津山市で四日まで「津山国際総合音楽祭」が開かれた。地方都市で、本格的な生の音楽にふれられる機会はそうない。地域面に連載記事を展開し、四年ぶりの開催年に津山に居合わせたのを幸い、一聴衆としても十三日間の祭りを楽しんだ。
感じたのは、この種の企画の難しさ。クラシック、民謡、演歌、ジャズ、シャンソン、市民出演の邦楽、ロック、ミュージカル、幼児の鼓笛からシンポジウムまで各方面に目配りした二十二公演が準備されたが、市民からは「敷居が高い」「もっと若者向けに」という声が聞こえた。それ以前の無関心な声もあった。
確かに、音楽祭ならではの街が浮き立つような雰囲気はいまひとつ。のぼり旗などはあるが、通り掛かって津山に立派な音楽祭があることに気づいた人がどのくらいいただろう。PRにはまだ工夫の余地がありそうだ。
ただ、第七回の今回まで、テーマ作曲家に一般受けしにくいといわれるマーラーを据え続けたぶれのなさには拍手。理念が市民に理解されたかはともかく、筋の通った姿勢はいいと思う。
ある文化行政関係者は「自治体にお金がなくなって真っ先に切られるのが『文化』だ」とぼやく。津山市も懐具合は厳しい。県内では同じ一九八七年創設の倉敷音楽祭(回数は二十一回)が内容を衣替えする方向で、後発の岡山市の音楽祭もリニューアルした。津山でも作陽音大転出から十一年がたち「もうこのへんで」という声も聞く。次回は今のところ未定というが、二十年かけて育てた若木をまだまだ伸ばしてほしいと願う。
(津山支社・道広淳)