っている。
産経新聞は終盤戦で浮動票が小泉陣営に流れるという判断を下した。連立
与党で 300議席という大胆な予測をしている。フジテレビは中曽根色が強
いといわれるが、新聞の方はそれほど色がついていない。
この違いはどこからくるのか。ストレートにいえば、世論調査そのものに
基礎的な欠陥がある。草創期の世論調査は不作為のランダム方式で対象者
を選び、直接、面談して質問票に答えて貰うことでスタートしている。こ
れが実はものすごくカネがかかる。
通常は県庁所在地で調査員を10人ぐらい選んで、交通費を支給して面談を
して貰う。一例をあげれば、盛岡市で岩手大学の学生アルバイトを雇い、
遠く一関市まで出掛けて、ランダム方式で選ばれた対象者に会うことにな
る。
それが市部の住民なら良いが、遠隔地の過疎の村まで行かねばならぬこと
が往々にしてある。経費は限られているからタクシーの使用は認めない。
一日に何本かというバス利用で遙々過疎の村まで行っても相手が留守とい
うこともある。出直すしかない。しかも期日は四日間と限られている。
そこで調査員は盛岡市内の喫茶店で鉛筆をなめなめ自分で調査票を捏造す
るという事件が頻発している。この様な不心得者を出さないために、調査
員が帰ってきたら、盛岡支局の記者が、調査対象の家にわざわざ電話して、
調査員が訪問したか追跡確認する仕事が増えたりした。
おそろしく手間がかかり、カネもかかる調査作業なので、私などは世論調
査不要論を唱えたこともあった。それよりもベテラン政治記者のカン・ピ
ューターの方が予測が当たると思ったからである。
1980年代ごろからRDD方式という電話世論調査が日本に入ってきた。い
ち早く飛びついたのは朝日新聞。RDDとはRandom Digit Dialing (乱
数番号法)の略で、コンピューターが不
作為に固定電話番号を抽出してくれる。
あとは電話で調査票に答えて貰えば良い。手間も省けるし、カネもかから
ないとあって、爆発的にRDD方式が世論調査の主流となった。
RDD方式の良い点は、電話帳に掲載されていない番号までコンピュータ
ーが選んでくれることであろう。従来方式では電話帳に番号を掲載しない
人々が、調査対象からもれてしまうので、全国の「有権者の縮図」として
は不適切という欠点があった。
ついでながら朝日新聞は「朝日RDD方式」をとっているが、800万読
者に限定した抽出方法には批判もある。
しかし携帯電話が爆発的に伸びた現在では、RDD方式にも欠陥があると
いう指摘が出ている。今の若い世代は、固定電話をほとんど使用していな
い。ところがRDD方式では携帯電話は対象から洩れている。
携帯電話の使用族である若い世代が調査対象から外れてしまう世論調査の
信憑性が今回の選挙で試されている。
今までは携帯電話の使用族は棄権率が高いので、無視してきたといえる。
しかし今回選挙の投票予測では、携帯電話の使用族も選挙に参加し、それ
が投票率を押し上げる可能性が高くなっている。その新しい層に対する調
査は、今のところ間に合わない。
そこで新しい層が民主党に流れるとみる読売新聞と小泉自民党に流れると
みる産経新聞の判断が分かれてきた。朝日新聞と毎日新聞も子細にみれば、
朝日が従来型、毎日が新しい型という違いがありそうだ。また台風の選挙
に与えた影響は、コンピューターでも測れない。いろいろな意味で、今回
選挙は面白いと思っている。
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元朝日新聞記者の贖罪の日々
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石岡 荘十
「贖罪」といっても昨今の捏造記事に関わる話ではない。その元朝日記者
は大正14年生まれ。つまり彼の年齢は昭和で数える年数そのままの老人
である。(註)今年は昭和に直すと昭和80年となる。
いま、神奈川中国帰国者福祉援護会の相談役。で、ひところ話題なった中
国残留孤児の帰国後、国を相手取って賠償を求める訴訟団の知恵袋的役割
に余生を賭けている。
東北のどこにでもある小さな寒村から、14歳のとき満蒙開拓青少年義勇
軍に自ら志願して満州へ。20歳になるまでの間にいろいろあって終戦時
には関東軍憲兵となっていた。
与えられた最後の任務は、高位高官の家族を避難列車に乗せて日本に送り
届けることだった。
途中さまざまな困難を乗り越え平壌を経由して、終戦からひと月あと、小
串(山口県豊浦町)に上陸、無事任務を果たした。
本人は生まれ故郷山形へ帰って結婚、地元の庄内日報を経て1953年、
朝日新聞の記者になった。
その人は菅原幸助さん。彼と出会ったのは私の初任地、札幌のサツ回りを
していたとき、40年以上前のことだ。
その後、私が東京に転勤したとき、彼は朝日新聞鎌倉支局へ。休日、札幌
時代親交のあった毎日や北海道新聞の友人と一緒に鎌倉を訪ね徹夜マージ
ャンに興じたこともあった。
ちなみに、毎日にいた友人はその後、河野洋平氏の秘書官を勤めた。
昭和53年、つまり菅原氏53歳のとき、横浜の中華街で仕事の関連で華
僑の大学生と知り合いになったことがきっかけで、満蒙開拓がじつは大陸
侵略の片棒を担ぐものだった、と改めて思い知らされる。
それより、高位高官の家族を送り届ける途中、蹴散らし、置き去りにした
多くの開拓民の子どもたちが、中国残留孤児となり、日本鬼子(リーベン
クイズ)とののしられ迫害されながら、異国の地で懸命に生き抜いた記録
を、図書館で発見する。
もしかしたら、「あのとき蹴散らした開拓民、列車を追いかけ助けを求め
たあの子どもかも・・・」
この日から、菅原氏の「贖罪」の活動が始まった。孤児の肉親探し、帰国
した孤児の生活支援、身元が判明しても引き受けを拒否する肉親に代わっ
て身元引受人にもなる。
また「中国残留孤児国家賠償請求訴訟」の法廷では、彼が見聞きした、あ
るときは加害者だったかもしれない棄民、国家が捨てた国民の惨状を証言
している。
しかし、各地で起こされた訴訟に対する最初の判決で大阪地裁は7/7「原
告らの請求はいずれも棄却する」と突き放した。詳細については、本メル
マ121号(7/7)に載っている。
菅原氏は傘寿。「このままでは、死んでも死に切れない」と贖罪の日々を
過している。
9月2日付け朝日新聞夕刊のコラム「人脈記」で菅原氏の活動がカラー写
真つきで紹介されている。たまらず連絡先を捜して電話をすると、昔とち
っとも変わらないしわがれ声で「せめてあと10年は生きたいねぇ」と意
欲的だった。
数日後、1冊の本が送られてきた。タイトルは「満州 楽土に消ゆ 〜憲
兵になった少年〜」(神奈川新聞社 編集局報道部編)。2004年9月
から39回にわたって神奈川新聞に連載された記事を加筆・修正したもの
だ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4876453667/qid%3D1126067107/249-5954895-0757165
本の帯に、井上ひさし氏が「このような人物がおいでくださると知って、
日本人であることに誇りを持つことが出来ます」と絶賛している。
ところで、本メルマ81号(4/28)で私の父の話を書いた。表題は「やっ
ぱり怖い? あの国」。そのなかで、大陸奥地の内蒙古・大同の軍需工場
で働いていた父が、終戦直前、現地の関東軍司令部に呼び出され、拳銃1
丁とわずかな食料を渡され、
「あとは自力で帰ってくれ」と置き去りにされた。軍は列車でさっさっと
引き揚げていった、と書いたが、菅原氏から送られてきた本は、この話が
事実であった可能性が高いことを物語っている。
父は、私たち家族を天津に残して単身で大同へ赴いていたが、家族を連れ
て大同に行った同僚の日本人の中には、逃げる途中、子どもを失ったり、
中国人に預けた人もいたと聞いている。
もしあの時私たち家族を奥地に伴って行っていたら、私たちも地獄を見て
いたかもしれない。その意味で、菅原氏の体験を綴ったこの本は、身につ
まされるものであった。
最近心臓の具合がわるいとも、本に書いてある。お役に立てばと拙著「心
臓手術」を送った。「少し涼しくなったら、1杯やろう」と菅原氏と約束
した。元毎日新聞の記者で河野洋平の秘書だった友人とも連絡がとれた。
いまどきの朝日とは別世界で贖罪の日々を過している彼を心から慰労した
いと思っている。
(2005,09,06)(いしおか そうじゅう ジャーナリスト 東京都在住)
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愛知万博、AEDで人命救助
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馬場 伯明 (2005/9/9)
石岡荘十さんが、先に、AED(全自動体外式除細動器)の普及の必要性と
緊急性について、本メルマガにおいて強く訴えられていた。
2005/6/1愛知万博で倒れた男性(41歳)をAEDの手際よい操作で4人の
観客が助け、名を告げず立ち去った。その後、横浜市立大学(医)学生と
わかり、(財)2005年日本国際博覧会協会は4名に感謝状を贈呈した。以
下大学記者発表のページ(2005/8/26)より抜粋・紹介する。
《(愛知万博で人命救助により感謝状)平成17年6月1日午前9時13分頃、
トヨタグループ館の待ち列で観客(41歳、男性)が倒れた。パビリオン
係員がこれを発見し協会警備隊に連絡し、救急要請を行った。
患者は意識を失い一時心肺停止の状態となったが、協会警備隊員がAED
(全自動体外式除細動器)を搬送し、居合わせた4名(横浜市立大医学生)
が連携しAEDを使用。 到着した救急隊員並びに救急医及び救急救命士
に引き継がれ心拍が再開し自発呼吸が戻った。
その後、ドクターヘリで到着した 医師が救急車に同乗し、午前9時40分、
救急車にて会場外病院に搬送された。この救急事案に対し、的確な応急処
置を講じ人命救助に大きく貢献した功績に伴い、(財)2005年日本国際博
覧会協会は、4名に感謝状を贈呈する。》
横浜市立大学 (医)学生4人の名前があきらかになった。北原佑介君、国
分沙帆さん、小竹恭子さん、小西隆行さん、いずれも6年生。開学式の休
みで、万博会場を訪れた際の出来事だという。
一般人によるAED蘇生は全国初、回復した男性は「お礼が言いたかった」
と目頭を押さえたという。(朝日新聞 青鉛筆 2005/8/30より)
この若者4人は立派な医者になると思う。うれしい話だなあ。ありがとう。
私たちも機会を得て、操作を習得しなければ。(ばばのりあき 千葉市在
住)
主宰者註:「話の福袋」に関連記事あり。
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歌は3分半のドラマ
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渡部 亮次郎
これは本当は「3分間のドラマ」とNHKのアナウンサーが連呼するので、
腹立ち紛れに書いている。古巣の荒れ方は酷すぎる。
なんで「3分半」か。昔の78回転のSP盤レコードの録音限界が「3分半」
だったからである。作詞家に、作曲家にどんな崇高な意図があるにしろ3
分半以上ははみ出してしまう。だから詰め込まなくてはいけない。作曲の
大御所古賀政男ですら「三分半」には逆らえない。
有名な話がある。「やると思えばどこまでやるさ、それが男の魂じゃない
か・・・」と楠繁夫の歌った「人生劇場」。古賀の作曲ではどうしても
「3分半」には収まらない。仕方ないから決断した。3番を2番にしたの
ではない。古賀の指示は「早く歌え」だった。
楠は「緑の地平線」でも急いで歌っている。とにかく「生命線」は3分半
だった。
古賀も楠も、レコード会社側もつくづく「3分半」に泣かされたのである。
まさに歌は「三分半のドラマ」だったわけだ。
昭和も30年代後半になると、レコードはLPになる。片面で30分分ぐらいは
楽に入る。古賀は浪曲師だった村田英雄に人生劇場を朗々と(ゆっくり)
歌わせた。人々はこれぞ人生劇場、堂々としていると賛辞を送り、レコー
ドは飛ぶように売れた。1曲3分半のデッドラインが無くなった。
レコードはやがてCDの時代からMDの時代になり一曲に時間制限は無くなっ
た。3分「間」のドラマを連発する加賀美幸子アナウンサーは既に停年退
職したが、いまだにラジオの深夜便には隔週で登場して「3分間」を連呼
している。
演歌番組も結構こなしていた「権威」なので彼女のいう「3分間」はNHK
に定着した観がある。
時代は変遷する。今の若い人にベートーヴェン一曲を聴くのにレコードを
十何枚もひっくり返したSP時代を説明しても理解できないのは当然だが、
こうやって説明すれば歌がなぜ「三分間」ではなく「三分半のドラマ」だ
ったかは即座に理解されるだろう。
しかし、学術優秀、常識子供以下だけを採用すれば、常識を孫曳きする輩
ばかりだから「三分間」はなくならないだろう。世間や歴史に学ぶという
謙虚さの無い学術優秀者集団。NHKは体験的に考えてみれば第二朝日新聞
になっている。その二社が争っている。これを世間は目くそ鼻くそと言う
ことを彼らは師ら居ないはずだ。(了)2005.09.08
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天災 人災
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◆[AC論説]No. 147 (2005/9/8)から転載
アンディー・チャン(在米)
カトリーナ台風が上陸した時点でこの台風はアメリカ史上最大の天災とな
るだろうと友人に書いて、続報を書くつもりでいたところ、堤防が決壊し
てニューオーリンズは水浸しとなった。
ところがその後で天災が人災となって、テレビ報道を見るだけでもムカム
カする。災難が起きれば助け合うのが人道だが、人の災難を利用して政敵
を攻撃するのは野蛮である。
アメリカの人災と、台湾の人災は共通点が非常に多い。愚民はと罹災民に
は共通するものがある。罹災民の無責任、道徳のない犯罪。
災害を政治化して報道するニュースメディア。災害を政治野心に利用する
悪徳政治家。
トルストイではないが、「天災はそれぞれ違う所があるけれど、人災はど
の国でも似たようなものである」。今回はこれを書いてみたい。
●未来に対する防備が出来ない人間の悲しさ
カトリーナ台風が齎した災害地区はイギリス全土、または日本全土よりも
広範囲と言われる。
周囲を取巻くレイク・ポンチャートレインとミシシッピー・リバーより低
い土地に作れられたニューオーリンズは、堤防が決壊すればお椀に水を入
れたようになることは、毎年のようにここを襲う台風で住民は知り尽くし
ていたはずである。
今回の台風が大型で大きな被害が出ることは数日前からわかっていた、市
長は2日前に全市民に退避命令を出したのである。
それにも拘らず未曾有の災害が発生したあと、死者は1万から2万5千人、
罹災民の数は10万から30万人にもなると言われるのは、半数の住民が退避
しなかったからで、自業自得としか言いようがない。
もちろん彼らにも言い分はある。貧民が多くて退避する車がない。お金が
ない、行き場所もない。だが、それより大きな原因は半数以上が災害を見
くびって「退避を拒否」したからである。
毎年のように襲って来る台風に麻痺してしまった。「オレはここに一生住
んでいた。退避するよりここで死んだほうがマシだ」、「台風には慣れて
いる、毎年あるのだからかまわん」、「オレの家はここしかない」、など
など。
自己責任で居残ったはずが、屋根の上で救助を待つ身になれば「政府はな
にしているのか」と言いだす始末である。
人間は不幸を恐れても不幸を防ぐ準備をしない。他人の不幸から学ぶこと
をしない。人間は自己責任の厳重さを察知しない。不幸を責任転嫁したが
る。
私だって小さい頃は夏休みの宿題をサボって、学期が始まるときにベソを
かき、受験勉強をサボって入試が発表になってから慌てたものである。
台湾の危機は中国に併呑される事、国民党が復権して中国に降参すること
である。ところが人民は何もしない、共産党に併呑される恐れを知ってい
ても何もやらない。
今でも半数が国民党に投票する状況である。「国民党だって構わん」、
「何も出来ない、仕方ない」、「政治は無関心」などという。無関心だっ
たら災難は頭を素通りすると思っている。
自由民主を守る努力をしない台湾人が国民党の恐怖政治を忘れたように振
舞うのは、ニューオーリンズの難民が台風を恐れないと嘯いていたのと同
じ、愚民が難民となるのは当然である。
●地方行政官の責任なすりあい
アメリカには連邦緊急事態管理庁(FEMA)という機関がある。今回の台風
でFEMAはニューオーリンズの周辺に緊急設備や食料供給本部などを備えて
いた。
ところがルイジアナ州とニューオーリンズ市の対応が不完全で救援物資が
届かない事態になり、FEMAが批判される羽目になった。
FEMAにも落ち度はあったが、最大の責任はルイジアナ州とニューオーリン
ズ市にある。まず、台風で全市に避難命令を出した市長は、市内のスクー
ルバス400台で避難者を輸送しなかった。
避難者をスーパードームに収容したが、水や食料の準備が殆どなかった。
つまり、市長は台風が半日ぐらいで収まって収容者は帰宅出来ると思って
いたのである。
ところが堤防が決壊して全市水浸しとなり、電気、電話、水道が止まって
トイレも使えなくなり、食料もない。FEMAが物資を輸送したくても市内に
入れない。
どうしてFEMAは台風の襲来前に物資を輸送しなかったかと批判する声があ
るが、台風に襲われると知っている場所に物資を運ぶバカはいない。これ
は無責任な批判である。
調査で明らかになったのはルイジアナ州、ミシシッピー州などは電話電線
などの通信網設備が不十分で、災害に出合うと通信が破壊され連絡が出来
なくなった。
地方は連邦のせいにする、連邦は地方の責任にする。いずれにしろ、今と
なっては難民救助が先で、責任のなすりあいをしている時期ではない。
●火事場泥棒、強姦殺人
台風が過ぎるとすぐに火事場泥棒が起って警察は鎮圧に躍起となった。こ
の時も市長は軍隊の導入を要請していない。スーパードームの内部では難
民で一杯なのに殺人、強姦事件が起きて国民は唖然となった。いったい国
民の道徳観念はどうなっているのか。
警察の不備を詰る声も高かったが、警察官、医師と看護婦、消防隊、緊急
救助隊などは何日も24時間働き通しで、過労とストレスのため自殺した警
察官が2名、辞職した警官が6名もいた。
●醜悪なメディアの「幸災楽禍」報道
未曾有の災害を報道するのはた易い。どこを見ても悲惨な状況がある。難
民は救援が遅れたといって嘆き、テレビは人々の災難を流して得意になっ
ている。
アメリカの3大テレビはみな民主党系で、これを機会にブッシュ政権を非
難する映像ばかり流していたのは醜悪だった。災難の真ん中で災難を報道
するのは簡単である。なぜ救援隊の献身的な努力を報道しないのか。
災難の報道は大切である。しかし、救助人員の献身的な努力、救助された
人々の感謝や笑顔を報道するのも大切でなかったか。最初の数日は災難の
報道をしても、救援が始まれば救援状況を報道して救助の努力を前向きに
世界に報道すべきである。
救援活動を評価して感謝する報道を行っていたのはFOXニュースの Van
Susteren記者とRiviera記者だけで、残りのCBS、ABC、NBCなどは災害を報
道することだけに終始していた。
CBSのダン・ラザーなどはニュース特集で「誰の責任か」を追及していた
のである。見るだけでも憤慨に堪えない。
3大テレビのイラク戦争報道も同じである。戦争だから死傷者が出るのは
当然である。だが毎日のように5人、3人と戦死者の数を報道して家族が
涙を流す場面を報道すれば、国民が厭戦気分になるのは当然である。
アメリカの3大テレビが民主党系であるように、台湾のメディアも国民党
系である。政府攻撃に終始していれば民衆は反政府になるはずだ。
5年前のことだが、大雨の台湾で川の中州に4人の農民が取り残された。
ヘリの出動が遅れて4人は水に流されて死亡した。すると野党はこれを政
府の責任として批判を繰り返し、ついに行政院長が引責辞任した。しかし、
出動が遅れた救援隊長、警察、県長などは国民党の党員で追及されなかっ
たのである。
●災害を利用する野党政治家
カトリーナの災害が起って2日後、ブッシュ大統領は休暇を中止して被災
地を視察し、ワシントンに戻るとすぐ次々と救援活動の指令を出した、軍
隊出動もこの時の指令である。
ところがその2日後になって、ルイジアナ州の民主党系国会議員はABCテ
レビのヘリで(被災地の上空を飛びながら「ブッシュはカメラチャンスが
欲しくて被災地に来た」と批判したのである。ABCテレビのヘリに乗って
ブッシュを批判したのはカメラチャンスでなくてなんであろう。
総統の被害地視察が批判されるのはアメリカだけではない。今年の7月に
台湾で台風があり、山岳地帯の道路が流されて被害が出た。
陳水扁総統が現地視察の赴いたところ、野党の議員は「総統は被災地で救
助人員の担いだ駕籠に乗った。総統のために臨時の橋を架けた」と攻撃し
たのである。現地視察をしても、しなくても政治化攻撃の材料となるので
ある。
●ヒラリーの政治ショー
史上最大の天災といわれ、毎日のように救済活動が報道されると政治家は
大喜びで政敵の批判をする。最も批判に曝されているのは連邦緊急事態管
理庁(FEMA)である。
もともと天災は悲惨であり、罹災者がテレビで苦情を言うことはわかって
いる。でも救助員の努力は報道されない。難民の感謝の声が報道されない。
救済英雄は当たり前見たいに無視され、テレビが人々の善行について感謝
を報道せず、逆に救助が遅い、黒人が無視された、と一方的な報道をする。
FEMAの救援活動を批判する政治家も多い。FEMA批判の最先鋒がナンシー・
ペロシ上院議員(民主党)である。FEMAのブラウン長官を罷免せよ、FEMAの
職員全部を罷免せよとテレビで攻撃している。
全米が救助に努力している最中に、個人的な怨恨か政治野心か知らないが、
FEMA長官と全員の罷免を持ち出してどうなるのか。
そこへ飛び出したのがヒラリー・クリントンの政治ショーで、彼女は
「FEMAを格上げして独立部門を設置しろ」とブッシュに迫ったのである。
FEMAは緊急事態管理庁と呼ばれ、クリントン時代は管理庁の格上げや予算
追加をしていた。
9・11のテロ攻撃のあと政府が国土安全庁(Homeland Security
Department)を設置した際に命令系統を1本化するためFEMAをここに組み
入れたのだった。
しかし今回の大災害が起ると救済が遅い、落ち度があったといわれ、FEMA
の風当たりが強くなった。FEMAを全員罷免しろ、とペロシ議員がテレビで
大見得を切った。逆にクリントン上院議員はFEMAを格上げして独立部門に
しろという。
これは政治闘争であるが、今は政治闘争をやる時期ではない。救助と復興
が大切な時期に政治家が勝手な注文をつけるのは醜悪である。
ヒラリーは2008年の大統領選挙に出馬する、そのために政治的演技で知名
度を高める、わからないでもない。しかし、米国全体が救援活動に取り組
んでいるのに、自分の政治的野心に災難を利用して派手な政治ショーをや
るのは無思慮であり、間違ってこんな人間が大統領になれば国が滅びる。
FEMAは自然災害だけでなくテロ災害にも対処しなければならない。今回の
災害で落ち度があったとしても事後の検討会で明らかにされることである。
現在は情報が混乱しているので自分勝手な批判をする時期ではない。
ヒラリーがFEMAを独立部門にすれば今後の混乱や落ち度は解決できるかど
うかもわからない。検討会が結論を出すまでに何年もかかるが、今はそん
な時期ではない。
ペロシ議員、クリントン議員が天災を政治的野心をもって攻撃の材料にす
るのは「人災」である。天災で一生懸命なのに人災が加われば混乱が増大
するだけである。筆者はどの政党にも属していないが醜悪な民主党には投
票しない。■
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ アンディ・チャンの本 ◇◇◇◇◇◇◇
「フライディ・ランチクラブ」ISBN 4-88306-955-9 新風舎
「不孝のカルテ」ISBN4-434-00589-8 東京図書出版会
「台湾号会沈没?」ISBN-957-801-356-6 前衛出版社
「台湾号加油」ISBN 957-8251-54-8 一橋出版社
「連宋之乱的真相」、前衛出版社
記事のバックナンバーは
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誰のためにも死なない政治家
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渡部 亮次郎 2005.08.09
私が政治記者になったころは、政治家は戦争に無関係な人は1人もいなか
った。大東亜戦争の戦場で敵を斬った人、撃った人、弾を金玉に受けた人、
主計に居た人、様々だったが、戦争体験者ばかりだった。
今見ると、そうした人は1人もいない。しかも驚くことは「命を大切に」
といって大事にするのはまず自分の命であることだ。他人の命ではない。
亀井静香は自分を貫くことが仲間を殺すことになるとは考えていなかった。
これに反して小泉首相は衆議院解散を「オレは殺されてもやる」とナマな
言葉で語った。人々は久々にそこに熱意とか誠意といったものを感じ取っ
たのではないか。支持率の急激な上昇が物語っている。
他人のために自分を殺せる人は日本から殆ど居なくなったが、昔は他人の
ために死ぬ、と言うのが男の条件だった。戦前生まれの小生はそれを引き
続き信じていた。
しかし、「命を大切に」とは自分の命を大切にすることだと知って愕然と
する。日教組は子供たちに、そう教えていたのである。「まず、自分の命
を大切に、その後で相手の命を大切に」なんて恥ずかしくて小生には言え
ない。
敗戦後、アメリカの手前勝手な裁判?極東裁判で絞首刑に処せられたA戦
犯で、刑の執行を前にじたばたした人は1人も居ない。オレが死ぬことで
日本人が幸せになると言うなら、喜んで死のう、と言う覚悟だった。
私は処刑されなかったA級戦犯を2人知っている。正確には「容疑者」と表
現すべきだろうが、!)賀屋興宣(かや おきのり)!)岸 信介(きし の
ぶすけ)である。賀屋は日米開戦時、東条内閣の大蔵大臣、岸は開戦時、
東条内閣の商工大臣だった。
彼らは「日米、戦うはやむを得ざるものあり」と決意して東条開戦内閣の
閣僚になったのだから、戦争に敗れれば「処刑」は覚悟で入閣したのであ
る。自ら信じて開戦内閣に入閣したのであるから、こと敗戦となれば、死
ぬことは国家のため、止むを得ざるものと決めた。
後に無罪とされて釈放され2人とも衆議院議員になり、とくに岸は総理大
臣になり、賀屋も法務大臣になった。小生は2人に個別にたびたび会った
が、一旦は国のために死を決意しただけに、2人とも、命を超越した風圧
と貫禄を持っていた。
賀屋は「巣鴨に収監されて、規則的な生活を余儀なくされた。それまでは
毎晩、飲めや歌えやだったから体ががたがたになっていた。収監されたお
陰で健康を取り戻したよ。ありがたかった」とまで言っていた。
岸はやはり首相になった佐藤栄作の実の兄である。佐藤家に生まれたが次
男の信介は岸家に養子に行った。3男の佐藤は佐藤家に養子にいった。長
兄市郎は若くして死亡。
岸は大変な「切れ者」だった。東大に教授としての道を選んで残れと奨め
られたが、あえて官僚の道を選び、それも内務省や大蔵省ではなく商工省
を選んだ。いまの経済産業省である。
しかも誰も行きたがらない満洲国に出向して自らの理想的信条を五族協和
の精神で実験した。その上で帰国後、本省次官を経て商工大臣として日米
開戦内閣に入閣したのである。
それにもかかわらず、戦犯として有罪にならなかったのは、岸が敗戦間際、
東条首相に戦争終結を迫り、それを拒否されるや、商工大臣の辞表を提出
し、東条内閣の総辞職を招いたためである。明治憲法では閣僚が1人でも
欠ければ内閣は総辞職しなければならなかった。岸は東条と無理心中した
のである。
東条の悪口を言えば言うほど岸が光る。しかし、あの時代、東条に弓を引
く事は「死」を意味していた。それでも岸は東条を倒そうと決意した。殺
されるかも知れないのにである。「負け戦、早く降参すべきだ」と。
総理大臣を辞めた直後、総理大臣官邸で右翼に刃物で刺された。その時に
失禁した。それを見た若い記者は「岸はだらしない」と言った。後でそれ
を言うと「そういえば巣鴨ではよく夢精をしたな」とかわした。刺されて
失禁は人間、当然の反応だからである。
2人に共通して言えた事は、生きることが己のためではなく、国家、国民
のためだと言うことであり、そのために殺されるならそれも止むを得ない
と覚悟していたことである。
我々はアメリカ占領軍から、いわれなき逮捕を怖れるあまり、早々と「1
億総懺悔」を表明したのみならず、民主主義とは命を落とさないことであ
り、特に他人のためには死なないことだと誤解して暮らしてしまった。
このために、国家のために生きる、とは言うけれど、国家のために死ぬ、
と高言する政治家がいま居りますか。郵政民営化法案は国の大本にかか
わるものではあるからこの成立のために生命を賭けると小泉首相はいっ
た。
あの田中角栄が、生涯、心血を注いで作り上げた「政官財がんじがらめの
談合政治」の、しかも根源をなす「郵政」を官僚から取り戻すためには大
変な荒療治無しには不可能と覚悟を決めたのである。だから「殺されても
やる」との科白が出て来たのである。
しかし、他人のために自らの生命を賭ける、他人のために死を賭すことが
政治だと考えたことの無い自称政治家は、己の当落だけを考えて出処進退
を決めてしまった。法案反対者のすべては単なる「短慮」だと小生は判断
する。
例えば中曽根大勲位の倅さん。親のため、自分のために首相に煮え湯を飲
ませた度胸は立派だったかも知れないが、あれが果たして国家、国民のた
めの反逆行為と言えたか。
100歩譲って、己のためになったか。参議院議長就任を妨害されたハラい
せだったとも言われたが、あれで議長の椅子は永遠に遠ざかった。反逆の
意味は達せられたのか。
そうではなく、政治家の原点として、国家、国民を思って己を殺すなら、
賛成票を、涙を呑んで投ずるべきだった。それでこそ親を超えられたはず
だ。
余計なことを書くが、わが師園田直は嘗ての親友中曽根康弘を死ぬまで軽
蔑して死んだ。日米安保条約を認めれば、再軍備は不可能になるから、け
しからん、断乎反対だというから従いて行ったのに本会議場では列の先頭
から消えていた。
三木武夫幹事長から「キミが将来、首相になろうとする時、キズになる」
と説得されて、投票を青(反対)から白(賛成)に変えたのだ。総理になって
理想は達成したかも知らんが、仲間を裏切った罪は永久に消えない、と。
少なくとも小泉首相は郵政民有化の実現こそが戦後自民党政治のいい加減
さの打破にとって欠くべからざるものだと考えた。従って衆議院の解散は、
初めから覚悟していた。だから事態が混乱することを望んでいた。気づか
なかったのは指南役と自称側近だった。
小泉首相が国と国民のために死ぬ覚悟を固めていた。有権者は郵政民営化
法案に身を添えて国民のために小泉は敢えて死ぬ覚悟は出来ているのだ、
と感じて無党派層もシビレたのである。「オレは死んでもいい」と言った
とき、国民はシビれてしまったのだ。そんな首相、居なかったもの。
今日、報道各社の行った世論調査は、小泉首相の圧勝を予測している。と
ころが各社はそれに不信感を抱いたまま、クビをかしげながら国民に投げ
つけている。当るも八卦、当らぬも八卦とはいうが。
しかし、」国民は久しぶりに「国民のために死ねる」政治家を小泉首相に
見て興奮しているのだ。マスコミはそれを分かってない。仕掛けの小泉の
勝ちよ。劇場にしろ演技にしろ。(文中敬称略)2005.09.09
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話 の 福 袋
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1)下農高生事故で除細動器使われず 扱える職員不在
長野県下伊那農業高校(飯田市)の野球部員が6月、練習試合で胸にボ
ールを受け、心臓振とうとみられる症状で心肺が一時停止、意識不明と
なった事故で、練習試合のあった名南工業高校(名古屋市)には心停止
した人を蘇生(そせい)させる自動体外除細動器(AED)が配備され
ていたものの扱える職員が当日おらず、使われなかったことが8日、分
かった。
AEDは昨年7月、一般の人が使えるようになった。愛知県は3月末に
全県立高校182校に配備したが、事故現場にいた監督と野球部長の2
人は7月に使い方の講習を受ける予定だったという。
名南工高の橋本実校長は「消防局と講習日程を調整している間にこんな
ことになってしまった。非常に残念に思う」と話している。
名南工高によると、AEDは保健室に配備されていた。保健主事と養護
教諭が使用講習を受けていたが、練習試合当日は休日で不在だった。信
濃毎日新聞 9月9日(金)
2)秋月さんに映画「アンゼラスの鐘」の完成を報告
被爆医師の秋月辰一郎さんを描いた長編アニメ映画「NAGASAKI
1945〜アンゼラスの鐘」の完成披露上映会を前に、有原誠治監督ら
製作関係者が8日、長崎市小峰町の聖フランシスコ病院に入院中の秋月
さんを訪ね、映画の完成を報告した。
映画は、長崎原爆で自ら被爆しながら被爆者の救護に当たった秋月さん
ら浦上第1病院の様子を克明に描いている。関西プロデュースセンター
(京都市)や虫プロダクション(東京都)などでつくる製作委員会が昨
年から製作。被爆60年の今年8月に完成する予定だったが、原画作りが
遅れていた。
同病院を訪れた有原監督らは、1992年にぜんそくの発作で倒れて以来、
寝たきり状態が続く秋月さんに寄り添い「先生にお見せする日が来たら
うれしいです」などと話し掛けた。
秋月さんの妻、すが子さんは「大変ありがたいことです。映画を通し、
戦争や原爆を知らない若い人たちに、原爆のすさまじさ、悲惨さを伝え
てほしい」とお礼を述べた。(長崎新聞 9日)
3) 焼酎原料おいシソ 白糠・鍛高で収穫始まる
【白糠】釧路管内白糠町の鍛高(たんたか)地区で、特産の焼酎「鍛高
譚(たんたかたん)」の原料となる赤ジソの収穫作業が始まった。
「
鍛高譚」は1992年の発売以来、シソの芳香とさわやかな飲み心地が人気
を呼び、道内外に販路を広げる大ヒット商品に育った。生産者であり、
シソ焼酎の発案者でもある同地区の農業平賀勝也さん(73)のシソ畑
は4ヘクタール。
「
需要が年々増え、今年は作付面積を1ヘクタールほど増やした。昨年の
約3トンからどれだけ収量が増えるか」と話す。
無農薬で1メートルほどに成長したシソを根元から丁寧に刈り取り、水
で汚れを落としてから1本ずつ乾燥。機械で細かく裁断した後、合同酒
精旭川工場へ運び込まれ、デーツ(ナツメヤシ)とともに発酵させて香
り高い鍛高譚に生まれ変わる。(北海道新聞 2005/09/09 07:03)
4)赤レンガ倉庫で12日に日本酒蔵元サミット/横浜
日本酒の魅力をアピールしようと、横浜市内の日本酒愛飲家有志でつく
る「横浜日本酒委員会」が12日、横浜市中区新港の赤レンガ倉庫1号館
2階フロアで「日本酒蔵元サミット」を初開催する。
全国65社の蔵元関係者が自慢の地酒を持ち寄り、参加者に振る舞いなが
ら交流する。
最近の焼酎ブームのあおりを受け、日本酒の消費が伸び悩んではいるが、
全国各地には美味で、安心して飲める日本酒づくりを続ける蔵元も多い。
サミットには北海道から佐賀県までの若い蔵元経営者が集まり、県内か
らは海老名市の泉橋酒造が参加する。
当日、会場は蔵元別にブース分けし、参加者は各ブースを巡りながら約
300種そろう地酒を楽しみ、蔵元関係者から酒の特徴や酒造りなどについ
て説明を受け自由に意見交換する。
同委員会は「蔵元関係者は赤レンガに集まる若い消費者の声をじっくり
聞いて、商品開発にも結びつけてほしい」と話している。
サミットは、午後2時から午後5時までと午後5時から午後8時までの
2部構成。参加料は1,500円。問い合わせは丸十酒店電話045(663)5345
(神奈川新聞 9日)
5) 中国当局が強制送還した脱北者、3分の1が処刑・迫害
【大紀元日本9月8日】「中国当局は、約1万人の北朝鮮脱出者を北朝鮮に
強制送還し、そのうち3分の1の人は、金正日政権に処刑または迫害で殺
された。」と有名な脱北者で、朝鮮日報記者の姜哲煥(カン・チョルファ
ン)氏が9月5日、ロンドンの記者会見で明らかにした。
英議会で開かれた全世界キリスト教徒連合会の記者会見で、姜哲煥氏は
発言。北朝鮮当局が政権に対して異議を持つ者を拉致し、残虐に拷問す
るなどの反人権行為を暴露し、中国共産党が北朝鮮当局と連携し、脱北
者らを迫害する内幕を暴いた。
姜哲煥氏は9歳の頃、祖父が「反逆罪」を着せられ、家族と共に強制収容
所に10年間収監された。長期にわたり政治犯が受ける各種の迫害を目に
し、祖父が死去後、釈放された。1992年に単独で北朝鮮を脱出し、数々
の困難を乗り越え、中国経由で韓国入りをした。
その後、姜哲煥氏は自分の経歴と見聞を元に、フランスの歴史学者ビエ
ール・リグロ氏と『平壌の水族館:北朝鮮強制収容所で送った10年間』
を共著した。この本は、北朝鮮刑務所の隠された恐怖の事実を暴露した。
2000年11月から、姜哲煥氏は韓国の大手メディア「朝鮮日報」の記者に
なった。
姜哲煥氏の発言は次のとおり。
この50年来、北朝鮮は独裁専制の共産党国家である。国民には自由と人
権がなく、政治犯らはみな長期にわたり刑務所に収監され、多くの人は
生きたまま出る希望すらない。
現在、収監されている人の中に、婦女と児童も大勢含まれている。年齢
や、健康状況に関らず、極度の重労働を強いられ、飢餓と酷刑に直面し、
多くの人は処刑や迫害で殺された。
多くの人は北朝鮮の共産党独裁政権から脱出することを決意し、一部の
人は中国に逃亡した。中国当局はこうした北朝鮮難民を庇護することを
拒否し、北朝鮮難民問題で誤りの決定をした。
約1万人の北朝鮮脱出者が中国当局に強制送還され、北朝鮮で残虐な迫害
を受けている、すでに3分の1の人は処刑と迫害で殺された。
我々は中国当局に強制送還された北朝鮮難民の名簿を整理している、近
い将来に公表する予定。もし北朝鮮と隣接するのが中国ではなく、日本
であったら、こういう北朝鮮難民問題は存在しないだろう。
過去20年間で、中国は高い経済成長を遂げたが、中国当局は依然北朝鮮
当局の人権侵害を支持している。中国共産党は北朝鮮政府の崩壊を恐れ
ているため、北朝鮮難民の庇護を拒否している。この問題で中国当局は
必ず国際社会に非難されるはずだ。
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反 響
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1)アメリカ週刊誌タイムの9月2日号は、ニューオーリンズ災害のレ
ポートが中心で、写真が生々しい。イラストがニューオーリンズの町の構
造をよく分からせものである。
この惨状をみると、町が昔の面影に戻るには、10年以上、掛かるのではな
いかと思われる。アメリカでも、アメリカを代表する町として人気がある
町だったが、当分の間は観光地として訪れるに忍びない環境となるのだろ
うか。
ミシシッピ川を上下する外輪船(パドルシップ)はどうなったことやら。
渡部亮次郎氏が船の上で踊っていたのはもう20年まえのことだ。
町の形の上での崩壊が痛ましいが、また、アメリカ人の心の内に潜む、民
族と社会についてのさまざまな深淵を垣間見る思いである。(新)
2)残暑お見舞い申しあげます。台風一過、西日本に多大な被害をもた
らし、多くの犠牲者が出ました。被災された地域の方々にお見舞いを申し
上げ、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。
地球の温暖化は確実に異変をもたらしています。温暖化対策に真っ向から
反対しているアメリカが天罰を受けたのではないかと思いたくなる。しか
し、犠牲者の殆どが貧しい黒人層とあっては口にするさえ憚られます。
今回のハリケーンが1年早ければ、ブッシュの再選は無かった。他人の不
幸で生き延びる悪運の強い男だ。歴史がどう裁くだろうか!
頂門の一針楽しみにしています。週刊と限定されず、いつでも刊を期待し
ています。多くの内容には大変勉強になっています。
ちょっぴり希望を言わせて頂きますと、エリートの知識層のご意見が多く、
庶民派には敷居が高いと感じています。恐る恐るの投稿で肩も凝ります。
肩を解すご意見も拝見したいものです。庶民派の投稿例・・・
昨日、おじん宛てに、流行おくれの”架空請求”のハガキが舞い込みまし
た。世間にどのくらいの詐欺行為が横行しているのかをつぶさに調べてみ
ました。
あるわあるわ、よくぞ、これだけの悪知恵がでると思うほど、この知恵を
先進的な方面に回して呉れたら、日本は知能大国になると思うのだが・・
・!東大出のエリートよ、しっかりしてくれ〜!(節)
3)朝日新聞の捏造問題。記者の採用よりも入社後に問題があるのでは
ないかと思います。定期入社をパスすると練習生と呼ばれて地方へいきま
す。
東京に何時戻るか競争がすぐに始まります。夏の甲子園に同期が一堂に集
められて実力を試されます。野球という同じ状況下で記者としてどれだけ
書けるか、取材は無論、筆力、折衝力、主催者としての統率力がチェック
されます。
そのときのデスク如何で点がよくなればOKです。練習生という特権的な
扱いを受けていい気分だったのが、篩に掛けられるわけですが、ちやほや
されて育てられると、鼻持ちならない記者になりますね。ちょうど公務員
上級職と同じです。これはいまも生きているはずです。
これに加えて東京では上を見てばかりいる記者ばかりです。上に気にいら
れれば出世まちがいなし。最近は政治部では分かり易く、利いた記事がい
いらしいとかで、週刊誌なみの面白い書き方 捉え方が流行。
怪しげな編集委員とか論説委員とかが肩で風を切っている。署名入りなら
一流とかTVにでも出ればさらにいい気分になる。おかしな記事が大きく
扱われているのでお分かりでしょう。
ちょっと思い出していただければ納得されるのではないでしょうか(一)
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身 辺 雑 記
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塩辛に混じって赤トンボが飛んでいる。秋の気配だろうか。10日もまだ30
度を越すそうだが、桜は次々に葉を落としているし、栃の木の実は殆どが
落ちた。銀杏も間もなくだ。
総選挙。どうなるのか。いまだに派閥に籠もり、大局を見ることをしない
今の政治記者には世の中の大きな流れを見る能力は無い。派閥がとっくの
昔に瓦解しているのに、派閥の長を取材すれば派閥全体を掌握した、と思
ってしまう。
それが全く正しくなかったこと、亀井派を見れば歴然ではないか。皆が正
当な判断をしたのに、親分だけが間違って、はぐれガラスになってしまっ
た。付いていった若干の子分は喰いっぱぐれ。亀井ばかりを見ていた担当
記者もはぐれてしまった。
宏池会(昔の池田派)が分裂したときをきっかけに取材方法は変えるべき
だった。平河クラブは全員が社会部の「遊軍」みたいになるべきだった。
それがいまだに「派閥」に分かれているから、党の大きな流れをつかめな
いで居る。
自民党担当記者たちが自民党全体を掌握していない以上、社全体として日
本全体を掌握できないのは当然だ。政治部は日本全体を掌握するために取
材態勢の大改革をしなければ、政治部に明日は無い。
ご感想をお寄せください。ご投稿もお待ちしております。主宰者:渡部
亮次郎。