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心に青雲とは青雲の志を抱くこと。弁証法、認識論を踏まえ、空手、科学、芸術、時事問題などを論じます。

「1リットルの涙」と脊髄小脳変性症(上)

《1》病気の遺伝はあるのか

 沢尻エリカ主演のテレビドラマ「1リットルの涙」の再放送を見る機会が数回あった。11話全部のストーリーはHPで確認し、荒スジはわかった。これは2005年秋にフジテレビで放映された作品で、反響が大きく番組のHPへの書き込みは、フジTVでは最高の件数を記録したそうである。番組HPは以下。
 http://www.fujitv.co.jp/tears/index2.html
 脊髄小脳変性症という難病に犯された高校生の少女(沢尻エリカ)が、死に至るまでの物語で、実話をもとにしている。テレビドラマには珍しいシリアスな作品だった。とはいえ主役の悲劇のヒロインは優等生すぎ、屈折が浅く、生きられない深刻さだけに寄りかかったストーリーで、秀作とはいいがたい。医療問題の追及も浅い。一般大衆向けドラマなので、そんなものだろうが。
 沢尻エリカはこの役で一躍脚光を浴びたようだが、お定まりの芸能界の陰湿な苛めで、ひどい噂を立てられたようである。どういうものか、松たか子のときも、裕木奈江のときも、デビュー直後に週刊誌であることないこと書き立てられ、潰そうとされた。松たか子はしぶとく残ったが、裕木奈江はひどい噂のために使われなくなってしまった。売れそうな美少女が登場すると、ライバルの芸能プロ、あるいは創価関係者が入信を勧めたのに断られた腹いせかで、あらぬ噂を週刊誌などに流し、潰すキャンペーンを張るのではないか。生き残るためには、創価でないとむずかしいのかも。石原さとみが人気を保っているのは、彼女が創価だからだろう。

 さて、芸能の話はどうでもよい。
 この脊髄小脳変性症のことだ。原因不明で治癒しない病気とされる。進行すると、歩くこともしゃべる事も、書くことも、食べ物を嚥下することすら困難になる。脊髄小脳変性症になった本人も家族も大変な苦痛を味わう。遺伝性のものとそうでないものがあって、その型もさまざまだ、などと説明されている。
 原因不明なのに遺伝性があるとは、これ如何に? 病気に遺伝があるのかどうか。病気が遺伝するって、おかしくないか? “遺伝的”というならわかる。例えば母親の胎内にいるときに、母親の病気がそのまま子の異常になって、それが生後に発症するというのなら。兎口や小頭症などは母親の妊娠中の何か(妊娠3か月以内に風邪薬を飲んだとか…)によって胎児が直撃されたものという。しかし、病気の遺伝子なんて…。それは弁証法の否定だ。
 生命体、つまり他の動物に遺伝病なんてあるのか? ないでしょ。人間が飼った動物や、自然環境が公害のように極度に悪化したところに生息する動物は別である。病気のほとんどは生活の歪みから起きる、とわが流派の最高幹部は説かれる。だからもし自然界の動物に病気が見られるとしたら、それは人間の生活に影響されたのであろう。地球上は南極だろうがアマゾン奥地だろうが、環境汚染していないところはない。その意味ではもはやすべての動物が病気にかかる可能性はある。
 だが、単細胞から進化してきた生命体が、人間にいたるまでの間に、病気の遺伝というものがあったのだろうか。ないものは出現しないのだ。もし遺伝病があるのなら、単細胞生物時代からそうした要素をいわば胚胎していなければならない。単細胞からカイメン、クラゲ、魚類、両生類、哺乳類、サルと進化してきた過程に遺伝病がないのなら、やはり人間にもないのではないか。

 脊髄小脳変性症は、ネットの体験記を見ると、自分の母親もそうだった、母方の兄弟もそうだった…という事例がある。これだけみて、医者はそら遺伝だ、と決めつけるのではないか。他にも糖尿病、あるいは癌でさえ遺伝だと疑われているが、こんなものは、みんな親から子へと食事のあり方が伝わるからである。精神病も昔は遺伝とされたが、これも親の認識のありかた(性格)の影響を子どもが最も受け取ってしまい、考え方まで似てしまうから子も精神病になるケースがあるのだ。
 脊髄小脳変性症の場合も、病気になった人間に、家族親戚に同病のものがいれば「遺伝型」、いなければ「非遺伝型」と分けている程度なのではないか?
 病気が遺伝するとは、やはり「病気」というものがある、という勘違いから生じているのではないだろうか。ある状態を称して「病気」というのであって、病気というものがあるのではない。だからドラマ「1リットルの涙」でも病に冒された少女が「病気はなぜ私を選んだの?」という悲痛な問いを発する場面があって、これは涙を誘うセリフではあるが、観念論である。「病気」がのこのこと人間に潜り込むわけではない。
 母親も子も同じ病気になったとして、どちらの体からも異常な遺伝子(その病気に特有な)が発見されると、ほらこの遺伝子が親から子に伝わるから病気になる、と説明されるのだろうが、それは逆だろう。病気になったから遺伝子に異常が生じたのであって、“病気の遺伝子”が病気を生じさせるのではあるまい。
 世界は弁証法性なのだ。すべて弁証法性で貫かれており、例外はない。病気に限っていえば、人間が何かと相互浸透した結果、量質転化したものが病気なのだから、人間と相互浸透した何かが必ずあると考えるべきなのが弁証法である。ところが「病気」が、人間に浸透してくると錯覚する人がいる。そんなわけがない。なぜなら「病気」というものがあるわけではないからだ。人間と相互浸透した何かとは、大きくは生活であり、もう少し具体的には食事の悪さや、ストレス、環境の悪さなどがそれと考えられる。そうした悪化要因が遺伝子を歪ませ狂わせることはあるが、母胎内にいるときに胎児の遺伝子も狂わされることは起きる。そういう“遺伝的”ならあり得る。

 パーキンソン病もそうだが、脳内のドーパミンが不足するから神経などがおかしくなると言われるが、そうではなくて神経がおかしくなるからドーパミンが不足してくるのであろう。
 リウマチの場合もそうであるが、血液を検査するとリウマチになっていると判断するが、あれは神経の働きが狂ったから、筋肉の痛みが続き、骨までが筋肉の歪みに負けて反り返る。そうなれば血液までが変えられるのだから、血液を採ってみれば、白血球や血小板の増加や、なんたら抗体が増加したと判明するのだ。抗体や白血球が増加したから筋肉が痛むようになるのではない。そこを医療関係者は逆に考えていると思う。だから薬で血液を正常にすればリウマチの症状が軽快すると勘違いする。

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