辻本良三さんの小学生時代の記憶は、野球とゲームの記憶でもある。学校が終わると、スポーツが大好きな辻本さんは友人を集めて、バットとボールを手にして走りまわっていたという。そんな活発な少年だった辻本さんは、小学5年生のとき、本格的な少年野球チームに入部する。キッカケはスカウトだった。
「少年野球に入ったキッカケは……今から思うとおかしな話なんですよ。あるとき、公園で友達と野球をしてたら、フラッとやってきたおっさんが“キミたち、野球チームに入らないか?”って言うんですよね。“とりあえず今週末に練習しに来ないか?”って。まぁ、よくいえばスカウトですね(笑)。そして友達と“それじゃあ、ちょっと行ってみよか”と週末に出掛けたら、そのおっさんにいきなり帽子を被らされて、“帽子、持って帰ってええよ”と言われて。つまり、行ったとたんに入部が決まっていたという乱暴な話で。まぁ野球は大好きでしたから、なんとなく、何も考えずにそのまま入部してしまいました」
ふとした拍子に入部してしまった少年野球チームだが、辻本さんは毎週末、真面目に練習に通っていた。「日曜日は必ず野球でつぶれてしまうんで、たまに“雨降れ、雨降れ”と祈ってみたり(笑)」はしたものの、楽しい野球生活を送っていたという。
「もともと野球は大好きでしたんで、楽しく続けてましたよ。腕前のほうもそこそこで……打順は3番。ただし、かなり波のある3番でした。打つときはやけに打つけど、打たないときはさっぱりで。僕、フォームを変えるのが好きな子だったんですよ(笑)。とりあえず、興味があったらやってみるというのがポリシーなんで。プロ野球選手で興味のある選手がいたら、その人の特徴をポイントで取り入れてしまうんですよ。足の運びとか。要は、何か興味を持ったことを分析するのが、子供のころから好きなんですね。ただ、その分析が当たってるかどうかは別問題。常に当たってるんだったら、波のある3番ではなかったでしょう(笑)。ただ、大失敗したこともない。なんとなく上手いこといってたみたいですね」
大阪在住の野球好きなら、やはり阪神タイガースのファンなのかと思いきや?
「いや、僕は違いましたね。当時、好きなプロ野球チームは巨人でした(笑)。基本的に僕、ミーハーなんで。原、クロマティが活躍してた時代ですね。そういえば、クロマティのフォームも真似ようとしましたけど……日本人にはあれは無理でした(笑)。大阪人らしく阪神ファンになったのは、大人になってからですよ。意外に、僕の子供時代は、まわりに熱狂的な阪神ファンは少なかったんです。僕の住んでた羽曳野市からは藤井寺球場が近かったですから、近鉄ファンのほうが多かった。だから僕も、セ・リーグだったら巨人、パ・リーグだったら近鉄が好きでした」
週末は野球に精を出す一方、平日の辻本少年を夢中にさせていたのは、当時一大ブームを巻き起こしていたテレビゲームだった。小学生らしく、放課後は友達を集めてファミコンとアーケードゲームを遊び、夜は夜で、両親に軽く文句を言われながらも、自宅でゲームに熱中した。
「平日は、放課後は友達や自分の家で『ファミスタ』や『マリオブラザーズ』をやったり、駄菓子屋の店先で『魔界村』や『ハイパーオリンピック』などで遊んで、夜は自分の家で『ドラクエ』とかのRPGやアドベンチャーのようなコツコツ遊ぶゲームをやる、というのが僕のスタイルでした(笑)。基本的には、人と協力したり対戦したりするゲームが大好き。その好みは、今の仕事にも深く繋がってますね。家でゲームをやってると、母親からはちょっとブツブツ言われましたけど、なんだかんだいいながらもゲームを取り上げられることはなかった。わりと理解のある家庭やったと思います」
ずいぶんと伸び伸びとした小学生時代を過ごした辻本さんだが、その理由は彼が男3人兄弟の末っ子だったことも関係しているのかも知れない。
「兄貴がふたりいるんですけど、けっこう年が離れてるんですよ。一緒にゲームで遊んだという思い出はあまりないですけど、よくガンプラをつくってもらった記憶はありますね。でも、兄貴もそれなりに忙しいんで、すぐにできるわけじゃないんですよ。ときどき、部屋に置いてあるガンプラの箱を開けてのぞいてみると、足だけできてたりとか。それを見ながら、僕は“よしよし、もうちょっとやな”って(笑)。2番目の兄貴とは6歳、いちばん上の兄貴とは9歳離れてますんで、兄貴というよりは、親戚のお兄ちゃんって感じでしたよ。向こうもそういう感覚だったんじゃないですかね。なにより、子供ができないことをやってくれる人が身近にいる、というのは得でしたね(笑)」 |