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木村剛氏の続編 10.20.2002 |
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木村剛氏の件、なんでこんな記事を取り上げたのだ、という疑問もいただきましたし、また、ある金融のプロフェッショナルから、かなりの長文のメールをいただきました。 本HPの著者は、もとより経済・金融には素人。知らないことを多数ご指摘いただいております。 インターネットとは、本来、このような双方向メディアであって、ご批判をそのままご紹介することが、本HPの中立性を保つことができると思いますので、ご紹介させていただいます。 先日、貴サイトに木村剛氏に関する記事が掲載されましたが、その内容につきましては、少々指摘させて頂きたい点がございます。 現在の金融行政に問題が多々あるのは事実のように見えます。その改善のために、木村氏を「毒をもって毒を制する」ために起用することを否定するものでもありませんが、まさに「毒」であることを承知の上で活用すべきかと考えております。 |C先生:実は、木村剛氏と田原総一郎氏との対話を記載し 最初にお断りさせて頂きますと、私は「退場宣告」は未読です。従って、本の内容についての議論はいたしません。 |A君:日本をフェアネスが消えうせた国だと記述していま この点、私から見ますと、常にメディアでの一方的な報道に懸念を示されている(例えば環境ホルモンですとか、オカルト的な健康関連商品など)貴殿にして、専門外の分野では、メディアの(あえて断言しますが)ろくに検証もされていない報道に流されてしまっているように思えます。 まず、大企業であっても、いわゆる銀行管理下にあれば徹底したリストラが強いられ、そのような状態を招いた経営者が「悠々自適」でいられるわけではありません(ゼロとはもうしませんが)。現に、債権放棄対象企業の経営陣には私財提供などが求められています(中小企業のオーナーが保証をして法的に義務を負うのとは異なり、法的にはそのような義務がないにもかかわらず、です)。 次に、中小企業についても、小渕政権時代に行われた公的保証30兆円が、事前に想定していた焦げ付きを上回って損失が生じていることからもわかるように、銀行に見る目がないから貸せないのではなく、見る目があって焦げ付くかもしれないと正しく経営判断しているからこそ貸せない状態にあるわけで、それを「貸し渋り」というのであれば、それは銀行に私企業であることを止め、ボランティアをやれ、ということになってしまいます。 更に言えば、今銀行は中小企業貸出を増やせと政治やメディアから強烈なプレッシャーを受けていますし、公的資金の注入を受けた銀行はそれをコミットまでしていますが、それにも関わらず、銀行によっては中小企業貸出が減っています。減らせば、金融庁からもうるさく言われますし、まして政治やメディアからはさんざんたたかれますから、それがペイするのであれば間違いなくするはずですが、にも関わらず増えないのは、増やさないのではなく、増やせないと考えるのが自然です。 貴見をまとめれば、「大企業は恵まれているが、中小企業は苦しんでいる」との一文になると思いますが、これはずいぶんとステロタイプな見解ではないでしょうか(もちろん、中小企業の中に銀行から理不尽な取扱いを受けている人々が少なからずいることを否定するものではありませんが)。 |A君:しかも、竹中平蔵氏と違って、木村氏は、金融のプ これは「退場宣言」には記述がないかもしれませんが、木村氏はかねてから「キャピタルフライト(日本がアルゼンチン的な通貨危機に陥ること)」論者として知られています。しかし、「キャピタルフライト」論は、まともな経済学者からは相手にされていません。 簡単に申し上げますと、「キャピタルフライト」は、 これはほとんどニュートンの運動方程式であるとか、熱力学の第1・第2法則であるとか、そのぐらいにロバストな議論なのですが、木村氏はそうした誤りをおかしています。 その木村氏が、「金融のプロ」で、「理論だけでなく、実践もできる」のでしょうか? 無論、ある論点についての誤りは他の論点についての誤りとイコールではないですから、「キャピタルフライト」論における木村氏の誤りが「退場宣言」における誤りを証明するものではありませんが、しかし、ことは同じ金融経済に関する事象でもあります。 例えば、「永久機関で環境問題は解決できる」と主張する論者がいたとして、その人が詩人であれば、そのような主張にかかわらず専門分野では優れた業績をあげることは考えられますが、その人が物理学者であった場合、その人が物理学の分野で優れた業績をあげることは考えがたいのではないでしょうか。 学界にも様々な人がいますから、「相対性理論は間違いだった」「進化論ではなく創造説が正しい」「エントロピーは閉鎖系でも減少する」といった学説を唱える学者がいるのは事実ですが、「まともな」理科系の学者であれば、そのような主張は相手にしないと思います。それと同じ意味で、木村氏の主張は「まともな」経済学者には相手にされていないのです。 |A君:確かに細かい話になると、さすがに本HPには適さ 地方の中小土建業者がそう言っているのは事実でしょうが、言っていることを検証もせずに是とするのは誠実な態度ではないはずです。中小企業には、公的な制度としても、 |C先生:次に怒っているのが、官僚に対してだ。「日本の 結局のところ、仮に役所が何らかの失敗をし、その誤りを認めたときにどうなるかを考えれば、政治にはつるし上げられ、メディアからは袋だたきに遭い、かといって真の原因は追求されず報われないのが普通でしょう。まして、多くの施策はときの世論によって行われるので、官僚としては、自己弁護の一つでもしなければやってられない、といったところがあるのでしょう。 例えば、後に出てくる公的資金についても、たいていが検討段階では公的資金を入れろ、といって盛り上がっておきながら、実際に入れることを決定すれば、間違いなく国民の血税を入れるのはけしからん、といった議論になるでしょう。 役所にしてみれば、入れなければ入れないことを間違いとして認めろ、と言われ、入れれば入れたことを間違いとして認めろ、と言われるような環境において、それでも全て「私が悪うございました」と謝らなければ「自浄作用がない」と批判されるわけで、それほどまでに、官僚には聖人君子であることを求めているのがメディアをはじめとする世間だ、という見方もできます。 |A君:やや金融に関する具体的な話になって、公的資金の 公的資金については、1992年ごろに宮沢首相(当時)が注入論を提言したとき、先ほど言及したとおり、よってたかってけしからんの大合唱でつぶされました。 結局住専問題のときに入れたわけですが、その後の日本経済の回復基調が続けばそれで公的資金は不要になったにもかかわらず、90年代半ば以降のデフレにより、不良債権は処理しても処理してもまた新たに発生し続け、今にいたっているのです。 その意味で、バブル崩壊に伴う不良債権処理は既に終わっている話で、今に至る問題は、銀行からしてみれば、日本経済全体が不調な中で銀行だけが好調ということなどありえないではないか、としか言いようがない状態でしょう。 |A君:日本の銀行は、中小企業を潰すことしか考えていな よく、アメリカの銀行は事業をしっかり審査して融資しているが、日本の銀行は担保主義だ、との批判があります。 しかし、アメリカの銀行は、平均して4%の利ざやを確保している一方で、日本の銀行は平均して2%しか利ざやをとっていません。つまり、事業をしっかり審査して融資をしようとすれば、今の金利では全く採算割れ(担保だけを見て機械的に審査していればこそ利ざやが薄くてもかまわない)してしまうのですが、日本の銀行がそのような方向にむかって金利引き上げに動けば、これも「貸し渋り」の非難を浴びています。 消費者金融に関しては、大手でも20%以上の金利を取っていますが、これは4年間(複利)で倍になります。つまり、平均して借り手が4年間破産しなければそれで元が取れる(逆に言えば、その程度で破産する客がそれなりにいる)ことを前提に商売しているわけですが、他方で、銀行は、一応まがりなりにも潰す前提では貸さず、契約通りの返済+もし万が一駄目だったときの担保、という前提で貸しているわけです。 社会的に、銀行が4〜5年で借り手を潰す前提で金を貸すことが受け入れられるとも思えないのですが。 そもそもベンチャーを融資でやる(リスクを考えれば高金利でないと割に合わないが、高金利自体がベンチャー失敗の可能性を高める)のが無理であって、出資(公開のキャピタルゲインで元を取る)でいくべきなのであるにもかかわらず、その手の投資家の不在がベンチャー不振の原因です。 |C先生:ルールをしっかり作って、いくら大企業でも駄目 以前の記事(http://www.ne.jp/asahi/ecodb/yasui/WasteDef.htm)では「警察国家のような体制にするのは、言語道断」とのことでしたが、「ルールも、その判断も、そして強制的な実施もお上がやる」というのは、警察国家ではないのでしょうか。銀行の融資先を逐一政府が調べ上げ、ここは存続、ここは退場、といって企業を選別することが警察国家でなくてなんでしょうか。まして、逐一ではなく、恣意的に政府が選別をかけてしまうのは(逐一でやろうとすれば今の金融庁の人員を100倍にしたって足らないでしょうから、本気でそうするなら恣意的にならざるを得ないでしょう)、これ以上おそろしいルールはないのではないでしょうか。 |C先生:こんな調子で、銀行の公的資金注入のときに、小 事実関係から申し上げますと、公的資金60兆円のうち、いわゆる注入のための資金は25兆円です。それにしても1/4しか注入してないのはその通りですが、「金融のプロ」がこのような極めて基本的な事実を誤認をしていることは指摘させて頂きます(金融に詳しくない人間ならともかく、公的資金問題を論ずる人間であれば、この程度のことは数分で調べがつく(もちろん公表資料から、です)はずなのに、それを怠っているわけです)。 詳しい議論は本筋から外れそうなので割愛しますが、このときの銀行を全部「死刑」にする、というのは、貴サイトの話題でいえば、環境ホルモンで話題になった化学物質を全て即刻使用禁止にしろ、とか、来年からゼロエミッション以外の自動車を作ったメーカーから罰金を取る、とか、その程度には乱暴な話です。 |A君:現在でも、「銀行などの最大の不良債権は、現経営
あえて挑戦的な言い方をすれば、メディア等で「正義の味方」として取り扱われるものほど、実際には単に扇情的で、食いつきやすい(でも専門家からは評価されない)安易な解釈を主張している可能性が高いと思うのですが、いかがでしょう?環境分野でもそのような傾向は見られると思うのですが。 |
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