yuubokuの日記

<喉元を過ぎても熱さを忘れたくな...

2007-10-09

[][]コメント試訳 01:24 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

http://d.hatena.ne.jp/gordias/20071009/1191920568

にて、d:id:kanjinai氏が紹介なさっているコメントを(勝手に)試訳しました。

私は、今までのコメントの多くに対して全く同意しない、ということを表明させていただきます。Katyと同様の障碍を抱える障碍者として、私は、何が私にとって最善なのかを私の親に決められたくはありません。重度の障害を抱える幼い人たちが、かれらの親の欲求に従わなければならない、ということが、どうして許されるのでしょうか?

ここで論じるべき問題はあまりにも多すぎます。私がもっとも重要と考えるのは、親は、15歳あたりを過ぎた障碍のある子の「面倒を見続ける」べきではない、ということです。私達は社会主義(socialism)の一形態をとった社会に住んでいるのであり、ここでは政府は、もし私達がそれを必要とするならば、私達の面倒をみる責任を有します。この権利は万人に及ぶものです。

Katyへの支援は母親が行うのが最良である、と人々は主張するでしょうが、私は反対です。あなたはママ生理用パッドを換えてもらいたいのですか? いかなる程度の障碍を抱えた障碍者であっても、かれらに必要な支援を家庭外(ここではかれらの利害は客観的に判断される)から受ける権利を有しています。

私の友人には、発話をする能力もなく、身体を動かすこともまったく出来ないという人たちがいますが、それでも、教師や作業療法士(OT)やその他の人たちは、かれらが生きていく上で欲する物事についての意見を表明できるような方法を工夫しています。

ある母親が先週私に言っていたことですが、彼女は、19歳の学習障碍を有する娘のために自分が意志決定したくはないそうです。というのも、たとえ最善を尽くしたとしても、彼女の見方は常に母親の視点から「色を付けられている」ということを、彼女は知っているからです。

さて、Katyの子宮を切除するにあたり論拠とされた、苦痛の問題に移ります。私も、Katyが有していると言われたのと似た苦痛への不耐性を有しています。しかし私は、医学知識として、ホルモンをジェル(gel)によって調整し(つまり、苦痛を伴う注射なしで)月経の辛さをおおいに軽減しうる、あるいはほぼ止めてしまうことが可能であるという事実を知っています。恐ろしくも痛々しい子宮摘出術など必要ないのです。

それから、「障碍のある子を育てた経験の無い者には、意見を表す資格はない」などと言うことは、スターリンを驕らせるような考え方です。私たちはみな、外部の意見から大いに学ぶべきところがあります。障碍のある子を持つ親たちは特に子どもたちが味わっている思いを知るために、他の障碍者たちの声に耳を傾けているべきです。

最後になりますが、Katyの母親は自分が正しいと思うことをしているのだと私は信じている、と申し上げます。私は決して彼女を責めてはいません。しかし、もし私たちが苦痛を切り捨てる術を探し求め続けるならば、障碍者たちの展望と社会一般は荒涼としたものになります。生とは痛々しく、しかし美しくもあるもので、どちらが欠けても成り立たないのです。

Robert Softley

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