ここから本文エリア 住民側「待ち望んだ判決」/関川村2007年10月11日
10日にあった関川村の「村八分」訴訟の東京高裁の控訴審判決で、「村八分」にされた住民側の主張が一審に続いて認められた。住民側は「この日を待ち望んでいた」と喜び、「子どもたちに平和な村を残す責任があり、(他の村人と)仲良くしていきたい」と話した。一方、提訴された有力者側は「自分たちには訴えられる理由がない」と反論した。 ◆ 判決の瞬間、住民側の中村洋二郎弁護士は大きくうなずいた。緊張した様子で顔の汗を何度もぬぐっていた住民の男性(53)は、ほっとした様子で裁判長に一礼した。 判決後の記者会見で、男性は「ゴミ収集箱を使用禁止にするなどの被告の行為が憲法違反にあたるという信念で裁判を続けてきた」。中村弁護士は「被告の行動が不法行為にあたることを、一審よりもはっきりと認めてもらえた」と判決を評価した。 住民側によると、一審の判決後も集落の状態は改善されなかった。住民側の女性が、中立の立場を取る友人の家を訪ねると、有力者側が「村八分になっている者が集落の家に立ち入るな」という趣旨の発言をするなど、有力者側の嫌がらせが続いていたという。 今後の対応について住民側の男性は「集落の人々に判決の結果を伝え、仲良くやろうと呼びかけたい」とした上で、「有力者側とは遺恨が残った。しかし、遠い将来には時が解決してくれるのではないか」と述べた。 これに対し、有力者側の男性は取材に対し、「住民側の主張にはうその証言が入っている。自分たちには訴えられる理由さえない」と反論した。上告するかどうかについては「後日、集落の総会で決めたい」と話した。 判決文などによると、訴訟のきっかけは、集落主催のイワナつかみ取り大会だった。04年4月、村人の一部が「準備でお盆をゆっくり過ごせない」などとして大会の運営から離れた。これに対し、有力者側が「集落の決定に従わなければ村八分だ」などと迫ったが、最終的に集落の15人が離脱した。 有力者側は同年6月から、一部の村人の山菜採りを禁止したり、ゴミ収集箱を使えないようにしたりした。役場の広報紙や回覧板なども回さなかった。 このため住民側は同年8月、「村八分」の停止などを求めて被告である有力者ら3人を提訴。有力者側も名誉を傷つけられたとして反訴した。 新潟地裁新発田支部は07年2月、「住民としての権利の侵害に当たる」などとして、有力者側に行為の禁止と計220万円の賠償を命じた。しかし、有力者側は「村八分行為はしていない」と東京高裁に控訴していた。 7月13日には非公開の和解協議が開かれた。しかし、住民側が「和解しても行為を繰り返すのは明白だ」などとして、協議は決裂していた。 マイタウン新潟
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