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ネットの経済とは何か

~それは「拡大経済」ではなく「縮小経済」~

三田 典玄(2007-10-11 11:00)
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「成長期」の果ての物語

 高度成長期は、なんでもかんでも良くなった。今年より来年の給与が高くなるのは、当たり前なことであり、新しいものが古いものにとってかわるのは当たり前であり、その新しいものは古いものよりも値段が高いのも当たり前だった。その「新しくて高いもの」を人々は嬉々として買っていた。

 この時代を生きた人間は、私も含めて「新しいもの」が好きな人がとても多い。そして、新しいものには新しい経済がついてまわり、新しいものを創造すればするほど、お金がその周りでたくさん回り始める、と、どこか無意識に信じているところがある。

 日本では1985年の円高ショックを経て、80年代後半に、株・土地のバブルが膨れ上がり、90年にそれがはじけた。それを境に、この様相が変わり始めた。1990年代はまさに「下り坂」であったが、この最中、インターネットは日本をはじめ、世界を席捲しはじめた。

 インターネットをはじめとした「デジタル技術」「IT技術」は、こんな「節約を始めなければならない」人にとって、まさに恵みの雨であった。しかし、多くの人たちはこの「新しいもの」の周りには、また新しく大きなお金がころがっているはずだ、と、その金鉱を掘り始めた。

 しかし、この金鉱にあったのは、経済拡大のための新しい金ではなく、これまで多く行われてきた「借金」「拡大」のサイクルを断ち切り、高いものを安くする「苦い特効薬」だった。

 たとえば、商社は日本では高くて1部の人しか買えないもので、かつ外国では安いものを買ってきて、日本でできるだけの高値で売ることを商売にしていた。

 しかし、インターネットによる通販などが国際的に広まり、そのメリットは急激に減ってきている。加えて、商社自身もインターネットなどの国際データ通信網を使い、出張などの経費を減らすことが普通になった。テレックスと国際電話と現地出張の繰り返しより、はるかに大きな効率化がされた。効率化がされる、ということは一時的にその事業の利益を上げる。

 しかし、その効率化がうまくいけばいくほど、アッという間にそれは競合他社にも広まり、誰もが使うようになる。結果として競争が促進され、商品を高い値段で売るわけにはいかなくなり、商品はさらに値を下げざるを得なくなる。減益は数で稼ぐしかないが、安価に多くの人々に広告を打つ手段はITしかない。

OA(オフィス・オートメーション)はどこへ行った?

 「OA化」で、経理処理などは大企業から中小企業まで浸透し、ネットワークも当たり前になった。そのため、金融の世界では「締め」さえ、毎日のように行えて当たり前、ということになったため、無駄がなくなった。

 それをほとんどの同業者でやり始めると、当然のことながら、競争になり、経済そのものが縮小していく。いまや「OA」ということばさえ聞かなくなった。それは「当たり前」の空気のような存在になった。

 結果として、インターネットをはじめとしたIT技術の台頭は、産業革命以来250年続いてきた人間の欲望の拡大にブレーキをかける「特効薬」のような役割を果たした。短期には「どうです、他のところよりもこれを使うと利益があがりますよ」と、甘いことばで誘いこみ、それが拡大していけば誰もがシステムを入れざるを得なくなる。

 そして、長期的には、経済全体の縮小を促す。つまり、甘いことばに誘われて、一時の快楽をむさぼる連中ほど、この罠にはまり、結局は自分たちの身を縮めざるを得なくした。これがIT化というものなのだ。

 為替の取引などのスピードは上がり、経済の拡大と縮小のサイクルも短くなった。そのため、短期での取引が当たり前になったため、時間を稼いでいるあいだに儲ける、という手は使えなくなった。

 株もまた同じだ。株もまた縮小され、投資家も小額のお金で投資をするようになり、同じ金額を集めるにしても事務の手間が増え、ITを使ったシステムを使っていかなければ事務経費で利益が飛んでしまうくらいになった。

マスコミも変わらざるを得ない

 そして、「情報そのもの」を商売にするマスコミは、IT技術の世界にはなかなか入り込めずにいる。テレビ番組を1つ制作して、放映するために必要な数千万円という予算。レギュラーの番組になれば当然それは数億の商いになる。

 こんな世界でさんざん生きてきたマスコミ人が、「新しいものだからきっと新しいお金が回っているはずだ」と勘違いして、よくネットの業界にやってくる。そして、たいていはすぐに去ってしまう。

 ネットの業界で回っているお金の単位はたかだか数十万円、高くても数百万円であり、その拡大を現在のマスコミ並みにするのは、容易なことではない。

 常に数億のお金の回るマスコミにいた人たちが、その貧乏くささを見ていやになってしまうのは、うなずけないことではない。

 結果として、オールドメディアかつ少量生産を主としていた書籍などの「小マスコミ人」にとっては、ネットで回るお金の額はもともとたいしたことがなく、ネットの業界も案外居心地が良かったりする。

 しかし、テレビ、新聞といった大マスコミで仕事をすることが当たり前であった人間は、ほとんどこの「金額」を見て、ネットメディアなんかには長居は無用、と思うのではないだろうか?

 それでもネットは拡大を続け、やがてマスコミもネットに押され、淘汰されていくことだろう。世界には貧しい人間のほうがより多く存在することを考えれば、ネットの拡大はさらに続くと考えるのが普通だからだ。

 老い先短いマスコミ人は、現在のマスコミの終焉を見ることなくあの世に行けることだろうが、若いマスコミ人はそうはいかない。崩れ行く城の中でのんびりと暮らしている人たちは、城の崩壊とともに自分の人生も終わりそうだ、と考えている人たちだけになる、というわけだ。

 マスコミに限らず、これからの長い人生を生きなければならない若い人間のほとんどは、この崩れ行く城から早々と逃げ出しはじめている。

IT技術の本質とは

 IT技術はそれまで人間が手にしてきた「拡大の技術」ではない。本質的に「縮小の技術」なのだ。ITによる事業拡大の陰で、その他の産業が合理化され、淘汰されていく。この淘汰の大きさよりも、IT事業の拡大が小さいからこそ、全社会レベルでの効率化が達成される。そういうものなのだ。

 なにを考えているか? って? やはり思い出されるのは、あの人のことなんだが。

 

【編集部注】 一部表記を改め、言葉を補いました。(2007/10/11 11:45)

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