2007年 11月 12日
緊急!!今枝弁護士より求釈明書を受領した方へ(1)
(ブログ管理者よりお知らせ : こちらの記事が、少し先の日付となっているのは、
最新の記事としてしばらくの間掲げておくためで、誤りではありません。

これらの記事は、しばらくの間、トップに掲げておきます。
懲戒請求をかけ、その後、今枝弁護士より求釈明書が届いて、不安を持たれている方は、ご一読いただければと思います。
これらの記事の二つ下に、橋下が直近に書いた記事を掲載しています。
ご面倒ですが、スクロールしてご覧くださいませ。)



今枝弁護士が、常識はずれの文書を、懲戒請求した皆さん方に送りつけてきたようです。
全く困った弁護士です。
この文体を見れば、どれだけ常識はずれなのかは、世間にとって一目瞭然です(下のリンクからご覧ください)。

>>今枝弁護士発信 平成19年10月9日付 「求釈明書」PDFへのリンク

彼の弁護士様は偉いんだ病は、不治の病のようです。同じ弁護士として恥ずかしい限りです。
今枝弁護士に代わり、謝ります。
さらに、この文書は懲戒請求制度に対する重大な挑戦で、こんな弁護士の横暴を認めていては、
一般市民からの懲戒請求を過度に委縮させ、弁護士の非違行為を止める手だてがなくなります。
文書自体も「脅迫」にあたり得ます。
この今枝弁護士からの求釈明書に対する対応ですが、無視して下さい。
申し訳ございませんが、今から別件の用があります。
本日中に、無視しても良い理由をアップしますので、いったんここで終了することご了承下さい。

ここから追加分です。
昨日中にアップできなくてすみません。移動中に作成しているので誤字脱字チェック,校正が不十分です。速報性を重視しましたので,その点ご容赦下さい。

1,懲戒請求者たる皆さんは,請求対象者たる今枝弁護士に対して,その質問等に応じる法的義務は一切ありません。懲戒手続きにおいて,懲戒請求者と請求対象弁護士とは対立構造にありません。一般の裁判とは異なります。皆さんの懲戒請求は,今枝弁護士に対する請求ではなく,弁護士会に対して懲戒処分権限の発動を促す請求なのです。つまり弁護士会に対する請求なのです。そして,皆さんには懲戒事由たる事実を立証する責任はありません。弁護士会が職権によって証拠資料を収集することになります。これは懲戒請求手続きの基本中の基本の事柄であり(弁護士法概説第2版250頁-高中正彦著-三省堂),今枝弁護士の今回の行動は,懲戒手続きの構造の無理解に基づきます。
上記のとおり,懲戒請求者たる皆さんと,請求対象弁護士たる今枝弁護士は,対立構造にはありませんから,皆さんは今枝弁護士に何か言われる筋合いは全くありませんし,今枝弁護士に何かしなければならない義務は全くありません。
にもかかわらず,今枝弁護士が懲戒請求者たる皆さんに,2週間以内に釈明せよとは,どのような法的根拠に基づいているのか,全く理解不能ですし,このような偉そうな態度は許されるものではありません。
そもそも懲戒手続きにおいて,請求対象弁護士が,請求者に対して直接このような文書を送りつけることは前代未聞です。
今枝弁護士の,このような常識はずれの行動は,無視しておくのが一番ですし,無視しておいても構いません。

2,懲戒請求者たる皆さんは,弁護士会との間には一定の関係が成立します。ですから弁護士会からの求めには,そこにきちんとした理由がある場合には応じる必要があります。しかし,今回の皆さんの請求においては,弁護士会からの呼び出しや証拠資料の提出の要請には一切応じる必要ありません。
今回の皆さんの請求における光市母子殺害事件弁護団の行為については,既に報道で明らかになっており,もはや立証する必要がありません。皆さんが,日常生活を営んでいる中でテレビや新聞で見聞きした弁護団の活動であれば,弁護士会も既にその事柄を当然知っていることですから,皆さん方が立証する必要がありません。細部について調査が必要なのであれば,上記のとおり,弁護士会自身が職権で調査しなければなりません。
皆さんの請求の中核は,弁護団の活動は「弁護士会の信用を害する行為」ないしは「弁護士の品位を失うべき非行」(弁護士法56条)にあたるというものでしょうから,あとは弁護士会の評価の問題です。皆さんが立証することは何もありません。弁護士会がどう評価するかだけなのです。
懲戒請求手続きにおいて弁護士会が請求者を呼び出ししたり,証拠資料の提出を求めたりする場合がありますが,それは弁護士の活動が報道されることは通常ないので,懲戒請求書に書かれている弁護士の行動が本当にあったのかどうかを確認しなければならないからです。しかし,光市母子殺害事件弁護団の活動は,社会的関心が高く,多くのメディアで報じられていますので,皆さんがそれ以上に立証する必要はありません。弁護士会がどのように評価するのかを待つだけで大丈夫です。

3,ある弁護士会は請求者を呼び出したり,証拠資料の提出を求めたりしていると耳にしました。もしこれが本当なら一般市民に対する不当な圧力です。上記のとおり,弁護士会はもはや請求者たる皆さんに何も聞く必要はないのです。弁護士会が,皆さんに問題があると指摘された弁護団の活動を,どう評価するかだけの話なのですから。にもかかわらず弁護士会が必要もないのに,請求者たる皆さんを呼び出したり,証拠資料の提出を求めたりするのであれば,それは今後一般市民が懲戒請求しにくくなるように一般市民に負担をかける目的にほかなりません。このような弁護士会からの不必要な求めは,一切無視しておいて下さい。無視しても罰則等はありません。あとは弁護士会がどう評価するかだけの手続きで,弁護士会の仕事です。
もし,今回の懲戒請求で弁護士会から呼び出された,証拠資料の提出を求められたという方がいれば,僕の事務所まで連絡を頂けたら幸いです。そういうことはないと信じていますが,もしあれば,それこそ一般市民に認められている懲戒請求に対する不当弾圧として,弁護士会に対して抗議等をしていきたいと思います。

4,懲戒請求手続きというものが,上記のとおり,請求者と請求対象弁護士の対立構造を前提としておらず,単に弁護士会の職権発動を促す申立てに過ぎないことから,何らかの事情で懲戒請求を取り下げたとしても,手続きは終了しません。弁護士会が,請求対象弁護士の行為が弁護士会の信用を害したか,弁護士の品位を失うべき行為にあたるか,最終評価を下します。要するに,全て弁護士会の職権の範囲であり,そうであるからこそ,請求者たる皆さんに立証責任は負わされないのです。














# by hashimoto-lo | 2007-11-12 19:05
2007年 11月 11日
緊急!!今枝弁護士より求釈明書を受領した方へ(2)
5,今枝弁護士の求釈明書なるものを読む限り,平成19年4月24日の最高裁の判例を前提としているのか,皆さんの懲戒請求は調査・検討を尽くしていない違法な請求だと勝手に判断しているようですが,皆さんの懲戒請求が違法にならないことは,僕が訴えられた裁判での答弁書に詳しく記載しました。今枝弁護士が引用する平成19年4月24日の最高裁の判例は,皆さんには妥当しませんし,そもそも判例を間違って解釈しています。この点は,答弁書に詳細に記載しましたのでご一読下さい。
 簡単に言えば,皆さんの懲戒請求書に記載されている弁護士の行為が,報道等で明らかになっている範囲であれば,虚偽でも何でもありません。それで十分です。あとは,それが弁護士会の信用を害するものか,弁護士の品位を失うべき行為なのかを弁護士会が評価するだけの問題ですから,皆さんの手から離れる問題です。
平成19年4月24日の最高裁の判例は,請求に法律上及び事実上の根拠がない場合に,請求者がそのことを知りながら,または普通に注意を払えば知り得たのにあえて請求をした場合に請求を違法としただけです。請求するのに,詳しく詳しく調査・検討しろとは全く言っていません。だいたい調査・検討しろと言っても,弁護士の活動について一般市民は調査権を与えられていません。一般市民が弁護士の活動をチェックしようとしても,その手立てが全くないのです。僕の所に,皆さんから多数の苦情が寄せられています。今回の懲戒請求をするにあたり弁護士会の態度がものすごく悪いと。弁護士会がそもそも懲戒請求を嫌がっているのです。こんな状況で,皆さんが,ある弁護士の活動状況を弁護士会に問い合わせても全く答えてくれるはずがありません。にもかかわらず,皆さんに詳しく調査しろとは言えないのです。
平成19年4月24日の最高裁の判例の事例は,事件の当事者が,その事件に絡んで懲戒請求したものです。負けた側が勝った弁護士に腹いせで請求したことが一目瞭然でした。事件の当事者である以上,事情はよく知っているわけですし,世間も勝った弁護士に何か問題があると騒いでいたわけではありません。負けた側がただ一人,勝った弁護士に問題がある,弁護士会の信用を害した,弁護士の品位を失うべき非行にあたると騒いでいただけの事例です。
そうであれば,その請求に違法性が認められるのは当然です。法律上及び事実上全く根拠のない懲戒請求だったのですから。
ところが,皆さんの請求には,法律上及び事実上の根拠があります。世間が弁護団の活動を非難していたことは周知の事実です。弁護士法上に,弁護士会の信用を害する行為,弁護士の品位を失うべき非行が懲戒事由と掲げられている以上,世間があれだけ弁護士の行為を批判していたのであれば,弁護団の活動は弁護士会の信用を害した,弁護士の品位を欠いていると判断して懲戒請求したことが違法になるわけがありません。あとは弁護士会がどう評価するか,弁護士会の信用を害する行為,弁護士の品位を失うべき非行にあたると判断するかどうかだけの問題です。皆さんの請求自体が違法になるわけがありません。

6,今枝弁護士は,皆さんの請求が虚偽告訴罪にあたり得るとも言っています。もう呆れを通り越して,このような弁護士がいるのかと悲しくなってきました。皆さんの請求が虚偽告訴にあたると判断する弁護士は,今枝弁護士以外にはいません。虚偽告訴罪は,真実を偽った告訴をした場合です。繰り返しますが,皆さんが日常生活において見聞きした弁護団の活動を請求書に掲げたのであれば,虚偽にはなりません。メディアが全て真実を報じているわけではないでしょうが,メディアの報道に誤報があっても,皆さんはそれを真実だと信じたわけであり,故意はありません。皆さんの請求の核心は,弁護士会の信用を害した,弁護士の品位を失ったという評価の話ですから,評価に嘘も本当もないのです。嘘か誠は事実の話です。弁護士会がどう評価するかの話に,嘘も本当もないのです。どのように考えても虚偽告訴罪が成立することはありません。
 皆さんの請求を虚偽告訴罪にあたるかも知れないというのは,完全に脅しとしか言いようがありません。一般市民の皆さんが不安がって,僕のところや読売テレビに問い合わせをしてきましたが,このような今枝弁護士の行動は弁護士としてあるまじき行動です。

7, 今回今枝弁護士が求釈明書を一般市民たる請求者に送りつけた行為は,まず懲戒請求手続きの構造を全く理解していないことに端を発しています。これだけで法律家として恥じるべき行為です。今枝弁護士は何かを明らかにしたいのであれば,弁護士会に対して,求釈明書を送らなければならないのです。そして弁護士会が判断して,必要であれば,請求者に確認します。今枝弁護士の求釈明書に書かれていることは,弁護士会が懲戒事由を判断するにあたり全く不必要な事柄です。請求者たる皆さんが指摘した弁護団の活動が,弁護士会の信用を害したのか,弁護士の品位を失っているのかを弁護士会は判断するわけで,その際に,今枝弁護士の求釈明書に書かれている事柄を確認する必要性は全くありません。
 今枝弁護士は,懲戒請求申立事件という事件番号を冒頭に掲げ,求釈明と言っている以上,本来は弁護士会に対して,このような申し立てを行わなければならないのです。もし,皆さんのところへ弁護士会から何も確認がなければ,その事実を教えて下さい。それは,弁護士会が確認の必要はないと判断したことを,今枝弁護士は,回答する義務のない皆さんへ回答を強要したことにほかなりません。とんでもない行為です。
 求釈明書の文体をみると,これほど一般市民を愚弄した物言いはないでしょう。はっきり言って脅しです。自分に対して懲戒請求したことがいかにも法的責任が生じることだと一般市民を脅しています。
 はっきりと言いますが,これは求釈明でも何でもありません。求釈明と言うのは手続きを進めるにあたり,不明事項を明らかにするための手続きです。しかし弁護士会が手続きを進める上で,今枝弁護士の求釈明書に記載されている事柄を明らかにする必要はありませんし,そもそも今枝弁護士が皆さんに求釈明できる権限などないのです。
皆さんの懲戒請求を取り下げさせようという圧力書面です。
僕はここに今枝弁護士の求釈明書を公開しますので,世間の皆さんに判断して欲しいです。
常識的に判断すれば,これは請求者を不安にし,懲戒請求を取り下げさせる文書以外の何ものでもありません。懲戒請求手続きにおいて不明事項を明らかにする目的ではない。求釈明書の最後の文を見て下さい。「現時点で理解してもなお懲戒請求を維持するということであれば,それに伴う手続き上の負担とその責任を引き受けたものと理解してよいか否か」とあります。
皆さんが懲戒請求を維持しても,何も負担と責任など発生しません。だいたい,皆さんの懲戒請求がどうなるのかまだ弁護士会の判断も出ていません。ましてや僕との裁判の結果も何も出ていないのです。
もうむちゃくちゃです。今枝弁護士は現時点で自分たちの行動がすべて正しいと思い込み,自分以外は皆間違いという前提ですべてを判断しています。皆さんが怒りを大爆発させた根本ですよね。
付け加えると,今枝弁護士は皆さんの懲戒請求を取り下げさせようと必死のようですが,これも懲戒手続きを全く理解していない表れです。上記のとおり,懲戒請求は弁護士会の職権発動を促す申立てに過ぎないので,懲戒請求が取り下げられても手続きは終了しません。今枝弁護士の目的は何なのかさっぱり分かりません。

8,僕は記者会見で,原告らが僕を訴えてきたのは弁護士としての良心が働いたのであろうと答えました。一般市民からの懲戒請求に対して,請求対象弁護士が訴訟を起こせばもはや懲戒制度は成立しません。事件の当事者から,特に負けた側の弁護士から懲戒請求されたら,徹底的に懲らしめなければなりません。しかし,一般市民からの懲戒請求と言うことであれば,世間からの批判として真摯に受け止めなければならないと思います。
 僕はメディアに出ているので,一般市民の皆さんから懲戒請求を受けます。内容はテレビ発言等をめぐって無茶苦茶なものばかりですが,それは批判の一つとして受け止め,その請求者を訴えるようなことは考えたこともありません。無茶苦茶な請求は放っておきますし,ある程度しっかりした内容のものに対しては,「弁護士会に対して」弁明をします。そのような対応によって,僕は懲戒請求を数多く受けてきましたが,これまで一度も懲戒処分を受けたことはありません。
請求者に直接接触を図るなど,普通に考えたら絶対にやってはいけない行為でしょう。 懲戒請求は一般の民事裁判とは異なります。告発者と被告発者に類します。告発された者が告発した者に接触することなどこの世の中でありますか?そんなことをしたら大問題ですよ。皆さんの会社でのセクハラ告発を考えてみて下さい。セクハラをしたと告発された上司が,告発した部下の女性に接触をしたら,それだけでもう終わりでしょう。
 今枝弁護士はこのような常識を備えていないようです。
 僕に対して訴えてくることは,まあ弁護士同士ですから当然のことでしょう。しかし,事件当事者でもない一般市民の皆さんが,懲戒請求をしてきたということは,これは批判にほかならない。弁護士には強固な弁護士自治が認められているからこそ,世間からの批判には謙虚にならなければならない。
 にもかかわらず,このように事件当事者でない一般市民に対して,法律を振りかざす弁護士は,僕は絶対に許せない。
 光市母子殺害事件の被告人は,弁護団の主張に基づいたとしても,何の罪のない2人の命を奪い,姦淫したことに間違いない。それが殺人なのか傷害致死なのか,強姦なのか死姦なのか,そういう法律論議は置いたとしても,2人の命を奪ったことには間違いない。
 それを被害者遺族のことは考えず,被告人の利益のために活動することが正義として今枝弁護士は世間から批判を受けるような弁護活動を展開した。
 今枝弁護士は皆さんの懲戒請求は虚偽告訴罪にあたると脅しをかける。皆さんが虚偽告訴罪にあたらないことは明らかですが,もし虚偽告訴罪にあたるとして,その罪と光市母子殺害事件の被告人の罪と,どちらに怒らなければならないのか。
 今枝弁護士は被告人のために,被害者遺族のことも世間のことも顧みず,慈悲の心をもって一生懸命に弁護したのではないのか?そうであれば,一般市民の懲戒請求が今枝弁護士に対して仮に虚偽告訴罪が成立するとしても,その被告人たる一般市民に対しては慈悲深い心にはならないのか?
 結局,死刑廃止論とか,刑事弁護とかを,被告人の人権,被告人の命のみを中心に考えると偽善に満ちた議論になることがすぐに分かります。
 今枝弁護士のように,被告人の利益とか一生懸命に言っている人間も,自分が被害者になった瞬間に加害者を徹底的に攻撃するんです。
 自分が弁護人という第三者の立場のときには,被害者のことなど顧みることはしない。しかし,自分が被害者になったとたん加害者に牙をむく。
 笑い話です。
 光市母子殺害事件の弁護団のうち,僕を訴えてこなかった弁護人は,信念で人権,人の権利というものを尊重しているのかもしれない。僕は全く賛成できませんが,彼らの信念であれば,あとは論争するほかない。彼らは,事あるごとに人権,表現の自由ということを重視してきた活動をしてきたので,自分たちに対する世間からの懲戒請求も真摯に受け止めようとしたのかもしれない。
 その辺の論理が一貫していない,広島の弁護士4人は,自分たちが被害者になったとたん騒ぎ出した。
 ただし,今枝弁護士以外の3人は,弁護士である僕に対してのみ牙をむいてきた。これは理解できます。
 しかし,今枝弁護士の行為だけは,絶対に許せない。
 自分が被害者になった瞬間,突然相手に対して,徹底して攻撃をしかける。しかも事件当事者でない一般市民に対して。
 おそらく今枝弁護士は自分の家族に危害が加わったときには,それまで被告人の利益を重視していた考えなど簡単に葬り去るのでしょう。
 僕も弁護士であるから,弁護人となれば,被告人の利益のために活動する。しかし被害者の存在や社会の存在を念頭に置く。特に被告人の人権だけでなく,刑事裁判制度という社会システムを守るために刑事弁護人を務める。そうであれば,自分の家族が被害者になったときには,社会システムを守ることは他の弁護士に委ねて,自分は徹底して復讐心を燃えたぎらせる。
 被告人の人権,被告人の命など,薄っぺらなヒューマニズムを展開すると,自分が被害者になったときに,自分の浅はかさが露呈する。
 今枝弁護士が,本当に被告人の人権のみを考えて,ヒューマニズムに溢れる行動をしたのであれば,この一般市民に対する牙のむき方は何なのか!!
 今枝弁護士が刑事弁護をやるのは被告人のためでも何でもない。自分のために刑事弁護をやっている。国家権力である検察官と闘っている自分に酔っている。
 だからこそ,光市母子殺害事件の集中審理後の記者会見で,裁判の結論も何も出ていない段階で,胸を張れる弁護活動だったと涙を流せたにほかならない。
被告人のことも,被害者のことも,社会のことも何も念頭にない。ただただ,正義を追求していると錯覚している自分に酔っている。
光市母子殺害事件の判決で死刑になったらどうするのか。被告人に何の反省もなく,被害者遺族の気持ちも混乱に陥れたままで死刑が執行されても,胸を張れる弁護活動だったと言えるのか。彼は,そのような事態を何も考えていない。ただただ,世間から批判を受けながら,国家権力と闘った自分に胸を張っているのであろう。
だからこそ,今回のように,自分が被害者になったとたん,被告人のこともなにも考えない。どうしてそのような犯罪を行うに至ったか,世間の注目を集める刑事裁判ではやり過ぎなぐらい被告人の立場に立って考えていたのが,自分が被害者になったとたん,自分に攻撃を仕掛けてくる相手に対しては,何の洞察もなく法律を振りかざして圧力をかける。
僕には理解不能です。
いずれにせよ,事件当事者でない一般市民から懲戒請求を受けた弁護士が,請求者たる一般市民に対して,このような求釈明書を送りつける行為は,懲戒手続きの崩壊をもたらします。
光市母子殺害事件の弁護活動が懲戒事由にあたるかどうかについては,懲戒事由にあたらないと判断する弁護士であっても,今回の求釈明書の内容,そして釈明義務のない請求者にこのような書面を送りつける行為については懲戒事由にあたると判断するでしょう。
懲戒請求の内容を明らかする目的ではなく,請求を維持するのかどうかを問い最終的には請求を取り下げさせる目的である今回の求釈明書について完全に弁護士会の信用を害し,弁護士としての品位を失うべき非行として懲戒事由にあたると思います。

9,長くなりましたが,懲戒請求を行った一般市民の皆さん,今枝弁護士からの求釈明書は無視して下さい。弁護士会からの呼び出しも無視して下さい。必要なことは文書で送ってくれと言って下さい。その文書は当事務所までファックスして頂ければ,その後の対応について協議させて頂きます。
 注意して頂きたいのは,皆さんの書かれた懲戒請求の内容に,虚偽がないかどうかです。虚偽というのは事実についてのみ問題になりますので,指摘する弁護団の活動が,日常生活で見聞きしている報道に基づくかどうかです。噂レベルの話などは請求書に書かないでください。もし書いたのであれば,その部分は訂正する書面を弁護士会に送付して下さい。
 報道されている弁護団の活動を引用している限り,虚偽にはなりません。
そして,その弁護団の活動について皆さんが怒りを爆発させても,それは皆さんの見解ですから,虚偽にも何もなりません。
 懲戒事由があるかどうかは,弁護士会の評価の問題です。ここの虚偽も真実もありません。弁護士会があとから懲戒事由がなかったと判断しても,それは弁護士会の評価ですから,遡って皆さんの懲戒請求が虚偽だったということにはなりません。裁判をやって,最終的に負けたり,無罪となったりしても,訴えた側,起訴した側が責任を取らされるのは,例外的な場合です。
 皆さんの請求が虚偽告訴罪になることも,報道されている事実を引用している限り絶対にあたりません。報道されている事実を引用して,皆さんが怒りを爆発させても,それは皆さんの見解ですから虚偽でも何でもありません。
 噂話や,単なる思い込みで,弁護団がやってもいない行動をでっちあげると虚偽となります。
 実際に弁護団が行った行為を基にして,皆さんがその行動を非難することは,当然の権利です。
 そして,平成19年4月24日最高裁判決のように,事件当事者の負けた弁護士のみが懲戒請求を出した事例とは異なります。世間が弁護団に対して批判を加えていたのです。それを前提に,弁護士会の信用を害した,弁護士の品位を失ったと判断しても何も問題がありません。
 さらに,皆さんが,その後の報道により,いろいろな事情を知ったとしても,請求当時の判断に問題がなければ,あとで問題になることもありません。
 社会的批判というのは無責任な批判です。批判する者は,自分を明らかにしません。しかし懲戒請求というものは,相手に対して自分の氏名や連絡先が明らかになります。このような責任を負担した上での批判なので重みがあるのです。
 光市母子殺害事件弁護団,特に僕を訴えてきた弁護人,さらにその中でも今枝弁護士は,社会からの批判にさらされ,そして懲戒請求にさらされることで,やっと被害者遺族に対しての配慮不足,世間に対する説明不足を痛感したのか,やっと改心してきたのかと思っていました。記者会見でも被害者遺族に対して謝罪をし,自身のブログでも世間に対して必死に説明をしています。僕が,弁護団は被害者や世間に対して配慮が足りないと言ってきたことを,やっと気付いてきたのかと思っていたところでした。そこに来て,この求釈明書。今枝弁護士は何も分かっていなかったんだと呆れ果てました。
 彼は,一審,二審の弁護士の弁護活動が不十分だったことを詳細にブログで説明しています。彼の主張することが事実であれば,それこそ,これも懲戒事由にあたると思います。彼も一審,二審の弁護士に懲戒請求をすることを考えたが,除斥期間(時効みたいなもの)を過ぎていたのであきらめたと言っています。何とも情けないものです。世間の注目を集める刑事裁判においては,法律を駆使して,被害者遺族や世間に迷惑をかけてでも,やれることは徹底してやるのに,自分の身内を訴えることには法律のおかしさを主張していこうなどは思ってもいないようです。
 こんな除斥期間はおかしいんです。事件当事者からの懲戒請求については除斥期間があっても仕方がないでしょう。ところが,一般市民の懲戒請求について除斥期間を持ち出すとどうなりますか?弁護士の不祥事は全く正されないですよ。しかも除斥期間は3年という短さです。一審,二審の弁護活動の不十分さは,皆さんの懲戒請求によってやって今枝弁護士が詳細に語りだしたんです。それまでは明らかになっていない。ここにきてやっと明らかになったのに,既に3年の経過で時効とはどういうことですか?弁護士会はこのおかしさを是正しないのか。
 僕は,一審,二審の弁護士に対して,懲戒請求をします。以前,今枝弁護士を含めて僕を訴えてきた原告ら対して懲戒請求すると言いましたが,もうこの原告らに時間を割いている暇はありません。僕自身が懲戒請求していないことに対する批判は,原告らと一部のコメンテーターくらいしか言っていません。実際,懲戒請求した一般市民の皆さん方から「橋下が言いだしっぺなんだからお前も懲戒請求しろ!!」という指摘は,一件もありませんでした。皆さんは,僕が懲戒請求するかどうかにかかわらず,自らの意思で懲戒請求したのだと思いますし,だからこそ,責任ある懲戒請求として,広島の弁護士4人に頭を下げさせたんだと思います。
 原告らに対する懲戒請求は,皆さんにやって頂いたものを利用させてもらいます。
 僕は,光市母子殺害事件の一審,二審の弁護士の活動について責任追及をしていこうと思います。
 なお,この文章,北海道移動中に急遽作成しましたので,誤字脱字も多いでしょうし,校正も不十分かと思います。とにかく,不安に思っている皆さんにまずのご連絡をという思いで作成しましたので,大枠の趣旨を理解して頂けましたら幸いです。


# by hashimoto-lo | 2007-11-11 17:04
2007年 11月 05日
光市母子殺害事件弁護団に対して懲戒請求をされた方へ
(ブログ管理者よりお知らせ : こちらの記事が、少し先の日付となっているのは、
最新の記事としてしばらくの間掲げておくためで、誤りではありません。

懲戒請求をかけ、違法性につき不安を持たれている方は、ご一読いただければと思います。
これらの記事の下に、橋下が直近に書いた記事を掲載しています。
ご面倒ですが、スクロールしてご覧くださいませ。)



2007年9月3日、訴状の提出をされてから、本日の第一回口頭弁論期日(※私は出頭せず、擬制陳述という手続きをとりました。擬制陳述についての説明は記事の下に掲載しています)までに、
原告側とやりとりした書面を↓下のリンク先からPDFファイルをご覧いただけます。

原告   今枝 仁 外3名    
被告   橋下 徹
損害賠償請求事件  於 広島地方裁判所


(民事訴訟の流れは、こちらをご参照ください)

(原告提出)2007年9月3日
 >>訴状 PDFへのリンク

(被告提出)2007年9月20日
 >>答弁書1P~3Pまで PDFへのリンク

 >>答弁書4P~89P(ご関心のある方は、重たいファイルですが、ぜひご覧ください) PDFへのリンク

(被告提出)2007年9月21日
 >>被告準備書面(1) PDFへのリンク

(原告提出)2007年9月26日
 >>原告準備書面(1) PDFへのリンク

(被告提出)2007年9月26日
 >>被告準備書面(2) PDFへのリンク

(被告提出)2007年9月27日
 >>被告準備書面(3) PDFへのリンク


(※擬制陳述の説明と、今後の出廷について)
第1回期日は、被告に対し、裁判所と原告の都合の良い日を一方的に指定されることもあり、
また本件のように管轄裁判所が遠隔地である場合などは、
民事訴訟法158条に基づいて、擬制陳述という手続きが認められます。
今回も被告(橋下)の主張は、すでに提出している答弁書にまとめていますので、
第1回期日に限り当事者が出頭しなくても、法廷で陳述したものと擬制され、
裁判は次のステップに進められます。

また次回は、民事訴訟法170条3項に基づいて、
電話会議システムを用いた弁論準備手続きで進めてもらうよう裁判所に申し立てをし、
認められました。
したがって証拠調べ手続きにより尋問が行われるまでは、橋下は広島地裁には出頭しません。大阪の事務所より電話を用いて期日を進めていきます。




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皆さんの懲戒請求に違法性がないことの解説が遅れましてすみません。
本日が私の裁判の書面提出期限であり、何とか期限に間に合いそうです。
その答弁書の中に、皆さんの懲戒請求が違法でない理由を詳細に書きました。
原告らは皆さんの請求のうち、どの請求がどのような理由で違法なのか特定していないので、そもそも違法な請求があるのかどうか不明なところではありますが、私の答弁書における「一般市民の懲戒請求は違法ではない」の部分を読んでいただき、皆さんの懲戒請求に同じような理由が書いてあれば問題ありませんし、書いていなくてもじっくりと考えてもらって私と同趣旨という結論に至れば、既に出している懲戒請求に理由を加えて下さい。
皆さんの懲戒請求を違法だと断じるのに原告らが引用した平成19年4月24日の最高裁判決も、皆さんには適用されません。これも答弁書に書きました。
答弁書は追ってPDFファイルでアップします。アップは9月25日予定です。
通常の業務の合間に作成し、しかも自分自身の書面で報酬をもらっての仕事ではありませんから、誤字脱字等のチェックが甘いと思います。
誤字脱字、不適切な表現、よりベターな表現がありましたら、ご指摘下さい。(2007/9/20記)

# by hashimoto-lo | 2007-11-05 14:44
2007年 10月 06日
原告今枝弁護士へ(2)
前略
たかじんのそこまで言って委員会への出演を、「世間からの出演反対の声」を聞いて辞退したそうですね。
そしてその世間の声とは、今枝弁護士のブログ等に投稿のあった38人の声だという。
その感覚が浮世離れ、非常識なのですよ。
38人という声が、どこが世間なのですか?
その38人は、ほぼあなたの意見に賛成の人たちでしょ。
世間からすれば、そんな声は無視してもいい声です。
もっと大きく世間の声をとらえて下さい。
あなたたちが、世間の声に応えられなかった原因はまさにこの点です。
自分たちと同じ価値観の、しかも極々限られた範囲での声にしか耳を傾けないからです。
昨日同番組で死刑廃止論者の弁護士(菊田幸一弁護士)が出演しました。
ものの見事に、その浮世離れさが露見しましたよ。
時間があれば同番組を観て下さい。
弁護士会や大学の講義では、みなフンフン頷いてくれるのかもしれませんが、とてもじゃありませんが、あんな理屈では世間は死刑廃止なんて認めません。
誤判防止の観点から死刑に一定の制約をすべきであることが僕の持論ですが、菊田弁護士のような理由で死刑廃止論を唱えても、それは狭い弁護士業界の一部にしか通用しないでしょう。
もう一つ、編集でカットされるかもしれませんが、この菊田弁護士でさえ、あなた方光市母子殺害事件弁護団の弁護方法について、「極めて原理的な弁護方法で、誤りである」と断言されていましたよ。
いずれにせよ、今枝弁護士!自分の周囲の、同じ価値観の人たちだけとの極めて少数の人間との交友にとらわれないように。それがあなたが今回のような困難にぶちあたり、どん底まで沈んだ最大の原因です。まだ原因が分からないのですか?
多くの違う価値観の人たちと触れて下さい。
そうすることで、自分の何が正しく、何が間違っているのかが明らかになります。
菊田弁護士も、弁護士人生と死刑廃止運動を何十年もやってきた中で、番組に出ることによって、初めて自分の発言にどれだけ非常識なものがあったのか認識できた点があったようです。
自分と同じ価値観の狭い範囲でしか活動しないと、そうなってしまうのですね。
しかし、菊田弁護士は、自分が貫かなければならない点もはっきりしたようです。
番組で意見を言うチャンスなんてそうはありません。
出たいと言っても出れるものじゃない。
光市母子殺害事件弁護団は、自分たちの主張をメディアが取り上げないとぼやいていますが、それは世間が求めている情報を発信していないだけであり、また発信の仕方も稚拙だからです。
言えばメディアが取り上げてくれるなど、そんな甘いものではありません。
あなたが、ブログなんかでちまちまやっても、せいぜいあなたの周囲の極少数の間での井戸端会議ですよ。
今しかないですよ!!
1000万人単位を相手にして、自分の意見を主張できるチャンスですよ!!
たかだか38人の猛反対って、そんなの無視すりゃイイだけじゃないですか!!
38人を世間だと感じるような、そんな頭の悪い判断を、あなたはしないと思います。
38人の反対にあったから出演しないというのは、単に番組に怖くて出れない言い訳に過ぎません。
もっと言いましょうか?
あなたに出演してほしいという声を100人分集めましょうか?
100人ほど、出演してほしいという声があるのであれば、あなたはその世間の声に応えますか?
38人の声で出演を辞めたというのは、世間から見ると、ほんとおかしな常識はずれの考え方です。あなた方の差戻し審の主張に対して常識外れだとバッシングされたのと同様です。
今枝弁護士、ここが人生の勝負どころです。
勝負どころを乗り越えれるかどうか、それはあなたの決心次第です。
番組に出演すれば、総攻撃にあうことは間違いない。
しかし、そのような経験をすることで、自分の間違っているところ、正しいところが明らかになります。
あなたがこれまでの弁護士活動で経験した事の全てを合わしても、番組出演によって意見を述べる経験にはかないません。
このまま、もやもやとした人生を送るのか。
自分の生きるべき道をはっきりとしたものにするのか。
周囲の旧態依然とした、凝り固まった価値観の集団に閉じこもるのかどうか、あなたの決心次第です。
1000万人相手に、堂々と自分の主張を行い、これまで経験したこともない強力な反対意見に耐えてみてください。
あなた方は、法廷で、弁護士の緩い反対尋問しか経験したことがない。
弁護士の反対尋問なんてちょろいものです。
あなたが、どれだけ崇拝している弁護士であっても、それは狭い世界で通用しているだけであって、法廷の場を離れれば、たいしたことがない。
一線で活躍されている論客からの最高の反対尋問を経験してみてください。
反対尋問が強力であればあるほど、それに耐えた主尋問の信用性は高まりますよね。
あなたの主張の信用性を確かめる最高のチャンスですよ!!
                                    敬具


# by hashimoto-lo | 2007-10-06 08:34
2007年 09月 30日
原告今枝弁護士へ
前略  相互の状況が状況ですので、形式的なご挨拶を略することご了承下さい。
社会的批判が生じてから、また懲戒請求が噴出してからの今枝弁護士の被害者遺族に対する、
そして世間に対する対応の仕方を拝見致しました。
今枝弁護士のブログのタイトルには「未熟な人間」という表現も加筆され、
木下あいりちゃん事件についても、守秘義務に反しないように世間へ説明されています。
また今枝弁護士のブログにおいて、自らの記者会見で伝わらなかったことや、
被害者遺族への思いなどもつづられております。
特に、9月30日付の記事ランキングという記事においては、
被告人の利益を最大限に図りつつ守秘義務に反しない限りで、
被害者遺族にそして世間に対して情報発信していくと決意されております。
僕が言い続けていたことは、このようなことでした。
ただし、一点付け加えさせて頂くと、何でもかんでも情報発信すればいいわけではありません。
被害者遺族がそして世間が何を求めているのかを、一生懸命考えて、
それについて答えなければならないと思います。
単に事件の詳細を語ればいいということであれば、職業倫理に凝り固まった弁護士は、
守秘義務に反するからそれはできないと言うだろうし、そんな法律上の説明義務はないと言うでしょう。
光市母子殺害事件においても、僕が答弁書で書きましたが、
弁護団が記者会見を開いて説明していたような犯行態様の事実の詳細を公表することは、
被害者遺族をかえって傷つけることになるし、世間もそんな情報は求めていなかったのであり、
公表をしてはいけなかったのです。です。
犯人の手が順手か逆手か、そんなことを必死に説明しても、世間が求める情報ではありませんから、
当然メディアでも取り上げられません。
世間が求めていた情報は、疑念は、差戻し審で主張の変更をあそこまでするのであれば、
1審、2審は何をやっていたのか?ただ一点それに尽きます。
被害者遺族も、そこに一番悔しさや虚しさを感じ、
世間も刑事裁判は何をやっているんだ?との大きな疑念を抱いたのです。
そうであれば、1審、2審の弁護活動の不十分さを徹底的に公表し、
そして僕も含めてでありますが、弁護士全体の責任問題ととらえ、 
ただし、刑事裁判制度を維持するために、主張の変更をさせてもらいますと、
一番迷惑をかけることになる被害者遺族に対して頭を下げて、謙虚に世間に訴えればよかったのだと思います。
被告人の利益のために最大限努力することは弁護士の務めではありますが、
その前に人として、被害者遺族や世間に対する配慮を徹底的に尽くさなければなりません。
弁護団会議で事件記録とにらめっこして、検察官の主張の矛盾などを長時間かけてあーだこーだ言っているだけでなく、
同じ時間をかけて、被告人にとって最も適切な弁護活動は何か、それを実行する上で、
被害者遺族や世間に対してどのような配慮をしなければならないかを徹底的に討議・検討すべきだったのです。
おそらく、そういうことは何もやっていないでしょ?
ただ、ただ、事件記録とのにらめっこです。
原告らを含む弁護団は、自分たちは正義を追求しているんだという一点張りで、
被害者遺族にも世間にも配慮を全くしませんでした。
世間からの批判を受け、強烈にバッシングされることで、
どのような配慮をしなければならなかったのかが見えてきたかと思います。
僕も、これまでの人生において、失敗だらけで、多くの人にご迷惑をかけ、
世間からは何度も大きな批判を受け、バッシングを受けてきました。
しかし、その都度、やっぱり自分の主張を押し通すべきところと、
批判のとおり配慮に欠けていた点を認識させてもらい、改めるべき点は改めてきたつもりです。
散々失敗してきて大批判を受けててきた僕が、もし光市母子殺害事件の弁護を引き受けるようなことがあれば、
最高裁の期日を欠席するのであれば、まずは被害者遺族へ直接出向いてお詫びをし、
欠席する理由の説明を徹底したでしょうし、主張の変更を行うのであれば、
1審、2審の弁護活動がいかに不十分だったかを被害者遺族や世間に説明します。
そして1審、2審の弁護人に責任追及を徹底して行い、何も動かない日弁連に徹底的に悪態をつきます。
そして差戻し審集中審理後の記者会見を開くにしてもあのような記者会見にはしなかった。
そして今枝弁護士はブログで事件の詳細を公にしたそうですが、
それも絶対にやってはいけないこと。当事者同士の私的な争いの民事裁判とは全く異なるのです。被害者遺族が存在するのです。
被害者遺族はどう思いますか??そこに配慮しましたか??
被告人の利益のためだけ、そして自分たちの主張の正当性を示すことしか考えていなかったのではないでしょうか?
僕が言う説明義務を全く理解していない証拠です。
今枝弁護士が事件の詳細、弁護団の主張を公開したことで、世間は何を理解するのですか?
何を納得するのですか?
今枝弁護士の事件の公開は、自分たちの主張の正当性を示すための公開で、
被害者遺族のそして世間の疑念を晴らすための公開ではありません。
だから、全く無意味な公開なのです。
被害者遺族や世間の疑念は何かを真摯に考えれば、事件の詳細の公開など不要です。
1審、2審の弁護人が何をやっていたのか、なぜそのときに、差戻し審のような主張が出てこなかったのか、
差戻し審の弁護団と被告人はどのようなやり取りの中で、今回のような主張が形成されてきたのか、
そこを被害者遺族や世間は一番知りたがっているのです。
もちろん、世間の多くは、現弁護団の主張が荒唐無稽だと怒っているのでしょう。
しかし、なぜそのような荒唐無稽な主張が今になって出てきたのかをきちんと説明し、
1審、2審の弁護士も含め、弁護士全体の責任問題だという認識で、被害者にご迷惑をおかけすることをお詫びし、
しかし、被告人の供述が法廷に出ていない以上、刑事裁判制度を維持するために主張の変更をさせて頂くと
世間に頭を下げれば(自分たちの責任ではないにせよ、弁護士全体の職務懈怠だし、
刑事裁判制度を維持するのもそれが正義だ、俺様は偉いんだの姿勢ではなく、
刑事裁判制度を維持することが弁護士の職責であることを謙虚に思えば、頭を下げることなどどうってことないはず)すれば、
ここまでのバッシングにはならなかったでしょう。
現弁護団は、1審、2審の弁護人には、責任追及をするどころか、
そのような弁護活動でも当時はしょうがなかったという弁護士業界内の論理で身内をかばいます。
国選弁護の報酬が低いこと、人員が足りないことなどは、被害者遺族や世間には関係ない。
不十分何であれば、その制度を改善していくことが弁護士会ではないでしょうか。
それなのに、当時はしょうがなかったで、被害者遺族や世間は納得しますか?
光市母子殺害事件裁判における弁護人の責任問題はうやむやにしておきながら、
世間から懲戒請求があがると、それは刑事弁護活動を脅かす重大な違法行為と叫びたてます。
世間はどう見るでしょうか?
懲戒請求で刑事弁護活動に重大な支障を来すとういのは、あくまで弁護人の視点での話です。
国民一般からすれば、1審、2審の弁護士をそのまま放置することこそが、
刑事弁護ひいては刑事裁判制度を崩壊させるような事柄なんですよ。
今回の裁判は、相互に主張の食い違いがあるので、徹底して争いましょう。
ですから僕の主張へ細かな法律的に反論することは結構です。
しかし、事の流れの全体を掴んで下さい。
今枝弁護士がこのように、被害者遺族や世間に対して、説明したい、理解してもらいたいと思うようになったのも、
世間から強烈な批判を受け、そしてこれまでの弁護士史上類をみない懲戒請求を受けたからでしょう。
このような懲戒請求があって初めて、今枝弁護士も動いたのではないでしょうか?
弁護士の思い上がりを是正するためにも、懲戒請求は必要です。
僕も、世間からのバッシングによって、フラフラではありますが、なんとかバランスを取ろうと必死でやっています。

僕は答弁書においてブルーム卿の刑事弁護の真髄を引き合いに出しました。
200年前に唱えられたもので、簡潔に言うと、刑事弁護人は被告人の利益のためなら被害者遺族や世間に迷惑をかけてもいいんだと言い切っています。
ブルーム卿は大馬鹿ですね。当時の時代ではしょうがないにせよ、今も目の前で同じようなことを言ってたら、最低の言葉で罵ってやります。
僕は「もはやそのような時代ではない。被告人の利益を最大限に図りつつも、
被害者遺族や世間にも配慮しなければならない」という主張です。
今枝弁護士も、現在においては、そのような考えになってきているのだと思います。
では、弁護士が被害者遺族や世間に対してそのような配慮を欠いた場合、
どうやってその弁護士を是正させるのか?
それは強大な弁護士自治を弁護士に認めている現行法上、懲戒請求しかないではありませんか?
今回の懲戒請求が、今枝弁護士の考え方を変えるきっかけにはならなかったですか?
被害者遺族や世間に対して配慮するきっかけにならなかったですか?
きっかけになったのであれば、懲戒請求に怒ることもないでしょう。
僕に対して怒ることはもちろん構いません。
そうであれば、橋下の発言に違法性があるとすることで十分でしょう。
最高裁の判決を持ち出して、一般市民の懲戒請求に違法性があると言うことが、
また世間には弁護士の横暴と捉えられるのです。俺たちの懲戒請求で態度を改めることになったのに、違法とは何だと。
今枝弁護士以外の原告はもう古来の弁護士像に凝り固まっている改心不可能な弁護士でしょうが、
今枝弁護士はまだ改心可能でしょうし、そのようになってきたのではないでしょうか。
そうであれば、
「橋下の発言のみが違法があって、世間からの懲戒請求は自分が改心するにも有益でした。ありがとうございました。」
くらい言った方が良いと思います。
200年前のブルーム卿の刑事弁護の真髄、いわゆる弁護士の職業倫理に現代社会においても
凝り固まることは不合理であることについて、様々は研究論文が出ています。
簡単に言うと、「弁護士の職業倫理の前に、人としての倫理がまずあるだろう」と。
「人としてやってはいけないことを弁護士がやり、人としてやるべきことを弁護士がやらない理由は何か?
弁護士だからということだけで許されるのか?
これまで弁護士が弁護士の職業倫理に凝り固まっていてもあまり問題にならなかったのは、
弁護士の世界が世間からみるとほんの一部の世界だった、
つまり極めて閉鎖的で世間に何も影響がなかった世界だったからで、
これから弁護士の世界の規模が大きくなり、世間に対して積極的にかかわるような時代になった場合には、
弁護士の職業倫理に凝り固まり、人としての倫理を無視するわけにはいかない。」というものです。
馬鹿な弁護士会は全く気付いていませんが、もうそういう時代です。
この辺り、法政大学法科大学院佐藤彰一教授のブログが大変勉強になりました。
Garrow's Lawyersという記事であり、その7には以下のようにあります。
「職業倫理の党派性と中立性の緊張関係の中で、ごりごりしながら職務を行うことが良いことなのか、
という問いかけをしてみると、どうもそうでもないのかと最近思い始めています。
私は前にウイリアム・サイモンというアメリカの法曹倫理の専門家の見解を勉強したことがありますが、
彼は、職業倫理よりも人間性を強調します(佐藤彰一「サイモンの弁護士論について」井上治典他編『現代調停の技法』判例タイムズ社(1999)505-512p)。
彼は、専門的な職業判断を機軸にしてモノを考えるからアメリカ法曹の行動はおかしくなると主張しているのです。
なぜなら、党派的であれ中立的であれ、専門的「でしかない」判断は、生きた生身の人間に対する配慮が欠けるからです。
棚瀬教授もかつて、専門的な職業倫理の主張が、法に対する没倫理的な態度をもたらすことに警笛を鳴らしています(棚瀬孝雄「弁護士倫理の言説分析 1-4」法律時報68巻1号52ー61p、2号47-56p、3号72-76p、4号55-63p(1996年))。
この見方から、Garrow を再考してみますと、レークプレサント事件の一般社会の反応は、
あまりに党派的であったから二人の弁護士に非難を向けたですが、それは中立性を守れという意味を超えていて、
行方不明者の不開示が人間道徳に反していて、職業倫理それ自体が非難のまとであったというべきでしょう。
当時の法律家達は裁判所も懲戒当局も二人の行動を職業倫理上の行動として擁護していたのです。
それに対する一般社会の反応は、「人間としてはとうていできないことも、弁護士としてなら平気でできてしまうのか」という中村治朗裁判官の問いかけが、中心を言い当てています。
しかし人間性と専門性の対置を、党派性と中立性の対置に置き換えることから、
職業的専門家判断を捨てることを要求することは言いすぎでしょう。
それでは、逆に社会の期待を却って裏切ることにもなりましょう。
ここで我々は一種の隘路にたつことになります。
パーソナリティ体系といい、準拠枠といい、さまざまな期待の調整枠組みは、
このような隘路を解消するためのものですが、そこにはブラックボックス的な要素があることは否定できないまでも、
もう少しその構造を明らかにしたいものです。
この点、和田仁孝教授が、中立性と党派性は対立するものではないと語っていることが興味を引きます。
和田仁孝「弁護士役割の構造と転換--中立性と党派性の意義転換のなかで--」和田仁孝・佐藤彰一編「弁護士活動を問い直す」商事法務(2004)1-15p。
和田さんは、既存の弁護士倫理が、職業倫理だけの専門的判断枠組みの中で議論がとどまっていたのは、
実際の微妙な紛争処理が弁護士以外のところで解決されていたからだと説いています。
「紛争当事者は、弁護士や法システムに法専門的な問題処理をゆだねる一方で、紛争状況に伴う不安や心理的な傷、
社会関係の実質修復に関わる問題については、地域や親族のネットワークによる手当てを期待することができた」
ところが、社会の変化によって「これら法外のシステムによって手当されていたニーズも行き場を失って、
次第に法システムや弁護士のもとに持ち込まれるようになってくる」と指摘して、
これが弁護士の職業活動の変化を促しているというのです。
その変化とはなにか、ずぱり法知識を技術的に使用するだけの専門的判断ではすまない、
依頼者と社会の双方について、生きた人間への配慮が求められている、ということです。
社会と個人のその双方についてQOLへの配慮が求められいるのです。
訴訟には勝ったが依頼者の生活は破壊されたでは、話になりません。
法の名のもとであれば、何をやってもよい、というものでもないでしょう。
訴訟提起や強制執行の利用が不法行為になる場合があることは、広く知られています。
今日、組織内弁護士の倫理規範が云々されています。
基本的には党派性(勤務先企業への忠誠)と中立性(勤務先の違法行為の是正)の間で組織内弁護士の倫理規範が議論され、
その緊張関係の中に企業弁護士はあるとされるのですが(そしてそれはまったく正しいのですが)、
私には、これも同じ問題をはらんでいるように思います。
違法行為是正の判断が、政府・規制機関側の気に入るような判断を意味するのではなく、
その弁護士が個人として生きている社会の中で共生している他の人達への人間としての配慮にあると思うのです。
これ抜きにしては、通報義務や企業内指摘義務など、ほとんどエクスキューズのための形式論に堕してしまうように思えます。
こうした観点から、いまいちどGarrowの二人の弁護士の行動を評価すると、
彼らは職業倫理には、忠実であったが、Garrow その人のQOLと、
同時代の人々への人間として配慮のその双方において、必ずしも忠実ではなかったのではないか、
そんな思いを抱いています。もちろんGarrowのために努力したのでしょうが、
そのGarrow のためにという思いが、あくまで弁護士の職業倫理の中だけで描いた想いであって、
Garrow 自身の現実の思いと違っていたのではないか、そんな感想をいまは抱いています。
少なくとも私が代理人なら、獣姦をしていたとかの証言は不必要であると考え、させないように思います。やはり後講釈になるのですが。
日本は、これまで法曹人口があまりにも少なくて、弁護士の役割についての、
一般社会の関心が薄かったのではないかと思います。
法律家の中でもごく少数の研究志向をもった方が取り扱っていただけでした。
しかし、これからどんどん人口が増えて、社会のいたるところ弁護士が顔を出すようになると、
好むと好まざるとに関わらず、「この人たちの仕事はなんなのか?」という問いかけが日常化するでしょう。
そのときに、アメリカ型の職業倫理一本やり的な進み方、倫理規定の暗記試験を司法試験に組み入れるやりかたをとるのかどうか、
そうではない人間性にも目を向けられる倫理論議が可能な空間を残す進み方をいくのか、これから重要な時期にあるように思います。」(引用ここまで)

要するに、弁護士だから、弁護人だから、被告人の利益のために活動しているのだから、
国家権力と闘っているのだからそれが正義であり、あとの配慮は不要という、職業倫理絶対論は、もう通用しない。
依頼者のために、被告人のために全力を尽くすとしても、人として、
被害者遺族にそして世間に対しても配慮しなければならないということですね。
世間が、現弁護団に対して批判を加えていえる最大の原因は、世間知らずということです。
弁護士の職業倫理を振りかざすことに世間は素直に拒否反応を示したのです。
上記佐藤教授が引用しているGarrow's Lawyersの記事をよく読んでください。
この事件の弁護人は、弁護士としての職業倫理はまっとうしたかもしれない。
しかし、依頼者の生活はぼろぼろになり、世間を混乱に陥れた。
僕が今枝弁護士に危惧していることはこの点です。
今枝弁護士は、集中審理後の記者会見で、今回の弁護活動は胸を張って誇れることである。
世間の批判を受けながらよくやったと言い切ります。
僕はこのような態度は絶対に許せません。
被害者遺族への配慮が欠けているだけではありません。
裁判の結果は、僕がとやかく言うことでありませんが、もし死刑になったらどうするのですか?
被告人にとって現弁護団の弁護活動が本当によかったと言い切れるのですか?
被告人は反省する態度も示さず、一点の改心の情も芽生えず、被害者遺族にその思いも伝わらず、
世間からも鬼畜のように見られたままで死刑が執行されるのですよ。
Garrow's LawyersのGaroow'sと全く同じです。
被告人が無期懲役になれば、あのような記者会見を開くことも許容されるのでしょう。
しかし、この段階で、胸を張れると言い切るのは、それは今枝弁護士が、自分のために光市母子殺害事件の弁護をやってきた端的な表れです。
弁護士としての職業倫理を全うするために、
自分が正義を実現しているということに自己陶酔するために、あなたは刑事弁護をやったのです。
被告人に死刑判決が出た時の、それこそ被告人、被害者遺族、世間が被る迷惑など全く考えてもいない。
そのような、あなたの弁護士職業倫理にかぶれている本質が世間の怒りを買っているのです。
職業倫理の前に人としての当然の振る舞いをしなければならない。
被告人の利益を守るにしても、被害者遺族や世間に配慮を欠いてはならない。
この被害者遺族に対する、そして世間に対する配慮を、倫理と呼ぶことが可能であれば、
その配慮を欠けば、法律違反ではありませんが、まさに弁護士会の信用を害し、
弁護士としての品位を失うべき行為と言うのではないでしょうか?
僕は、当時の今枝弁護士には、そのような配慮が欠けていたと思います。
今枝弁護士には、ブルーム卿の刑事弁護人の真髄だけでなく、佐藤教授が教えてくれた以下の文献も読んで頂きたい(佐藤彰一「サイモンの弁護士論について」井上治典他編『現代調停の技法』判例タイムズ社(1999)505-512p、棚瀬孝雄「弁護士倫理の言説分析 1-4」法律時報68巻1号52ー61p、2号47-56p、3号72-76p、4号55-63p(1996年)、和田仁孝「弁護士役割の構造と転換--中立性と党派性の意義転換のなかで--」和田仁孝・佐藤彰一編「弁護士活動を問い直す」商事法務(2004)1-15p)。

社会が弁護士に対して、また刑事弁護人に対して、偏見と誤解を持っているというのは、社会の責任ではないと思います。
僕も含めて弁護士が、弁護士の職業倫理を振りかざしてきたことにあると思います。
時代錯誤の弁護士はこれからどんどん他界していくでしょうから、職業倫理に凝り固まり、
弁護士様は偉いんだという認識の馬鹿な弁護士会は放っておいてもいいでしょう。
これからの時代の弁護士には、職業倫理だけではなく世間にも配慮した職業活動が必要かと思います。
しかし、非常に気になったのは、先日8月の光市母子殺害事件弁護団緊急報告集会に僕が出席した際のことですが、もう他界寸前か、今更改心のしようもない、ばりばり弁護士様は偉いんだ、弁護人は世間を敵に回してでも被告人の利益のために活動すべきなんだ教のカルト弁護士はしょうがないにしても、僕と同世代のそして年下の弁護士が、まだこの弁護士職業倫理に凝り固まっていることです。
弁護士を目指す奴は、もともとこのように世間を意識しない、カルトな奴が多いのかと少しショックでした。
弁護士業界にどっぷり浸ることによってではなく、本質的にカルトであれば、そこから抜けることはなかなか困難なのかなと。
僕が、弁護士の職業倫理を振りかざすことはよくないと感じたのは正直直感だったのですが、
佐藤彰一教授に教えられ、文献を勉強したところ、理論的にも納得することが多々ありました。
佐藤彰一教授に感謝するとともに、上記ブログの勝手な引用につきましてお詫び申し上げます
(サイトよりメールをしようと思ったのですが、佐藤教授へのメール送信のためにはアウトルックが必要不可欠のところ、
当事務所がメール送受信にアウトルックを使用しておらず、送信不可でした。)
今回の裁判においては、僕は、自分の主張が正しいと思っていますので、引き続き、全面的に争っていきます。
今枝弁護士も自分の主張のために今回の裁判では全力を尽くして下さい。
しかし、今回の裁判という狭い領域を離れたところで、なぜ自分が世間に対して積極的に説明をするようになったのか、被害者遺族の気持ちを気にするようになったのかを真摯に考えてみてください。
それは、今回のような世間からの懲戒請求が沸き起こったからです。
そうであれば、僕に対しては怒りを爆発させても、世間の皆さんからの懲戒請求にはお礼を言うべきことではないでしょうか?
ディズニーの7つの法則という本にもありますが、クレームほど黄金の宝はありません。
クレームに耳を傾け、それに真摯に対応することによって、自分の悪い点が改まるのですから。

原告らが引き合い出す平成19年4月24日の最高裁判決は、負けた当事者が勝った当事者に腹いせで行った、
当事者同士での単なる懲戒請求のやり合いで、請求に何の意味もない。
しかし、今回の懲戒請求は、一般市民の声だったんです。黄金の宝だとは思いませんか?
それによって、今枝弁護士の考えた方が少しでも改まったなら、感謝してもし尽くせませんよ。
原告らのような弁護士の中で何十年もやってたらそれこそ修正不可能な世間から隔絶した弁護士になっていたところなんですから。
僕は、民事裁判も公開法廷でやりたいという原告らの趣味に付き合っている暇はありませんから、裁判所から命じられない限り、尋問までは出廷しません。
11月5日、第2回期日、電話会議でやり合いましょう。                    敬具

# by hashimoto-lo | 2007-09-30 11:51


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