ここから本文エリア 現在位置:asahi.com> マイタウン> 和歌山> 記事 「グリーンピア南紀」内部文書2007年10月12日 業者との交渉詳細に 「グリーンピア南紀」(那智勝浦町、太地町)の跡地再生事業が頓挫している問題で、那智勝浦町幹部が作成し、「廃棄した」とする内部文書には、これまで明らかになっていなかった中国系業者「香港ボアオ」側との交渉過程や、自民党総務会長の二階俊博衆院議員の関与が詳細に記録されていた。「同社ありき」で事業計画を作成したことをうかがわせる記述もあり、情報公開請求を受けて文書を「捨てた」町幹部の対応に、住民からは疑問や不満が噴出しそうだ。(松尾一郎) 二階氏、頻繁に「関与」 朝日新聞社が入手したのは、文書「グリーンピア南紀について」のうち、02年から04年までのA4判12枚分。二階氏が初めて登場するのは、03年9月8日の「県より二階議員が跡地利用について東京で動いているとのこと」との記述。その2日後には民間企業4社が「二階議員の使命により、現地調査」とある。 次に二階氏が出てくるのは04年1月23日の「二階議員の紹介者来庁 ホテル棟利活用の件」。香港ボアオのオーナー蒋暁松氏が蒋氏の妻、地元旅館の幹部らと訪問し、「蒋氏『今日は施設全体を見せてもらいました。また来てみたい。帰ってから二階先生と話をして何かをやりたい』」。 以後、二階氏の名前は頻繁に登場する。 同29日に「二階事務所秘書と蒋氏(跡地を所有した旧年金資金運用)基金へ」。同年2月2日には「二階事務所よりTEL 町長に上京してほしい」とあり、同3、4日に中村詔二郎町長と町幹部が上京している。 その内容は「3日 町長は二階議員秘書と共に夕食」「4日10時二階氏・蒋氏・町長と基金へ。計画案説明。二階氏『グリーンピア施設の継承と発展のために努力したい』」「PM(昼食にて)蒋氏『1月23日に来町してから、話が早く進んだ このままイチ、ニ、サンで進めていきたい』 二階氏『中国と日本の習慣の違いから、蒋氏から申出書、町長から受入書の交換を』 (後に香港ボアオ社長となる)早川(泰雄)氏『早急に申出書(案)を作成し、メールします』」など。 同5日と7日に早川氏と中村町長の間で文書案の交換がなされ、同10日には「早川氏よりTELあり、『返答文書(案)は、あれでよい。(蒋氏が委員を務める中国人民政治協商会議の始まる)3/3に向けて正式文書として押印して頂きたい』」とある。 同町議会の資料などによると、町は同25日、蒋氏の跡地再生計画「日中経済文化スポーツ交流促進センター(案)」を町議会に報告。3月1日付で二階氏が指示した「受入書」が那智勝浦、太地両町長名で蒋氏に出された。受入書では、蒋氏を「最優先のパートナー」としている。 さらに、同4月6〜8日に「BOAO(ボアオ)来町 両町とミーティング」。同5月10日の「BOAO蒋会長と打ち合わせ」で、那智勝浦町側は蒋氏側に「(国に提出する)利活用計画はBOAO計画に沿って作成したい」との姿勢を示したことが記されている。 入手した文書の記録はここまでだが、中村町長は約1年後の05年4月に町議会で正式にボアオの同町部分への誘致を表明。同12月26日、二階氏が当時務めていた経産相の大臣応接室で同町長と香港ボアオ社長が契約書に調印した。 ある町関係者は「二階氏の関与を記した『臭いもの』に『ふた』をするだけでなく捨てるのは言語道断だ」と話した。 マイタウン和歌山
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