A(主犯)
昭和45/04月生
父親:証券会社社員。母親:ピアノ講師。妹一人
当時から父は愛人宅にいて、家庭は崩壊していおり、夫婦仲に問題があった。、
小学校の頃には既に問題行動があった。
話し上手で面白いという評判もある。
小5でパンチパーマ。
ヌンチャク・木刀を持ち小学校に「殴り込み」をしたことがある。
「悪いことはかっこいい」と思っていたが、6年生の時に出来た勉強好きの親友に影響され真面目になる。
卒業文集には
「少年院の院長になりたい。オレ、悪いことをいっぱいした。
万引き、ケンカ、たいがいのことはやった。
だから、悪いことをやった奴の気持ちがわかる。
オレなら非行少年と呼ばれてる連中を立ち直らせてやれる
オレに向いてるのはそういう仕事だと思う」
中学入学と同時に周囲の人のすすめで、柔道部に入部。体型は小柄(160cm)だったが、練習熱心で3年の時に都大会で2位になり、東海大付属高へ推薦入学。
高校の柔道部の先輩・顧問に体罰を受ける。その内容はAの父親が裁判所に訴えたほど酷く、殺虫剤にライターをかざしあぶるなど度を越したものだった。
外に出て手当たり次第に喧嘩を売るようになり、家でも物を壊し、母親に肋骨を折る重傷を負わせたこともある。
高校を中退、中学の頃から付き合っていた同級生(Dの姉)と同棲。
18になったら結婚しようと1年半、タイル工として真面目に働くが、自動車学校の合宿場で知り合った暴力団員と知り合い銀座の生花商でアルバイト。やめられる雰囲気でなく、現実逃避するためにシンナーを始める。
シンナーを吸っている時にしか楽しいと感じない生活。
暴走族の特攻隊長.
暴力団との交際、使い走り
前科
在学中に体罰を受けたことを動機に東綾瀬中学に乱入、
窓ガラスを割るなどして補導、保護観察処分に。
最終判決 懲役20年
猥褻誘拐.略取.監禁.強姦.殺人.死体遺棄.傷害.窃盗.
判決後、Aの両親は家を売り、計5000万円を被害者の両親に支払う。
C(被害者の監禁場所の次男)
昭和47/12生
父親 病院の事務長(日本橋近くの薬局の社長)
母 同病院の看護婦。兄1人。
仕事一筋の父親はきびしい体罰をふるった。少年が決められた家事の分担をしないことなどを母親から相談されると、少年をたたき起こして叱った。泣いて逃げる少年を追いかけて殴ったり、深夜外へ引きずり出して、公園を走らせたこともある。
父親は、毎晩酒を飲んで帰宅した。少年とその兄(18)は「週に1回はなぐられていた。ぞっとするほど怖かった」と、弁護士に証言。父親は、「月に1度いや、年に数回しかなぐった覚えはない」と述べている。父親が体罰をしなくなったころ、C少年の家庭内暴力がはじまった。
通っていた公立中学校は進学名門校だったが、ここでも教師の体罰が横行していた。生徒は毎日のようになぐられた。C少年も、バスケット部顧問の女性教師になぐられ退部(90/11/17朝日)
中学でAの2年後輩。工業高校に入るが2学期には中退。
この事件が発覚した際、別件で既に栃木の少年院に送られていた。東京に呼び戻し逮捕。
前科
バイクの無免許運転で補導「保護観察処分」
最終判決 懲役9〜5年(少年刑務所で満期。すでに出所)
猥褻誘拐.略取.監禁.強姦.殺人.死体遺棄.窃盗.
弁護側は傷害致死(殺意がなかった)を主張
Cの両親は2人とも共産党員。警察が逮捕状を取った段階で弁護士を用意し、家宅捜索も弁護士立ち会いの元で行われた。
党は、事件後すぐの段階でCの両親を除名、党とは一切関係がないと発表。そして、「監禁という認識がなかった」「少女は帰る気がなかった」等のCの母親の自己弁護的記事を、機関紙赤旗によって5/20-5/27連載コラムでバックアップ。
Cの母親は毎回欠かさず裁判を傍聴している。
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