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2007.10.13









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(b1面)フロントランナー
科学の子の夢からロボット誕生
筑波大学大学院教授
山海嘉之さん(49)

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講演や展示会でのHALのデモ実験には、かならず人だかりができる。計30キロの米袋を片腕で抱える=京都市の国立京都国際会館で

 ロボット心理学の研究に生涯をささげたキャルビン博士の回顧録を装って書かれたSF作家、アイザック・アシモフの短編集「われはロボット」はロボット工学3原則を説いている。

 ロボットは人に危害を加えてはならず、人の命令に服従し、自己をまもらねばならないと。

 冷酷無比な死の商人として世界を暗躍する、石ノ森章太郎の漫画「サイボーグ009」の敵役の「黒い幽霊団」は、人の肉体を改造してサイボーグ戦士をつくりだした。しかし、その計画に加担させられたギルモア博士は組織に反旗を翻し、邪悪な野望を打ち砕こうとする。

 風邪をこじらせて寝こんでいた9歳の少年は、母親がなにげなく買い与えた「われはロボット」の文庫本を寝床で読みふけり、翌年、アニメ化された「サイボーグ009」に熱狂した。

 ロボットやサイボーグにも好奇心をそそられたが、胸をうがたれるほど深い感銘を受けたのは、テクノロジーという甘美な魔術をほしいままにする「博士と呼ばれる種族」の存在だ。

 その種族の一員となるべく、小学6年でエレクトロニクスの基礎をマスターし、ロケットの燃焼実験やレーザー発振器の試作までやりかけた少年が、現実に筑波大で「博士」と呼ばれるようになり、科学者の使命と良心を実体化させたのがロボットスーツ「HAL(ハル)」である。

■    ■

 HALはいわば、電動アシスト自転車の人体版のような、人間と機械の一体型ロボットだ。

 全身を支える金属の外骨格のような装置は、関節にモーターが内蔵されていて、脳から動作の指令を筋肉に伝える電気信号で生じた生体電位差をセンサーが読み取ると、モーターを動かし、パワーを補強してくれる。

 HALを装着して重さ40キロの物体を両腕で支えても、子犬を抱いたぐらいの負荷しか感じない。つまり、サイボーグ化したように身体機能が強化されるのだ。病気や事故や老化で手足や半身が不随になっても、思いのままに物を持ち上げたり、歩き回れたりする。介護する人も重労働から解放される。

 約20年後に約7兆円市場に成長すると政府が唱える次世代ロボットの需要の大半は介護向けだ。HALは最初の量産モデルとなる可能性を秘めている。

■    ■

 人と機械と情報を融合するテクノロジーの新概念「サイバニクス」を提唱し、92年から研究に着手したHALに実用化のめどがつくと、製造販売のための大学発ベンチャー企業「サイバーダイン」を設立。今年2月、大和ハウス工業と資本・業務提携するとともに、茨城県のつくばエクスプレス研究学園駅前で、年間400〜500体の生産能力のある研究開発センターの建設に間もなく着工する。

 「サイバニクスを思索していたころから、一本、筋を通したのは人を支援する技術という、その1点だけ。しかも人の身体機能に直接、働きかけるテクノロジーを完成させたかった。それはある意味、サイボーグ009的発想なのかも知れません」

 ダビンチばりの異能とも称される、この人の口癖は「深く考えすぎるな」だという。

文・保科龍朗
写真・伊ケ崎忍




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HALの腰の箱は脳の指令を解析するコンピューター。筋肉の反応速度より速くモーターを回すと動作が滑らかに=東京国際フォーラムで、安藤由華撮影

■大学発ベンチャーを創設し人づくり

 ――サイバーダイン創設から4年目ですが、いまの陣容は。

 山海 スタッフは28人。私より年上の方も5人ほどいます。まだ募集中で、来春には、さらに30人増やしたい。それくらい急拡大しています。

 ――やはりロボット工学の専門家ばかりですか。

 山海 会社法や証券取引法といったビジネスに欠かせない法規に精通したスタッフも必要でしたから、かつて三大監査法人の役員クラスまで務めた方も転身して来られました。

 起業当時は、どうやって投資してもらえるのか、どころか会社の定款すら分かりませんでした。会う人ごとにリスクばかり説かれていたので、かなり慎重に進めてきました。

 契約書の読み方も知らなかったので、理解できるまでサインせずに待ってもらったりするうち、やがて、甲をX、乙をYに置き換えてフローチャートに翻訳していくと、なんだ、これはプログラムそのものだな、と解釈できました。それで読み方のコツがつかめたので、一昨年ごろから自分でも契約書をつくれるようになりました。

■理念が支え

 ――昨年から急ピッチに資金調達していますね。

 山海 昨年は約4億円。今年は総額11億円で、うち10億円は大和ハウス工業の出資です。

 ――大和ハウス工業と合意した業務提携の内容とは。

 山海 サイバーダインそのものは世界展開していきますが、大和ハウスからは北海道から沖縄まで、全国にある営業所を国内での販売窓口にしたい、と提案されています。国内の販売チャンネルで協力していただけるので、こんなに素晴らしいことはない。私どもも、次世代の住空間のハイテク化の技術で協力することができます。

 HALは、おもに家庭の中へ入っていくものですから、住宅全般を扱う大和ハウスは、とても心強いパートナーです。

 ――資金調達は、株主総会での議決権がなく、経営の根幹に介入できない議決権制限株式による増資だったそうですね。

 山海 そうです。大学発ベンチャーの、本来あるべき姿を模索していくと、おそらく、理念追求型組織になる。理念を支柱として事業を展開するには、短期間の収益をめぐって、経営方針が短絡的に振り回されるような事態が起こりにくい仕掛けを組み込まなければなりません。

 ――来年、完成予定の研究開発センターは、HALをどれぐらい量産できるのですか。

 山海 当面は年間500体が生産可能になります。ただし、ここは常に、フラッグシップモデルだけを開発する組織になるので、ゆくゆくは別の工場をつくって、年間数千から数万体規模の生産拠点にしたい。

 ――将来的に見こまれる需要はやはり、介護支援用ですか。

 山海 病院や介護施設では、たとえば、みなさんが特に重労働だといわれる入浴介助などの仕事を、かなり楽にできるはずです。リハビリの機械として使いたいという要望もあります。

 HALの画期的なところは、体を動かそうとする意思が脳からロボットに伝わり、人の動作を支援しますが、同時に人とロボットの間に双方向のフィードバックができあがります。つまり人とロボットが完全に一体化して、つながっている。リハビリにも高い効果を発揮するはずです。

 ――値段が気になります。100万円以下で買えますか?

 山海 今の段階で、その値段は、かなりつらい。ただ、全身用だと高くても、下半身用や片脚用などと用途を絞れば、どんどん下げられる。単関節のものならば50万円も夢ではない。

■未来を開く

 ――そもそも、なぜ起業を思い立たれたのですか。

 山海 僕がいま、チャレンジしているのは、サイバーダインのイノベーティブな研究開発、ものづくりとセットになった、大学での人材育成です。

 医学の分野では、大学の付属病院で、教授と医局員、大学院生が一緒に難病に取り組んで、スタンダードとなる治療法を発見している。しかし工学では大学でやっていることと、企業での研究開発に隔たりがある。企業の研究者からは、大学は頂点ではなく、浮世離れしているようにいわれます。

 そこで大学の工学分野に、医学部の付属病院に相当するものをつくるとすれば、企業体という構造であってもいい。そこから人材を供給して、どんどん研究領域を広げていけば、日本はつねにチャレンジする国として、世界から、一目置かれる存在になるでしょう。

 ――大学と企業の二足のわらじで、働き過ぎていませんか。

 山海 ヘトヘトになっていても、未来の扉がパアッと開く瞬間があって、そのとき見える、SFの未知のコンセプトのようなビジョンが、疲れを吹っ飛ばす、じつに素晴らしいごほうびなんです。いまの仕事は苦労であっても苦痛ではありません。



◆ 転機 ◆

■所属学会をすべて脱会しリセット

 学校の理科室にひけをとらないほど実験器具の数々が勉強部屋にそろっていた中学生時代、放課後に寄り道した行きつけの書店で偶然、見かけた本に、初めてリアルに人生の道筋を指し示された。

 背表紙の「科学者になる人のために」というタイトルに武者震いしながら、その本を手に取ると、ためらうことなく買い求めた。そのときの心理は、「魔術師になる人のために」と題された古びた奇書を発見した夢想家のように高ぶっていた。

 しかし、家へ駆け戻り、取るものも取りあえず読み始めると愕然(がくぜん)とするばかりだった。

 「科学者になるには、まず大学院を出なければならない。大学院には修士課程と博士課程があり……」という、科学幻想を色あせさせる、味気ない解説が延々と書かれていたのだ。結局、博士号がなければ、自由な研究などできないアカデミズムの現実を思い知らされたのだ。

 「わくわくした気分と、あまりにギャップのある素っ気なさに逆にインパクトがあって、要は博士号さえ取れれば、どこの大学、どこの学科へ進もうが関係ないのだと、こだわりのない人生が見えてきた」

 科学者になる計画が成就し、87年に筑波大大学院を修了して工学博士になると、所属していた六つの学会すべてから脱会してしまった。組織のしがらみから逃れるためでもあったが、専門分野の足場をあえて外して、未知の研究領域を切りひらくためのリセットだった。

 「その後の2年間は鳴かず飛ばず。将来の研究の設計書づくりに黙々と没頭していた」

 そのとき煮詰められたのが、後に「サイバニクス」と命名される概念だ。人と機械と情報の融合を提唱するテクノロジーの新分野は、ロボット工学、脳神経科学、生理学、行動科学、IT技術などを結集したものだ。

 サイバニクスは即座に大学の特別研究プロジェクトのキーワードにもなり、最初に結実した成果がHALなのである。



58年 岡山市生まれ

67年 「われはロボット」を読む

87年 筑波大大学院工学研究科修了。工学博士に

92年 HALの基礎研究を始める

98年 HAL1号機発表

04年 サイバーダイン設立

05年 世界技術賞IT機器部門大賞を受賞

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スーパー科学少年だった小学生のころ

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★アニメ 「サイボーグ009」だけでなく、73年に放送された「ミクロイドS」も思い出深い。主題歌にあるフレーズ「心を忘れた科学には幸せ求める夢がない」をいまも口ずさむ。

★家庭 岡山県職員だった父も専業主婦の母も理系と無縁。ひとつ年下の弟は環境工学研究者。

★愛読書 アシモフの「われはロボット」は海外出張のたび、各国語版を収集しているという。





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