先日の大母様のメッセージで、“お父様が泣かれた”のはゆきっちさんが思った
アボジの進められる事よりも、教会組織の進める事の方が正しくて神様のみ旨だと思っているって事ですよね?2007/10/6(土) 午後 10:48 ゆきっち
という質問に対して、 watarai4200さんが答えています。
===== ゆきっちさん、
大母様のこのみ言は私自身も聞いてますし当然ファミリーでもよみました。「おそらく、皆さんの中には、特に公職者の中には『なぜ、私たちが天国に行くことができないのか?』と反問する人がいることでしょう。」のあとにどうして行けないのか理由が書かれています。
なにも教会組織に絶対的に従っていくから天国に入れないとは書いてませんが。食口たちの罪や私たちの中にいる霊人たちのゆえであり
また原理的生活をしてこなかったからと書いてありますが。
そんなに組織に従うことが地獄行きなら私は地獄に来ているのでしょうね。もしくは地獄に行くのでしょうか。ファミリーには組織の会長総会長の巻頭言が載りますがアボジの進め方と違うのでしょうか。
また組織の頂点はアボジではないのですか。まさか組織がアボジの意向とは違うように動いているのでしょうか?アボジが泣かれたというファミリーの箇所を読んでもそのような理由で泣かれてるとは書いてません。
2007/10/9(火) 午前 6:20 watarai4200 =====
wataraiさんのコメントに、ゆきっちさんが語ります。
watarai4200さん,
だから私としては今の教会組織のやり方に従っていては「堕落性」を脱ぐのは難しいと感じているし、現実は堕落性を増長させていると感じる部分もあるんです。
と言うより、摂理摂理で食口一人一人の思考力をわざと無くすような風にも感じるんです。(私の母や身近な食口の人を見ていると)
それに私は従軍慰安婦の事もきっかけに統一教会の(ある特定の)食口の人達に存在する“ダブルスタンダード”にも疑惑を感じ出しています。
2007/10/9(火) 午前 8:23 ゆきっち
だから私としては今の教会組織のやり方に従っていては「堕落性」を脱ぐのは難しいと感じているし、現実は堕落性を増長させていると感じる部分もあるんです。
と言うより、摂理摂理で食口一人一人の思考力をわざと無くすような風にも感じるんです。(私の母や身近な食口の人を見ていると)
2007/10/9(火) 午前 8:23 ゆきっち
偶然であるのか、そこを取り上げて欲しいというゆきっちさんの深いお考えなのか、
この「ファミリー1月号」にはゆきっちさんが身を挺して御言の反面教師を演じているのかと思うほど、対応する文章が書かれています。
「ファミリー2007年1月号」P46、下段「堕落性をぬがなければならない自分」という表題があります。
ゆきっちさんは、教会組織が信じられないという思いを持つ教会員に対して、み言を示唆しているのでしょうか。
(転載)
皆さんの中に、堕落性がありますか、ありませんか?(略)
妬み、血気、憎しみ、偽り、欲心、「私」という思い、驕慢(きょうまん)、不平不満などの堕落性は、本当に多いのです。(略)
真の父母様は私たちに、「真の愛で生きなさい。為に生きなさい。」と語っていらっしゃいます。(略)
堕落性を脱がなければなりません。だれかのせいにしてはいけません。「だれだれがどうで、だれがどうだ。」と言うのでなく、自分が堕落性を脱がなければならないのです。
(転載終わり)
因みに、この御言の直ぐ後に「酒とたばこと麻薬は死に至らせるもの」という表題が来ています。
一部抜粋すると
「ファミリー1月号」P48(引用)
酒とたばこと麻薬は、死に至らせるものです。(略)
1995年に、初めて壇上に立ったとき、「なんということだ!」と思いました。それらが徐々に整理されてきたのに、最近また悪くなっています。絶対に酒とたばこと麻薬はいけません。酒を飲んだ人やたばこを吸った人の横に行ってみると、地獄の臭いがします。
神様に似た香りではなく、地獄の臭いがするのです。
神様は最近、「わたしがおまえたちの中に、おまえたちがわたしの中に住みなさい。」とかたられました。しかし、酒とたばこの臭いによって、神様が住むことができないのです。
(略)
「あの食口は、酒を飲み、たばこを吸っている。」と、黙って見ていてはいけません。
連帯的に足首が縛られている悪の鎖を、どのようにして解きますか? ある人がもし酒を飲んだら、その人をつかんで「私たちは、絶対に飲んではいけません。」と、泣きながら訴えなければなりません。過ちを犯す人を黙って見ていてはいけないのです。(略)
さらにその後に「絶対に淫乱を行ってはならない」「公金を恐れなければならない」「心情を蹂躙してはならない」「真の父母に侍る生活」「教会に行かなければならない」他に様々な事項に対しての御言が掲載されています。
ゆきっちさんとヴェルさんを連想する事柄として「心情を蹂躙してはならない」という項目があります。ここだけ引用します。(彼女達は、もしかしたら全国の堕落性にまみれた教会員に対して、鏡のように神様が表された存在かもしれないとさえ思いました。
では「ファミリー1月号」P50、上段中ほどより
(転載)
私たちは、むやみに言葉を話します。その人のことをよく知らないのに、むやみに話をしています。その人を傷つける言葉をむやみに話しています。絶対にそうしてはなりません。(略)
私が清平で多くの病気を治しました。多くの難しい問題を解決してあげました。ところで、先祖たちが誤って見、誤って聞き、誤って話した結果、子孫たちが苦難に遭っている場合がとても多かったのです。
私たちは噂が好きですが、噂をむやみにしてはならないということを、はっきりと知らなければなりません。
ある人が自分の考えを話したとしても、その人は100パーセント話したのではなく、何かを隠して話したはずなのに、それを聞いた人がまるで何もかも知っているように、さらにほかの人に話してはいけません。(転載終わり)
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>私たちは噂が好きですが、噂をむやみにしてはならないということを、はっきりと知らなければなりません。
基本的に私がブログに書いているのは自分が見聞きした事実しか書いていませんが?
2007/10/11(木) 午前 8:27