2.研究
最新論文 「有機農業と循環型社会について」(『香川大学経済論叢』第80巻第3号)
教授会で「認証評価の成績保存について」という説明があった。認証評価のために保存して提出するものは、試験問題、答案、レポート、プリント類、その他成績評価のもとになったもの、である。
この話は急に出てきたわけではなく、前から指示があったから、少なくとも、私は、平成17年分と18年分については、答案用紙等はきちんと保存してあり、いつでも提供できる。試験問題やプリント(ハンドアウト)はハードディスクに保存してあるし、ね。認証評価を受ける以上しかたがないので、経済学部でそういうことの指示を出している人に文句があるわけではない。ただ、いま大学を取り巻く状況について、納得できないところがあるので、ここに異議申し立てを書いておく。
1.経済学部でやってきたこと
経済学部では、各教員が出した成績自体を教授会で公開していた。これにはもう長い歴史がある。そういう歴史を踏まえて、いまでは、香川大学全体でも、学生による授業評価の結果とあわせる形で、教員が出した成績の一覧(S、A〜Xをどれだけ出したか)を公開している。
ただ、これを学生に公開すると、学生が楽勝科目に流れる可能性があるので、教員が出した成績は、学生には公開していないが。
経済学部では、ほとんど同じくらい前から、教員が出した試験問題を集め、それを教授会で回覧している。だから、同僚がどんな試験問題を出して、どういう成績をつけているかは、同僚にはすべてわかってしまっているわけである。
今回の認証評価の成績保存・提供と比較すると、経済学部の場合は、答案自体は、教員個人に閉じられていて、それが公開されるということはなかった。学生個人の情報に関わるから当然のことであるが、試験問題と成績がわかれば、答案などみなくても、その教員の試験のやり方はわかるというものである。
もちろんそれだけではなく、個々の授業を担当して苦労をしたことや感じたことがあれば、それも書いてもらい、集めて、教授会で紹介されている。教授会の報告資料についてくるから、教授会が終わってからじっくり読んで、参考にできるのだ。
2.論争点
自慢するわけじゃないが(やっぱり自慢していることになるか)、このやり方を提案して始めたのは、わが輩である。当時は(もう古いことになるが)、かなりの反対意見があった。教育の自治に踏み込むのかという意見である。
しかし、自治に踏み込むわけではない、ただ、情報はきちんと公開して、誰にみられても説明責任がつくようなことをやらねばならないじゃないか、という論理で納得してもらった。だから、成績自体は全員のものを出しているが、試験問題は、提出は任意で、ということで始めた。それが教授会で回覧されるということになると(この回覧は時間がかかるんだよな、要するに、多くの先生が読んでいるから時間がかかるのだ)、プレッシャーがかかって、多くの先生が提出・公開するようになってきた。いまではほとんどの先生が出しているのではないか。
3.大学の自治はどこにいった
経済学部がやってきたやり方は、あくまでも自治である。外から強制されたものではない。どうしてもいやなら、出さないという選択もある。ただ、そういう行動が、まわりの教員の「共感」が得られるかどうかというと、そりゃ、得られるわけがない。そうすると、自主的に共同行動を取ることになる。
認証評価というのは、大学人当事者にとっては強制であるが、必要かといえば必要だろう。しかし、たとえば答案を保管・提供したとして、これを認証評価機構がどこまで点検できるというのか。たとえば、私が昨年やった「政治経済学ロ」は、小テスト2回と期末テストがある。数百枚の答案用紙である。任意に抽出して、採点状態を確認することはできるかもしれないが、それで評価になるとは思えない。
しかも、評価するとして、出来るのは同業者だけだろう。私の場合でいえば、マルクス経済学者ということになるが、こんなホームページを開設しているような人間に、採点の仕方がおかしいじゃないかと評価したら、猛反撃するに決まっている。まともな評価などあるわけがない。
それより、経済学部がやってきた教授会回覧の方がはるかに効率的で効果があると考える。しかも、それで、大学の自治は守られる。私などは、試験問題もハンドアウトもホームページに公開しているので(もちろん試験問題の公開は試験が終了してからであるが)、誰がそれをみるかわからない。昨年度は、e-learningまでやってしまい、授業のビデオを全部ネットに公開してしまった(授業の途中でトイレに行きたくなり、「ちょっと、しばらく待っていてくれ」と言って休憩時間を入れたビデオまで公開してしまったぞ)。
それくらいのことをやってきたのだから、認証評価などをやることになって、余分な仕事ばかりが入ってきた、肝心の教育研究の邪魔になっている、という気がする。もちろん、そんなこともやっていない大学・学部があるとすれば、認証評価でもやって締め付けたらいい。でも、一律にやるのはおかしい。
4.なぜ、こうなるの
大学の自治がもう風前の灯火のようになっているのは、結局、学生がおとなしいからである。学生運動など死語のようになっている。
大学教員は、何よりも、まずは自分の研究だ。それで、文科省は運営費交付金をどんどん削って、締め付けている。もう文科省の言う通りになっている。文科省の官僚が大学に天下りしているのは、大学の自治がなくなりつつあるということを端的に示している。
学者なんて、金で締め付ければ、簡単に言うことを聞くさ。文科省も含めて、そうはいかなくなることがあるとすれば、学生が文句を言う時だけだろう。でも、なあ。わが学部も自治会はないしなあ。
学生のBBSじゃあ、大学が学生の意見など聞かないかというと、全くそうではない。われわれが学生の頃とは大違いであり、大学は必死になって学生の意見を集めようとしている。
授業評価のアンケートには自由回答欄があるし、カリキュラムに関するアンケートでも、自由回答欄がある。学生生活実態調査でもそうである。経済学部の前の学部長は、授業評価の自由回答欄を(個々の先生に返却する前に)すべて読んでいた。科目数も多いから大変な作業であるが、セクハラなどの訴えでもあったらいけないから、ということでやっていた。「やっていいか」と私は聞かれたので、「学部長なら当然やっていいのではないですか」と答えたから知っているのである。
しかし、これは1年に1回とか2回のもので、日々の不満が聞けるわけではない。学長への質問箱などはどうしてもいまの学生の気質にあわない。そうなると、一番気軽に書ける学生のBBSが大きな役割を果たすことになる。どの大学でもそうだろう。わが大学でも、多くの先生は黙ってみているに違いない。私も時々みている。KadaiWikiには「安井先生の書かれるものは一見の価値有り」と書いてあって、ここにリンクが貼ってある。思わず笑ってしまったが、もちろん、一見の価値などはない!
学生自身が管理していて、学内への影響力もないわけではない。ただ、どうしてもBBSは危ないところがある。選挙の近くになると、どこかの党派の関係者かと思われる人が書き込んでいるようにみえるが、管理人といえども、その判定は難しいから、そのまま残る。私も掲示板を開いていたことがあるから、管理が大変だということはよくわかる。
一番問題になるのは、どうみても学内教員が書き込んでいると思われるものがあることである。教育学部の不祥事の場合はそうだった。「そんなことを書くなら、名乗って書けよ、匿名は止めろよ」と言いたくなることがあった。
時代が時代だけに、昔なら、学生運動だったのが、いまならこういうネットのようなものが大きな意味をもつかもしれない。中国の反日運動だってそうだし、ミャンマーの反軍事政権運動だってそうだ。いかに強力な権力といえども、インターネットまで抑圧できないからだ。ただ、どんな場合も、いかがわしい書き込みがあることを十分自覚して、読む人が見識をもっていることが重要である。
それにもう一つ重要なのは、BBSに書かれるのは大体細かいことで、「大学とはいかにあるべきか」といった議論は出にくい。出したとしても、誰も反応しないのがBBSであろう。やはり自治会・学生運動とは違うんだよな。