主張(社会新報2007年10月10日号より)
沖縄県民大会
戦争美化否定は安倍路線への拒否
沖縄県民大会の参加者は、会場に入り切らなかった人を含めると12万人に達するという。加えて、先島諸島の2会場では6000人が参加した。実に、県民の10人に1人に上る大結集だ。
政府は「教科用図書検定調査審議会が決めることであり政治的介入はできない」と言う。だが、大会決議は
1.文科省はあらかじめ合否の方針や検定意見内容をとりまとめた上で審議会に諮問した
2.諮問案とりまとめでは係争中の裁判を理由にし、「隊長命令はなかった」とする一方の当事者の主張のみを取り上げた
3. 審議会では「集団自決」の議論が全くなされなかった
と指摘した。軍命隠しを主導した同省の役割を隠すという二重の隠ぺいが行なわれた、と県民は正しく見抜いているのだ。また、01年の検定規則改定では文科相の決定について「審議会に諮問し、その答申に基づいて」が削除されており、政府の説明は矛盾だらけだ。
さらに審議会委員や(委員の意見を整理するだけのはずが検定意見原案を作った)同省教科書調査官の人選にも客観性・公正性の点で問題があり、同省の責任は免れない。担当の調査官、審議会日本史小委員会委員で近現代史専攻の教授、各4人のうち2人が「つくる会」教科書の監修者に連なる人脈に属するとされる。
問題を個別の命令の有無にわい小化し、体験者の証言や司法の認定も無視して全体を否定するやり方は、「慰安婦」強制連行の公的証拠が見つからないから強制性はなかったという安倍前首相らの論法を思い出させないだろうか。歴史の事実を否定し反省を拒否する歴史修正主義者の常とう手段だ。今回の削除を許せば、次は(82年に削除が発覚したが翌83年検定で復活した)軍による住民虐殺も公式文書がないとして再び削られるのではないかという県民の心配には根拠がある。
ここで想起すべきは、同年の検定で文部省(当時)が、住民虐殺を書くなら犠牲の最も多かった集団自決を併記せよとの検定意見を付けたことだ。一見、今とは逆のようだが、その発想は一貫している。軍の行為を美化し、加害の事実を否定することと、軍への協力美談を作り上げ、被害の事実を否定することとは一体なのだ。戦争の聖域化だ。
検定意見撤回と記述回復を、社民党は、前首相の「美しい国づくり」路線の完全清算を迫り、「戦争のできる国づくり」を許さない重要な闘いと位置付け、その実現に全力を挙げる。
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