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│<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書くSep 27, 2007
歴史は繰り返す 1からの続き
実は、「歴史は繰り返す 1」で述べたような泥沼の戦争、敵がだれなのかハッキリしない戦争を続けてきた例がある。 ニクソン大統領が終結させたベトナム戦争だ。 私が生まれる前に既に始まっており、生まれた後も実は続いていたのがベトナム戦争である、という事にあらためて驚くのだが、1960年〜1973年もの長きに渡って続けられている。 ここで注目しておきたいのは、この歴史に何を見るか?という事だ。 この十数年にも及んだ戦争が引きずる後遺症として、今もアメリカも患わせているのが、ベトナム帰還兵問題である。 このウィキペディアの記録には面白い事が書いてあった。
現役信者は、UCのサタンとの戦いを勝利したというのだろうが、現実的に勝利した基盤を示せない以上、今はまだ勝ったとは言いがたい。 それはともかく、この分類を見ていると、1:現役信者、2:分派、3:元の状態をそのまま当てはめたのではないか?と思えるほどではないだろうか? ちょっと書き換えてみる。
これが細かい所まで100%正しいとは言えないが、不思議なことにそれほどおかしな分類でもなさそうだ。 (それぞれの認識において中間的な立場というのはあると思うけれど、ここではそういう微妙な分類は割愛する) 映画「7月4日に生まれて」なんかを見ると、あの主人公の行動と私がこのブログでしてきたことは、なんだか重なって見えないこともないし。 (酒とか女におぼれたりしたことはないけど) さて。 ここで私が考えてみたいのは、こういうことだ。 この3者の違いは何かというと、その戦争の大義名分を正しいと見るのか、そして指導者の責任をどうみるか?というマトリクスで構成される象限に分けられる。
大義名分もなく、指導者の責任はない、などという意味不明なパターンはありえないので、このケースは除外される。 私は、これまでこのブログで書いている内容で明らかなように、この典型的な「元」のポジションにいたし、それは今でも同じ考えであるし、これからも変えるつもりはない。 今のUCの現状を見たとき、戦いの大義名分が間違っていたと思うし、そんな戦いを無理に進めてきた責任は責任者にあるのは当然だからだ。 私が姉御に対して今こうして協力しているように見えるのは、半分は姉御に対する個人的な尊敬心からである。 (元の人間であろうと、現役信者の中に尊敬する人間がいてはいけないという法はない) しかし残り半分は、この「元」の立場として、多くの現役信者が抱いている大義名分と責任の問題について、それぞれを否定するに足る証拠として、このゆきっちやヴェルの問題を取り上げているわけだ。 姉御はいざしらず、ゆきっちの場合は親の代から信仰してきているんでしょう? それでもこの程度の認識しかしないのでしょう? 果たして、UCの大義名分が正しいとして、責任者は全部責任を果たしたとして、彼女たちのこの姿勢はどうなのか? 同じ民族であり、同じ言語を話す日本人同士でありながらもこれだけ共通の認識をもてないのに、果たして世界統一なんって、どうやって実現するつもりですか? こんなに現場の兵士たちが混乱しているのに、指導者に責任がない、なんて事はありえますか? そういう事を尋ねている。 ゆきっちもヴェルも騒げば騒ぐほど、自分たちの中でも一つになれないのに、世界を統一するだとか宗教統一だとかいえるのか?といわれて、どう答えるつもりなんですか? それから、ゆきっちは「私は分派のような事はしていない」、と思っているかもしれないが、上のマトリクスで分類するなら、ゆきっちは明らかに分派になるだろう。 「今までの責任者が情報を公開してこなかったのが悪い。私はありとあらゆる情報を公開する事を責任者の代わりに喜んでやります」と言ってるのと同じでしょう。 明らかに責任者は失敗したから、私がその代わりを勤めるのだという意味であり、まさしく分派と同じ位置づけですね。 言葉を変えていうならば、ゆきっちがやろうとしているのは、そんな責任を取るだけの能力もないのに、責任者の代わりを自分で勝手に判断してやるという事なんで、普通、組織でも会社でもそれをやれば問題とされることは避けられない。 程度が酷ければ懲戒対象、つまり除名になるのは当たり前。 会社のみならず、どんな組織においてもそうですが、「依願(自主)退職」と「懲戒免職」が同じはずがない。 つまり、「自然に離れたもの」と「除名」とが同じ扱いのはずがない。 誤解しないと思うが、私はまだ救いの道が残されている事を喜んでいる、という意味ではない。 ゆきっちが、「除名がなにさ。勝手にやめた者の方がマシって訳?」とか馬鹿な事をいうから書いたまでだ。 そんな発想自体が愚かだし、常識がないし、非常識で始末に負えないといっているんだよ。 ゆきっちがやろうとしているのは、信仰や情報公開の話ではなく、自己の位置を離れて、全体を混乱させることです。 しかも、その行動は組織に壊滅的な打撃を与えうる。 無秩序と放縦を許すことは、それが組織だろうが、ただの個人の信仰だろうがありえない。 って、普通ここまで書かなくても分かると思うが、違うのか? (ワハハ。どうせ答えは決まっている。) 長い文章を書いてきました。 この辺でそろそろ結論をまとめてみましょう。 UC全体のこの数十年の戦いの混乱の原因は、敵が誰で、誰が誰に宣戦布告を行い、誰と戦っていなかったかが分からなかったために起きたものでした。 そしてそれが理由で、このような現在の現役、分派、元ができた、というのが私の主張の第一番目。 次に、ゆきっちの行動もUCの内部において、未だに敵、すなわちサタンが誰であり(または何であり)、今何と戦っているのかを完全に認識し間違った上で、自分が負えないはずの責任を負えると勘違いし、それを勝手に行使しているところが最大の問題だというのが二番目。 ついでに先ほど投稿した文章とあわせれば、ヴェルダンディは今のゆきっちの劣勢をみて、既にゆきっちを切り捨てにかかっている可能性がある、ということを付け足しておく。 ゆきっち。そろそろ悟らないと、お前本当に誰からも捨てられるぞ。 三番目に、このようなUCの混乱の原因は、最後の真理という統一原理を解明し、お父様はサタンを屈服したと言いながら、私たち兵卒が戦うべきサタンは誰なのかを明確にしてこなかったところにあること。そしてそれは2000年間のキリスト教の歴史と同じである、という事を指摘しておきたい。 一番最後に、お断りとして、私はベトナム戦争の専門家ではないし、軍事や政治も勉強したわけではないから、もし私のこの記事における認識に誤りがあればご指摘下さい。喜んで修正したいと思います。 また、もし私のこの見方が的を射ているとするのなら、教会としては、ベトナム帰還兵に対するアメリカの対応を研究すれば、この混乱の問題を解決する一助になるかもしれないということを老婆心ながら申し添えておきます。 │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |