石屋製菓 株式会社
(札幌市)
駄菓子作りから、『白い恋人』の開発へ
<白い恋人パーク>札幌市西区
昭和22年、石水幸安氏(現社長・石水 勲氏の父) が澱粉加工業として創業。その後菓子製造を開始し、34年に「石屋製菓株式会社」を設立した。現社長・石水
勲氏は42年、当時駄菓子メーカーであった同社に入社、工場長、専務を経て昭和55年社長に就任、現在に至っている。
勲氏の入社当時は高度経済成長期の始まりであり、消費者の嗜好の変化、流通の発達による本州からの安価な駄菓子の流入などで、道内の駄菓子メーカーを取り巻く環境は厳しいものであった。石屋製菓もその例外ではなく、生き残りをかけ、高級感のある洋菓子、ギフト菓子への転換を図っていく。
昭和40年代後半、六花亭のホワイトチョコレートが大ブームとなり、類似品が多く発売された。そのなかで同社は独自の開発を行い、昭和51年に『白い恋人』を発売した。先代社長によるネーミングと斬新なパッケージ、
そして全日空の機内菓子に採用されたことも追い風となり、大ヒット商品となる。末永く愛される菓子を育てたいという信念から「道内限定販売」こだわり続けたことも効を奏し、現在も全国土産物品のなかで第2位(平成15年)
の売上高を誇っている。
平成4年に現在の本社屋・工場を建設。7年には『白い恋人パーク』最初の施設となる『チョコレートファクトリー』をオープンさせた。からくり時計塔、チュダーハウスなどの建つ『白い恋人パーク』には、製造ライン見学や製作体験に加え、博物館、カフェなどもあり、観光施設として人気が高い。
同社は観光事業本格参入の第一歩として、17年4月下旬、小樽に屋台村『小樽出抜小路』をオープンさせる。「地産地消」をテーマとし、観光客のみを対象とするのではなく、地元客にも愛され、観光客と地元客のふれあいとの場となる、真の観光を目指している。
時代を読む直感
設立以来の駄菓子製造が苦境に陥りかけた際、石屋製菓では洋菓子、特にギフト洋菓子に着目し、事業の転換を図った。時代の指向は高級な洋菓子へ向かっており、本当においしいものを作れば顧客の評価が得られるとの判断からだ。良質な素材を使いながらメーカーが価格設定のできるギフト洋菓子は、安定した利潤をもたらすことになる。 『白い恋人』開発に際しては、ホワイトチョコレートブームが起こりつつあるなか、既存商品とは異なる新しい展開と、ネーミングの必要性を直感。これを具現化し見事に大ヒットにつなげた。同社が重んじるのは、こうした常識の枠にとらわれない発想だ。現在も「21世紀のコロンブスになれ!」を目標に掲げ、柔軟性のある企業風土の醸成に努めている。
北海道へのこだわり
石屋製菓は地域に根ざした企業として、北海道・札幌から発信することにこだわりをもっている。『白い恋人』は、伊勢の『赤福』のように北海道を代表する息の長い銘菓に、という思いから作られた。おいしい菓子、優れたブランドの存在は、北海道のイメージアップにつながる。このため、できる限り北海道産を使用するなど原料、おいしさを最重視しつつ、包装パッケージにもこだわった。
北海道に来て買ってもらうことを願い、道内限定販売という手法をとる。当時の常識では、東京進出・全国販売が事業の目標であり、本州の百貨店などからの出店依頼も多かったが、それを断り続けた。「北海道でしか手に入らない」という希少性は商品の価値向上につながり、北海道土産としてのブランドを確立していく。
平成7年にオープンした『チョコレートファクトリー』も、単純な工場見学の施設だけではない。ミュージアムを併設し、歴史・文化的要素を加味することにより、製品のイメージを高める役割を果たしている。また製造工場を公開し、実際に菓子作りを体験してもらうことは、商品に対する信頼・愛着にもつながる。
常に挑戦しつづける姿勢
商品のヒットが長く続くことにより、企業は安定した利益が得られる。『白い恋人』の成功で同社は確固たる地位を築き、現在でも『白い恋人』が支持されているからこそと、大黒柱であるこの商品を大切にしているが、成功に満足することなく、そこから得た利益を積極的に事業拡大・新規事業進出へ投資している。本社移転、『チョコレートファクトリー』建設に始まり、『白い恋人パーク』では顧客の満足度アップを目指して施設の充実を図っており、本年も『ローズガーデン』を新設する予定だ。
屋台村『小樽出抜小路』のオープンも控えている。母体である菓子製造においても、『白い恋人』製造ラインのリニューアルを続け、次なる柱となる新製品の開発を進めている。
地域貢献
同社は地域の活力なしに企業の成長はありえないと考え、地域に根ざし、さまざまな地域貢献を行ってきた。平成8年にはサッカーJ リーグ『コンサドーレ札幌』へ出資しスポンサーとなっている。スポーツを通じた地域の活性化を目指したものだが、『白い恋人』とともに石屋製菓の名前が全国区となり、売上アップにつながっている。また『白い恋人パーク』についても、観光客誘致だけではなく街づくりの一環という面をもっており、パーク内で花の寄植コンテストを実施したり、今後地元西区と協働し、街路に花を植える活動を行う予定だ。
「北海道は、自らの優れたところ、長所が見えなさすぎるのではないか。自分をうまく売り込むには自分をよく知ることが必要である。第三者的視点を持ち、北海道のよさを再発見してもらいたい。そのためには、よその土地を知ることも必要である。たとえば、本州の方に買って頂く食品であれば、本州の方の舌をよく研究する。地元でおいしいというものが、独りよがりである場合もある。第三者的な目で詳しくみると、もっといいものがたくさん出る。冷静に分析し、そして本州の人に負けないぐらい知恵を働かせ、売り込んでいく若いリーダーたちにどんどん育ってもらいたい。まだまだ北海道には可能性がある。
」(代表取締役 石水 勲氏)。