婦女暴行容疑などで富山県警に誤認逮捕され服役後に無実が判明した男性にようやく無罪が言い渡された 身近に起きた典型的なえん罪事件であり、構図を明確にしておきたい。元最高検の検事は無茶な捜査を見抜けぬばかりかうそを塗り固めた検察官を強く責めた。別の法学者は無理強いされた自白をうのみにした検察、弁護士、裁判官の三者ともに責任ありとした えん罪を生じさせない検証システムが形骸化していたのである。警察と検察がともに謝罪したのは当然である。一方、無実の人間に有罪判決を下した裁判所は謝罪しないままだった 最終関門の裁判所の責任が最も重いとの意見も一部にはあった。が、裁判所を責める声が大きくならないのが日本社会の特徴のように思える。導入が迫る裁判員制度を考えると、この寛容さに危惧(きぐ)を覚えるのである 先に金沢地裁で裁判員制度の模擬裁判があった。裁判には市民感覚も大事だが、えん罪を見抜く力の重要さを痛感した。専門家が見抜けないことを見抜くのは常識的市民感覚とは別物だ。謝罪をめぐっての法曹三者の対応の違いとともに、考えさせるものの多い事件だった。
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