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女子高生コンクリート詰め殺人

 

現場写真

17才の女子高生を40日にわたって監禁した上、数名での強姦、殴る蹴るの暴行、ライターのオイルをかけ点火するなど、激しく執拗な暴力を加え、死体をコンクリートに詰め遺棄した事件

被害者の母親は、一人娘が死に至った詳しい経過を聞かされた後、精神科に通院治療を受けることになった

少年たちは、本件の女子高生に対する犯行のほか、2女性についての婦女暴行や、後輩へのリンチ、総額約220万円にのぼる店舗荒らしやひったくりでも起訴

なお、主犯A以外は既に出所している

新聞記事集

海浜公園整備工場現場空き地

 


犯人たちのその後 http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/special/2000_03_22_2/

この事件を忠実に再現したビデオがあり、WinMXで検索すれば入手可。画質は悪いがよくできている


 

少年

犯行時年齢

学歴

非行歴

家庭

18

高校中退

傷害=審判不開始

母校の中学校に建造物侵入=保護観察

共働き

17

高校中退

放置自転車を乗り回す=審判不開始

両親別居

17

高校中退

なし

共働き

16

高校中退

家出=保護観察、ナイフ所持、暴力行為・母校に投石=不処分

離婚(父親死亡)

       求刑   1審    2審
 A 無期懲役  懲役17年   懲役20年
 B 懲役13年  懲役5-10年  1審通り
 C 懲役5-10年 懲役4-6年  懲役5-9年
 D 懲役5-10年 懲役3-4年  懲役5-7年

検察は量刑が軽過ぎるとして控訴、控訴審で量刑が重くなり確定(91/7/12日判決)

 

 


事件の経過


平成元年3/29
練馬少年鑑別所で綾瀬警察署捜査官が元年11/08に強姦窃盗などにより少年鑑別所に送られた少年Aを取り調べた際、担当の刑事がなにげなく言った「お前、人を殺しちゃ駄目じゃないか」という言葉に、他の3人が自供したと勘違い。

担当官は当初の目的であった余罪の窃盗に関する調書を取ることなく、半信半疑のまま、自供内容をたよりに、東京江東区若洲15号地海浜公園整備工場現場空き地へと向かった。

現場にはひとつだけドラム缶が転がっていた。
ドラム缶に詰められたコンクリの隙間から腐臭がしており、警察は305kgあるドラム缶をクレーンでつりあげ署に持ち帰った。


現場写真

翌日の午後、警察署内でコンクリートを解体。中にはボストンバックに詰められ、掛け布団2枚にくるまれた女性の死体が入っていた。死後2ヶ月以上経過、腐敗が進行しており状態は悪かった。
皮下脂肪の厚さは通常の6割程度で栄養失調状態。全身に殴打による浮腫(リンパ液が多量にたまり腫れ上がった状態)があり、死因は外傷性ショックまたは胃の内容物を吐いたことによる窒息死とされた。

顔面が陥没・変形していたため、外見からの確認は困難だったが、指紋や歯などの照合から、11/25夜アルバイト先からの帰宅途中で行方不明になった埼玉県三郷市高州1丁目の県立八潮南高校3年生の少女(17)であることが確認。
八潮市内のアルバイト先に行ったまま帰宅しないと吉川署に捜索願を出していた両親は、無事に帰ってくることを心待ちにし、父親は仕事を休んで行方を探していた。



s63/11/25/20
:00

自転車で帰宅途中の少女を見つけたAが、共犯の少年Cに少女を蹴るよう指示、少女は道路の側溝に自転車もろとも倒れる。共犯C逃走後、主犯Aが現れ、危ないから送っていくと言葉をかけ拉致した。
 

共犯者C少年の部屋へ被害者を連れて行き、数人で暴行・レイプする。Cの父親はこの時少女の叫び声を聞いて注意したが息子が怒鳴ったので、それ以上何も言わなかった。
犠牲者に対しては、逃げて警察に知らせてもヤクザが家族を皆殺しにすると脅し、逃亡を阻止しようとした。

11/30
Aの提案で、被害者の母親・親友に「友達の家にいるから捜索願は出さないように」と公衆電話から電話させる。

この頃、Cの母親は被害者を目撃している。Cの母親が台所にいたとき、玄関から「今晩は」と少女が連れられて入ってきた。「もう遅いから帰りなさい」と言ったが返事をせず二階に上がって行った。Cの父親もCが降りてきた時「早く返せ」と言った。翌日、あの子は帰ったと言われ、Cの両親は疑問を抱かなかった。

一週間後、Cの母親がトイレを掃除した際、生理用品があったため二階に上がった。
二階には共犯の少年Dと被害者の少女がいた。このとき被害者と言葉を交わしており、住所は埼玉で、高校三年生、就職は決まっている、と言ったという。その後、少年C・その母親・少年Dは夕食を共にしており、最中に帰宅したCの父親は「ガールフレンドか。オレにも紹介しろよ」とCに声をかけるが無視される。Cの母親によれば、食後、テレビを見たりファミコンをやって仲良さげにしており、少女がタバコを吸っていたという。


C
の母親の説得により帰宅することになるが、外にはCCの兄が待機しており失敗。
結局、両親が寝静まるのを待って電柱をよじのぼり二階のCの部屋に戻る。帰宅したCは、関係ないことをするなと母親を数時間にわたり殴る。

63/12
月始め
A少年ら4人が昼寝していた隙に被害者は一階に降り110番通報する。すぐAに気づかれて、電話を切られ殴打。警察が逆探知、かけ直してきた電話にはAが出て誤魔化す。全員でリンチしライターのオイルを足首にかけ火をつける。

12/19
C
の家にAが来て、被害者にライターオイルをかけ火をつける。再度にわたる火傷により傷が化膿し異臭を放つ。臭気でCの両親が気づくことを恐れ、階下のトイレを使用させず、紙パックに用を足させた。この時既に自力で立ち上がることができなくなっていた。

12/20
A少年ら3人の他に女が1人やってきて、「化粧」と称し被害者の頬にマジックで髭を書く。

この頃少年Cは、家に「面白いのがいる」と知人に公言し、100人程度は監禁について知っていたと見られ、裁判記録に出ているだけで10人が強姦等に参加している。

度重なる暴行により、頬が鼻の高さを超えるまで腫れ上がり、目の位置が分からないほどになっていた。

監禁当初、被害者が持っていた3000円で出前を取らせたり、Cが歯ブラシなどを買い与えたりしていたが、ケガや火傷が酷くなるにつれ、食事・風呂に対して気を配らなくなった。12月下旬までの食事はカップラーメン、パン、牛乳、卵など家にあったものを、Cの兄が食べさせたが、それ以降からは衰弱したせいもあり1日に牛乳をコップ1杯飲ませるだけだった。

12/21
もし開放されれば警察には何も言わない、信じて貰えるまで何でもする被害者が言ったため、「裸で踊れ」「気違いの真似をしろ」などと指示。

12/28
AとCとBの三人が夜中にCの部屋に入ると、被害者が腹部を押さえ倒れていた。Aの顔を見るなり、被害者は水が欲しいと頼んだ。Aは水・コーンスープ・ぶどうパンを渡した。部屋から出ることは禁止されていた。
牛乳を飲ませたが吐いてしまう。その後、被害者がパックの尿をこぼしたとAは激怒。謝る被害者の下腹部を数十回殴打。上半身を裸にして酷寒(12月)のベランダに立たせ、煙草を2本同時に吸わせるが嘔吐、両大腿部・膝・脛部等にライターオイルをかけて点火、熱がって火を消そうとすると手にも点火、火が消えると再度点火した。


1月4日
JR綾瀬駅近く雀荘で賭け麻雀をし10万円負けたAは苛立つ。

小泉今日子の「なんてったってアイドル」のテープをかけ、歌詞の中の「イエーイ」に合わせて被害者の脇腹に思いっきり殴打する。被害者は、声を出すと殴られるため、痛みをこらえて顔を歪めた。その表情を見て少年達は面白がった。

顔面・腹部を殴打して転倒させ、顔面等を足で蹴り、倒れては起こし殴る。鼻や口から血を流している顔にロウソクをたらし、両目の上にロウソクを立てるなどの暴行に及び、さらにはパックの容器にさせた尿を飲ませた。

被害者がステレオにぶつかり、全身を痙攣させ倒れたのを見て「仮病だ」とCが激怒。Aは6kgの鉄アレイを被害者の腹に落とし、大腿部、顔面をさらに殴る。
殴り終わった後、反応しなくなったためライターオイルをかけ火をつけた。最初は動いたが最後には動かなくなった。暴行は2時間近くに及んだ

公判記録によると;

弁護士  

それだけの暴行を加えていながら、彼女が死ぬと思わなかったんですか?

少年B   

……考えることができませんでした

 
1/05
被害者は既に死亡していた。
Aは以前勤めていたタイル工場に行き、モルタル砂・ドラム缶など調達。遺体をバックにつめ、Aの家の前でドラム缶に入れコンクリートを流し込んだ。この時、工場の元上司は人を殺したことに気づいていたとされている。
 
Aが借りてきたワゴンを運転して東京湾の埋め立て地に行ったが、適当な場所が無く道路脇の草むらに捨てた。

 

C宅
C
少年の自宅
 

 


犯  人


 

A(主犯)
昭和45/04月生
父親:証券会社社員。母親:ピアノ講師。妹一人

当時から父は愛人宅にいて、家庭は崩壊していおり、夫婦仲に問題があった。、
小学校の頃には既に問題行動があった。

話し上手で面白いという評判もある。
小5でパンチパーマ。
ヌンチャク・木刀を持ち小学校に「殴り込み」をしたことがある。
「悪いことはかっこいい」と思っていたが、6年生の時に出来た勉強好きの親友に影響され真面目になる。

卒業文集には
少年院の院長になりたい。オレ、悪いことをいっぱいした。
万引き、ケンカ、たいがいのことはやった。
だから、悪いことをやった奴の気持ちがわかる。
オレなら非行少年と呼ばれてる連中を立ち直らせてやれる
オレに向いてるのはそういう仕事だと思う

中学入学と同時に周囲の人のすすめで、柔道部に入部。体型は小柄(160cm)だったが、練習熱心で3年の時に都大会で2位になり、東海大付属高へ推薦入学。

高校の柔道部の先輩・顧問に体罰を受ける。その内容はAの父親が裁判所に訴えたほど酷く、殺虫剤にライターをかざしあぶるなど度を越したものだった。

外に出て手当たり次第に喧嘩を売るようになり、家でも物を壊し、母親に肋骨を折る重傷を負わせたこともある。

高校を中退、中学の頃から付き合っていた同級生(Dの姉)と同棲。
18
になったら結婚しようと1年半、タイル工として真面目に働くが、自動車学校の合宿場で知り合った暴力団員と知り合い銀座の生花商でアルバイト。やめられる雰囲気でなく、現実逃避するためにシンナーを始める。
シンナーを吸っている時にしか楽しいと感じない生活。

暴走族の特攻隊長.

暴力団との交際、使い走り


前科
在学中に体罰を受けたことを動機に東綾瀬中学に乱入、
窓ガラスを割るなどして補導、保護観察処分に。

最終判決   懲役20
猥褻誘拐.略取.監禁.強姦.殺人.死体遺棄.傷害.窃盗.
 
判決後、Aの両親は家を売り、計5000万円を被害者の両親に支払う。

 


C(被害者の監禁場所の次男)
昭和47/12生
父親 病院の事務長(日本橋近くの薬局の社長)
母  同病院の看護婦。兄1人。

仕事一筋の父親はきびしい体罰をふるった。少年が決められた家事の分担をしないことなどを母親から相談されると、少年をたたき起こして叱った。泣いて逃げる少年を追いかけて殴ったり、深夜外へ引きずり出して、公園を走らせたこともある。
 父親は、毎晩酒を飲んで帰宅した。少年とその兄(18)は「週に1回はなぐられていた。ぞっとするほど怖かった」と、弁護士に証言。父親は、「月に1度いや、年に数回しかなぐった覚えはない」と述べている。父親が体罰をしなくなったころ、C少年の家庭内暴力がはじまった。


通っていた公立中学校は進学名門校だったが、ここでも教師の体罰が横行していた。生徒は毎日のようになぐられた。C少年も、バスケット部顧問の女性教師になぐられ退部(90/11/17朝日)

中学でAの2年後輩。工業高校に入るが2学期には中退。

この事件が発覚した際、別件で既に栃木の少年院に送られていた。東京に呼び戻し逮捕。

前科
バイクの無免許運転で補導「保護観察処分」

最終判決  懲役9〜5年(少年刑務所で満期。すでに出所)
猥褻誘拐.略取.監禁.強姦.殺人.死体遺棄.窃盗.
弁護側は傷害致死(殺意がなかった)を主張

C
の両親は2人とも共産党員。警察が逮捕状を取った段階で弁護士を用意し、家宅捜索も弁護士立ち会いの元で行われた。
党は、事件後すぐの段階でCの両親を除名、党とは一切関係がないと発表。そして、「監禁という認識がなかった」「少女は帰る気がなかった」等のCの母親の自己弁護的記事を、機関紙赤旗によって5/20-5/27連載コラムでバックアップ。
C
の母親は毎回欠かさず裁判を傍聴している。

 


裁 判


 

東京高裁判決(確定)


両親は、いまなお、被告人側からの面会の申し入れ及び墓参の許しを拒み、その悲痛な心情を裁判所に吐露している。
手塩にかけて育て上げてきた一人娘を平然として手許から取り上げられ、不安焦燥に居たたまれない長い日々を送らされた挙句、無惨にも甲を殺害されるに至った両親らの被害者感情は、極めて厳しく、被告人らに対し、激しく厳罰を求めており、甲の父は、当審証言においても、被告人らに対する原判決の科刑は余りにも軽すぎてるとして、強い不信感と不満の情を切々と吐露している

 

被害者の母親は、一人娘が死に至った詳しい経過を聞かされたあと、精神科に通うことになった。なお、主犯A以外は既に出所している。

新聞記事集


 

=== 事件の解説 ===

この事件は、限りなく死刑に近いとはいえ、現在の日本で死刑判決が出る可能性はない。成人が死刑になるのは、犠牲者の数が2人以上で、強盗や強姦などがあって悪質、計画的で反省が不十分、等々の基準を満たす場合だ。本件殺人以外にも様々な犯罪を行っているが、犠牲者の数や年齢を考えると死刑判決は不可能だ。アメリカで全死刑の1/3を執行しているテキサス州でも少年A以外は死刑にできないだろう。

日本では年間5-10件程度の死刑判決しか出ない上、執行まで極めて長い時間がかかる。これは死刑を維持しながら死刑廃止論を考慮した結果だが、数を限定したり、冤罪を防止するために判決から執行まで長い時間をかけるのは、必要不可欠だ。

西欧を中心に死刑廃止の潮流は盛り上がりつつあるが、日本では過半数の国民が死刑に賛成している。ただ、死刑の是非にかかわらず、無期懲役と死刑の間があまりに広すぎることは、早急に解決すべき問題だろう。現在、無期懲役の場合、理論的には10年から出獄が可能で、平均が17年程度となっている。

有期刑の上限である20年を40年程度に拡大したり、仮釈放なしの終身刑などを設け、死刑と無期懲役の間を埋めていくことが必要だろう。

 

 

 

 

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