「凶悪犯罪は低年齢化」していない
〜子どもに対してせっかちな大人たち
- 2007年10月12日 金曜日
- 広田 照幸,斎藤 哲也
図2:年齢別層殺人(未遂含む)検挙者数の推移(人口10万人当たり)
これを見ると明らかなように、10代では1960年代から70年代にかけてぐっと下がって、現在まで非常に低いところで横ばいで推移しています。20代でも大体同じですね。
※特命助手による脚注
「検挙者は減ったけれど、殺人の認知件数は増えている、要するに捕まらなくなっただけなのでは?」という疑問を持たれる方もいらっしゃると思いますが、殺人の検挙率は長い間90%台で推移しているので、(日本に限って言えば)殺人検挙者数の減少は殺人件数の減少と考えて差し支えありません。
戦後で飛びぬけて少年が凶悪化していたのは、1960年前後。「わしらの頃は〜」とか言っている団塊よりちょっと上の世代の人たちが青春時代を送っていた頃です。団塊の世代も、今の若者と比べたらかなり凶悪でした。つまり、若年成人が規範を身につけないまま大人になったというのは、60年代には当てはまるけれど、近年ではそうではないというのが分かります。
「10代後半〜20代の凶悪事件が沈静化」こそ真相
なぜ1960年代〜70年代にかけて少年の凶悪事件が減ったのか。日本が経済的に豊かになったことは大きな理由として見逃せません。特に日本では、90年代に至るまでずっと若年失業率が低く、子どもたちがそれなりの豊かさを享受する生活を手に入れてきたことが大きかった。
同時に、問題を抱えた子どもたちの面倒を高校が見るようになったから、ということも重要だと思います。60年代までだったら、職を転々とし、社会で孤立しながら、粗暴犯や凶悪犯になっていたであろう子どもたちが、70年代以降には、むしろ教育困難校といわれる学校の中で、先生という大人とまがりなりにも関わりをもって、難しい時期の3年間を過ごすようになった。このことの意味を低く評価すべきではありません。
さらに10〜20代の殺人検挙者数を細かく区分してみた図3を見てください。低い年齢層の殺人率が高まっているのではなく、この年代の中の比較的高い年齢層――10代後半〜20代前半の層――の検挙者数が大幅に減少しているのだということが分かります。
図3:14歳〜20代の年齢層別殺人検挙者数の推移(人口10万人当たり)
メディアでは「凶悪事件の低年齢化」が騒がれていますが、実際はそうではなくて、比較的高い年齢層の少年や若年成人が、殺人事件を起こさなくなっているんですね。で、相対的には10代半ばまでの低年齢層の比率は高くなっていることが分かります。
だから事実は、「凶悪事件の低年齢化」ではなくて、10代後半〜20代の凶悪事件が沈静化した結果、10代半ばまでの低年齢層の子どもの起こす凶悪事件が、数は少ないにもかかわらず目立つようになっている、ということなのです。しかも、豊かな社会の中での犯罪は、かつてより動機が不透明のように見えるため、「子どもがおかしくなった」と騒がれやすい。
しかし、殺人で見ると凶悪事件は増えていないし、年長の少年や若年成人の“殺人を犯す率”は非常に低くなっているわけです。強盗とか粗暴犯(暴行や傷害など)についてはここでは論じませんが、興味を持たれた方は、広田『教育言説の歴史社会学』(名古屋大学出版会)をお読みください。総じて、青少年の凶悪犯罪は減っているし、粗暴犯も戦後最低レベルです。軽微な犯罪も大人になる頃には卒業する。
要するに、非行の大半を占めている窃盗犯で、警察のやっかいになる子どもたちは多いんだけど、大人になるまでには悪いことはやらなくなっている。10代半ばでいろいろと問題を起こす少年たちも、そのほとんどはまともな大人になっている、というのが、この図から分かることです。
青少年はしっかり育っている。ならばなぜ問題が?
これらの図を踏まえて次のことが言えると思います。
1つは、現在の学校教育が、道徳的な社会化に失敗しているわけではない、ということです。子どもの規範が低下していると嘆く大人たちは、社会化途上の子どもの状態を性急に問題視しているだけではないか。子どもたちは、規範が身につかないまま育っているのではなくて、規範が身につくまでに時間がかかっている、と考えたほうがいいと私は思います。その点に教育学者や心理学者が注意を払わずに、「青少年がうまく育っていない」論を振りまいている。「こんな子どもたちが大きくなったら世の中大変な社会になりますよ」と。しかし先の統計を見ると、そういう人たちの言説はウソだというのが分かりますね。
もう1つは、中学校や高校は、社会化の「途上」にある、難しい時期の子どもたちを抱えている場所であるということです。窃盗の検挙者数を細かく見ると、非行のピークは14〜17歳に集中している。だから彼らと密につき合う中・高の教師の目で見ると、「子どもが大変なことになっている」と思えてしまうかもしれません。
「プロ教師の会」を主宰し、現役の中学教員でもあった河上亮一氏は、森喜朗首相(当時)のもとで開催された教育改革国民会議(2000年)で、「傷つきやすく、感情の起伏が非常に激しい不安定な子どもたちが大量に増えてきた」「義務教育が終わった段階で、社会的自立がほとんど不可能な子どもたちが大量に世の中に出ていく」といった発言をしています。こうした認識のもと、国民会議でも道徳教育の強化が報告書の中で提案されました。
確かに中学教師の河上先生の目から見ると、一番問題を抱えた子どもたちの状況が目につくはずです。要するに学校の先生というのが、一番困難な時期の子どもたちとつき合っているので、実感としては子どもが大変な状況になっていると感じる。それは分かるけれども、子どもたちの「その後」を統計的に見ると、必ずしも規範が身につかないまま育っていく、という筋では解釈できないんですよ。