「永代供養お願いしたいんですけど・・・」
「永代経って、おいくらなんですか??」
以上のような「ご質問」を最近よくいただく。僕の「嫌いな質問」のうちのひとつだ。色んな宗派の考えがミックスされて、また、坊さんの怠慢で、そして、皆さんの無理解によって、色んな誤解が生まれてきた。
まず、「永代供養」とか「永代経」という言葉を、皆さんがどういう「定義」で使っているのか、ということである。 「永代経」つまり、「お経」って何か??ってこと。
葬儀とか法事で坊さんがムニャムニャ訳分からんことを言っている(漢文なので)→→→訳分からんけど、たぶん死者への子守唄くらいになっているだろう・・・・・お経はホトケさんの何よりのごちそうだから(という檀家のバアチャンがいます)・・・・・
そういうわけで、「お経」とは亡くなった人へ聞かせてあげるもの?!。よう分からんけど、お経を上げてもらったら、「供養」になっている・・・・
なので、毎月、命日にはお坊さんに来てもらって「お経」をあげてもらう→→→「供養」の為に・・・・・
やがて・・・・・、諸事情(お寺が遠い、高齢になった、病院がある、毎月めんどくさい、供養するという熱が冷める、宗教を変えるなど)で、お坊さんを呼んで「お経」をあげてもらうことが不可能になる・・・・・
そこで登場するのが、「永代経」あるいは「永代供養」・・・・。
それ相応のお布施を包んで、お寺に寄付。→→→そうすれば、毎月、毎年、わざわざ何かあることにお寺に行ったり、わざわざお坊さんを自宅に呼ばなくても、
永遠に、永代にわたって、未来永劫、オートマチックに、お坊さんが「お経」を先祖の為に「お経」をあげてくれるぞい!!
だから、いくら「お金」あげればいいの???
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・・・・・・・・・・・・以上は、すべてNG!!(苦笑)
このニュアンスを払拭すべく、説明をさせていただくのだけれど、以上の考えは、結構根強い。
まず、「お経」って何か??ってこと。
お経には「お釈迦様」が説かれた「教え」が書かれている。で、「教え」とは、生きている人間に向けて説かれた「正しくものを見る方法」、あるいは「悩み解決法」と言える内容である。
つまり、「お経」は、死者ではなく、生きている人が聞く(学ぶ)もの。
でも、中国から輸入された「漢文」のままで読んでいるので訳分からんから誤解が生まれる。だから、「儀式」としての「訳分からんさ」は仕方ないにしても、坊さんは「法話」という形で、自分の言葉で、自分の理解している内容を皆さんの前で語らなければならないのである。
死者がどうでもいいのではなく、愛しい人の命の終わり(死)を通じて、自分の「生」を学ぶ。そこに、お釈迦様の「教え」、生きとし生けるものに呼びかけている「教え」との出会いが開かれてくるのである。
死者の供養の為、、、死者の為の子守唄、、、そんな位置で立ち止まらず、もう一歩、踏み込んで、「私自身」の為に「教え」に会わなきゃならないのである。
だから、「お経」とは、仏壇や本尊に向かって声を出しているので、「死者」の為に・・・・というイメージになってしまうかもけれど、実は、自分の唱える「お経」を、仏さまからの説法として自分の耳で聞く、、、ということになる。
お経に説かれている「教え」を通じて、自分自身の人生を日々学んでいく、、、ということ。
だから、「仏教徒」なのです。
まとめ
お経は「教え」。死者への呪文や供養のアイテムではない。
で、それを「永代経」という言葉に当てはめてみるならば・・・
「永代」にわたってウチの先祖の為に「お経」がオートマチックにあげてもらえる「システム」の為に、お金(お布施)を寄付する、、、というのではなく、
『これからも永代にわたって、後世の人も、この「教え」に学ぶ機会に恵まれる為に「この場(お寺)」が存続していきますように・・・・』
という「願い」を寄付という形で表すものだと思うのです。
そして、そのいただいた「浄財」を、お寺が存続する為、「維持」「護寺運営」の諸々の為に、有難くわせていただくのです。
だって、「永遠にお経があがる」なんてあり得ない。お寺だっていつ地震や火災の被害に遭うかもしれないし、老朽化もします。お坊さんだって生身の人間です。永遠にオートマチックにお経があがって安心!?そんな意味での「永遠」なんてあり得ません。
やはり、これも8月2日の投稿で「はじめに教えありき」ということを書きましたけど、それと同じです。 http://minoyamakono.way-nifty.com/tomo/2007/08/post_a454.html
※ただ、以上のことをただエラソウに語っているだけでは、お坊さんは「裸の王様」なんですけどね・・・・・。
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